「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
「物語ることで癒しをもたらす体液がつくられる。われわれの個人的な物語のテーマという軟膏は、われわれ皆が自分自身の中に見つけ出すべき、消し去ることのできない真実を混ぜ合わせたものでできている」
キルロイ・J・オールドスター(作家)
「物語るというのは、なにかを作り出すことではない。そうではなく、物語が自分を通り抜けて、自らを語らしめるにまかせるというのに近い」
ジェニファー・マクマホン(作家)
「想像力さえあれば、無限の力を発揮できる」
ジョン・ミューア(作家・植物学者)
1.セミナー会場
「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」
司会者の高らかな宣言に会場がわく。指笛を吹く者、陽気な笑い声をあげる者。
「そうだ、そうだ!」
と賛意を示す者。誰もが、今宵、これから起こることへの期待に溢れていた。
「それではお呼びしましょう。真田寿福先生、どうぞ!」
鳴り響く拍手のなか、壇上に現れたのはブレザーを羽織ったつるりとした印象の中年男性であった。どこか飄々とした、とらえどころのない風貌の男である。その男が、満面の笑みで会場を見渡した。
「皆様、本日は足元の悪いなかようこそおこしくださいました」
真田が語り始めると、会場はいっそううきうきした気配に満たされていった。
「そういえば、久しぶりの雨ですね。うん、雨・・・、そう、雨です」
雨、雨、・・・と、自分が口にしたばかりの自分の言葉を、舌の上で転がすように寿福は愛でた。
「よい素材ではないですか? どうです、雨。もう皆さんの内側では、この胤が蠢き始めていますか? 醸され始めていますか? 新たな生命の活性化が始まっていますか? 健康の泉が湧き出し始めていますか? どうも、そのようです。みなさんから創造への意思、すなわち創気が伝わってきます。想像力が入道雲のように膨れあがって、想雲が形成されているのがわかります。それでは、うん、・・・そうですね」
ぐるりと観客席を見渡す。五〇〇人収容できる会場が満杯で、すでに立ち見客まで出ているのがわかる。回を重ねるごとに、参加者の数は増える一方だ。寿福は、満足げにうなずくと、来場客の一人と目を合わせた。
「はい、あなた、ええ、ピンクのセーターと赤いスカートのあなたです。あなたなら、どんな物語を紡がれますか?」
その方向に、マイクをもった会場係がさっとかけていく。
「ご指名、ありがとうございます」
寿福に指名された観客の一人が受け取ったマイクを手に立ち上がった。
「田所恵美、OL、二四歳です。では、少し準備をさせていただきます」
目を閉じ、鼻からすうっと吸い込んだ息を、うっすら開いた口からゆっくりと吐き出してゆく「催話紡筋」の呼吸法であった。三度それを繰り返すと、彼女はにっこり微笑んで目を開いた。準備ができたという合図だった。
「整ったようですね」
真田寿福に向かって、彼女はうなずいた。
「はい、整いました」
「ではどうぞ、存分に語ってください」
開眼瞑想状態に移行した彼女は、静かに自らの内側から物語を汲み上げ始めた。
「『やった、雨だ』
隠れ家にしているビルの裂け目から外を見て、ピナクルは喜びの声を上げました。
『お母さん、雨だよ。降ってきたよ』
『そうかい』
寝床にいる母親の声はどことなく弱々しいものでした。それが、ピナクルにはどうにもかなしくてならないのでした。
『待ってて、母さん。いますぐ種を蒔くから』
かねて用意してあった袋入りの種を三粒、ピナクルはビルの前の路上に蒔きました。
するとどうでしょう! アスファルトの路面にすいっと根を張ったその種からは、見る間にしゅるりと茎が伸び始め、ふわさっと葉が生い茂り、やがていくつものまっ白い花をぽわわんぽわわんと咲かせました。そう、ハグクミの花です。この花は、雨の降り始めの時に撒かないときれいに咲かないのです。それに、あれです。土砂降りになってもだめなのです。弱い花弁は、強い雨が降るとはらりと落ちて壊れてしまうからです。
『さあ、早く実をつけて。ハグクミの実を』
みごとに開いた薄桃色の花を見ながら、ピナクルは、祈りました。その実こそが、母親の病気に一番効くのです。同時に、ピナクルが病気にならないように十分な栄養を与えてもくれるのです。
『お願いだから。ヨコドリネズミたちに嗅ぎつけられる前に急いで実をつけて!』
祈りに答えるように花はすうっとしぼみ、その後から紫色の実がぷっくりとふくれあがってきました。それに伴って、ふわわわあっと広がる甘い香り。それは、心癒やされるよい香りなのでしたが、同時にその匂いが、ヨコドリネズミを呼び寄せもするのです。ピナクルは期待と不安でいてもたってもいられない気分になりました。
『よし、収穫だ』
ピナクルは籠を抱えて雨の路上に飛び出しました。けれども、その時です。巨大な車輪が転がってきて、一番外側にあったハグクミソウをぐちゃりと踏みつぶしていきました。風圧でピナクルは吹っ飛びました。
『自転車か。怖いな。自動車やオートバイはこんな道の端っこは通らないけど、自転車はどこだって通ってくから怖いよなあ』
でも、怖がってばかりも居られません。残る実は七つ。右側のハグクミソウに四つ、左側のに三つです。十分とは言えませんが、しばらくはこれでなんとかしのげるでしょう。
雨に濡れながら一本目のハグクミソウから実を取り終え、二本目にかかったときでした。ピナクルの額の触角がキケンを感知しました。毛むくじゃらの、病原菌をまき散らす巨大な獣がこちらに向かっている気配でした。
『ああやばい、来ちゃった!』
ピナクルはなんとか五つ目の実をもぎ取ると、あわててビルの割れ目へと引き返しました。まさに間一髪。ほんとに、それとほぼ同時だったのです。水しぶきを立てながらやつらがやってきたのは。
『ちっ、コビトは逃げやがったか!』
舌打ちをするダミ声が聞こえ、ヨコドリネズミ特有のいやなにおいがピナクルの居る場所にまで漂ってきました。奥の方で母親が苦しげに呻いたのは、この悪臭に反応したのでしょう。全身についた雨を振り払おうと身体をぶるぶるさせたので、不愉快な臭いのしみた水滴がピナクルのいるビルの裂け目にまで飛んできたのです。
隠れて様子をうかがっていると、ヨコドリネズミたちが話している声が聞こえてきました。
『この実といっしょにコビトの肉を食べさせれば、俺の妹にも精をつけさせてやれたのにな』
『悪いのか、妹の具合?』
『ああ、あいつ人間の食い物に手を出しちまったんだ。わかるだろ? 例によって、その食い物にはあらかじめ毒が仕込んであったんだよ。全身が吹き出ものでむにむにふくれあがって、熱にぶうぶううなされて、見てるのもつらいくらいだぜ』
『くそ、人間どもめ。ひどいことをしやがる』
『ああ、あいつらは、自分たち以外のものの命はどう扱ってもいいと思ってやがるんだ』
『気に入った生き物だけは特別扱いだけどな』
『まったくだ。家畜と呼んでる動物は平気で殺して食いながら、お気に入りの動物が殺されたら大騒ぎ、まったくわけがわからないぜ』
『特権動物どもだな』
『けっ、なにがパンダだ? なにがコアラだ? 俺たちとなにが違うってんだよ』
『まったくだな』
残った二つの実をくわえて帰ろうとした、二匹のヨコドリネズミは、目の前に二つの実がころころと転がってくるのに気がつきました。
『どういうことだ?』
怪訝な顔になった二匹でしたが、転がり出てきた先にビルの裂け目があるのに、気付きました。コビトの住処であることは明らかです。いまなら、襲えば簡単でしょう。
でも、二匹は転がってきた実をくわえると、ぶるりともう一度身を震わせて雨の中を去って行きました。
『ありがとよ!』
去って行くネズミたちが、そう呟く声が、ビルの裂け目にも届きました」
語り終えた女性は、一礼して着席した。
拍手が起こった。
「うん、いいですね。即興的なよい物語でした。どうです。みなさん。語る方はもちろん、聞く方だってパナケイアを感じる、つまり癒やされますよね。皆さんの内側にわき起こった別の物語と響き合って、物語の輪唱、あるいは干渉、極端な場合には接触による爆発に至る場合すらある。皆さんの全身の神経がプラスの波動を帯びる。血流が浄化される。細胞はそれによって喜びを感じ、充実する。よい方向へと自分を誘う意志の力が立ち上がる」
(第01回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 遠藤徹さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■