一条さやかは姉で刑事のあやかのたってのお願いで、渋谷のラブホテル街のど真ん中にある種山教授の家を訪ねる。そこはラブホテル風の建物だが奇妙な博物館で、種山教授は奇妙に高い知性の持ち主で、さやかは姉が担当する奇妙な事件に巻き込まれ・・・。
純文学からホラー小説、文明批評も手がけるマルチジャンル作家による、かる~くて重いラノベ小説!
by 遠藤徹
(九)象のお腹(上編)
とまあ、急展開で迎えたこの状況であります。実況中継でお送りしております。
「どういうことです。先生はいったい何をおっしゃっているのでしょう」
戸惑いを見せる春山であった。
「では、一つずつ解きほぐしていきましょうか」
種山が身をぐいと乗り出した。春山の胸倉でもつかむのかと焦ったが、目の前の皿からお茶を持ち上げてグイッと飲み干しただけだった。
「まず、歌です」
「歌、ですか」
「あなたはいつも歌っていた。タイの村でも、そしてカズが殺された夜も」
「まあそれが生きがいですから」
少しばかり誇らしげに答える春山だったが、種山はそれを完全にスルーした。
「でも、あれはテープだったんでしょ。夜通し歌ってたのは。あるいはCDとかMDとかハードディスク型の再生機によるものだったのかもしれませんが。毎夜ということだと、シャッフル機能とか並べ替え機能がついている再生機を使われていた可能性が高いですね。いずれにせよ、あなたは人目に付くときにはいつも自分の声で歌い、こもるときにはいつもテープを流した。こうして常に歌っているあなたという像が出来上がった」
「何をおっしゃっているのでしょうか」
戸惑いを露わにした春山を再びスルー。
「和也さんは気付いていたはずです。ラーオ村であなたの部屋から流れる歌が、毎夜同じものであることに。そして、やがて知るにいたったのです。昼間のあなたと夜のあなたが別人だということを。もしかしたら、ある晩意を決して訪ねて行ったということであったのかもしれませんが」
ここまで言って種山は一度話すのをやめて、春山を見た。
「その時あなたは口止めしたのでしょうか。それとも和也さんが黙っていたのでしょうか。いずれにせよ、村人たちに対し和也さんはあなたが、夜な夜な顕微鏡を覗き、あるいは解析機を用いて研究しているということを隠すことに協力した」
「参ったな」
春山はふたたび頭を掻いた。
「先生、まるで探偵ですね。遺伝子工学をやめて、探偵に転職ってわけですか」
「いえ、そういうわけではありませんがね」
とスルーしながら種山は続けた。
「それから、あれですね。象を暴走させて、ウライさんを殺害したのもあなたですね」
「ええっ」
驚愕するわたし。カズさんじゃなかったんだ。
「どうしてそうお考えになるのですか」
興味深げに問う春山。
「それは、あなたが麻酔弾で象を止めたからですよ」
って、なんて無茶なことを。止めたのであって暴走させたのではないのに。
「あなたは最初、おそらくは小さな消音銃、あるいはもしかしたら吹き矢のようなもので、物陰から象に興奮剤を打ち込んだ。誰にも気づかれぬようにこっそりとです。そして象を暴走させておいてから皆の前に慌てた風で走り出てきた。そして、今度は皆に見えるようにライフルを持ち出して麻酔弾を連射した。連射したのは、全身に麻酔弾の注射筒が刺さるようにするためだった。そうすることで同じ形をした興奮剤の注射筒の存在をまぎれさせるためでした。たとえば、一発で仕留めてしまうと、二本も注射筒が刺さっていることが奇異に思われる。けれど何発も打ち込んでおけば、混乱のただなかだったわけだし全部で何発刺さっていたかなどということを正確に覚えている人はまずいない。そう考えたのではないですか?」
「なるほど、それは面白い考えです。でもなぜわたしがウライさんを殺さなきゃならないんです。動機はいったいどこにあるっていうんですか」
落ち着き払って春山は逆に問いかけた。むろんそれを受けて立つ種山にも一切の動揺は見られなかった。
「だから、夜のあなたを知られたことですよ。あなたを好いていたウライさんもまた、夜のあなたの素顔を知ってしまったのではないですか。ロマンチックな夢を抱いてはしごを上ってきたウライさんは、村人を食い物にしようとしているあなたの素顔を見てしまった。そういうことではないでしょうか?」
種山に見つめられて、春山は少し気まり悪げに眼をそらせた。
「その証拠としていうならば、ウライさんがタイの大学で専攻したのは環境資源学だったのです。だから、あなたのような職業の人間が自分の国に入り込んでいることを知っていたのではないですか。そして、好意を抱いていたあなたが、まさにそのプロスペクターというか、ジーン・ハンターであることを知って驚愕し、幻滅し、そして怒ったはずです。もしかしたら、この村の人の遺伝子を食い物にするのはやめろと迫ったのかもしれない。さもなければ、自分の語学力を生かして、世界に向けて訴えを起こすと脅したという可能性もある」
うわあ、とわたしは仰天する。ハルさんイメージが百八十度転換していくのをどうしようもなかった。真っ白な布が真っ黒に染め上げられていく感じだった。
「カズさんはそんな一部始終も知っていた。それでも、あなたを村人に向けて告発しはしなかった。なぜだと思いますか?」
「さあ、どうしてでしょうね」
「あなたに憧れていたからですよ。夜のあなたにではなく、昼のあなたにです。あるいは夜のあなたに支配される前の本来のあなたの気性にです。彼はあなたのように生きたかった。昼のあなたのように。明るく、自信に満ちて、何事にもとらわれず、人と人の間で幸せに笑っていたかったんです。もしかしたら、人生で初めて見つけた理想の人物だったのかもしれない。自分が惚れていたウライさんなのに、そのウライさんが惚れた相手があなただったからこそ、彼は身を引いたのです。あなたならウライさんを幸せにできると思ったからでしょう」
「ほお」
不敵な笑みを浮かべる春山。こんなことでは崩れないぞという意思がにじみ出ていた。
「だから、あなたの素顔を知ってもなお、あなたを告発できなかった。でも、あなたがウライさんを殺したのを知って、彼はきっと怒り狂ったはずです。あなたを許さないと。でも、あなたはいち早く姿をくらましてしまった。そして次に和也さんがあなたの存在に気付いた時、あなたはタイの村から持ち帰った遺伝子を売った金で起業し、すでに財をなしていた。だから」
「あんなに躍起になって会社経営をやろうとしたんですね」
久しぶりに割り込むわたし。やっぱ、この会話だとなかなか出番がないわけだけど、たまには登場しとかないとね。
「会社経営ですか。そういえば彼のお兄さんが」
「そうです、ユニヴァーサル・レンタル・ジャパンというリース会社を営んでいました。その会社の経営の実権をしばらく借り受けて、彼は新規事業を開拓して拡大を図ろうとした」
「新規事業ですか」
「そうですよ。彼は怒りをビジネスでの勝利というかたちで表現したかったんです。あなたの会社を打ち負かすような実績を上げて見せたかったんですよ」
「でも、失敗しちゃったんですけどね、かわいそうにも」
わたしは、本心から同情を禁じ得なかった。だからそんな言葉が漏れてしまったのだった。
「いや、ちっとも知りませんでしたよ。そんなこと」
まさに初めて聞くという表情で春山は答えた。
「そうでしょうね。あれは和也さんの自分の中での戦いだった。自分のなかでのあなたを超えようとする試みだったのでしょう」
「こういっちゃなんですけど」
春山が笑いを抑えた顔でいった。
「確かにそれってカズらしいです。感情をなかなか表に出せないタイプでしたからね」
「でまあ、自分の中での戦いに敗北した彼は、ある夜ついにあなたのところへやってきた」
「おやおや」
この人はいったい何を言い出すのかという顔で春山が興味深げに種山を見た。
「っていつのことですか」
「だから、事件の夜ですよ。先週の日曜日です」
「はははっ」
今度は声を出して笑う春山。
「でもね、先生あの夜はぼくたちは商談の後、朝まで打ち上げを」
「知ってます。さっき受付の方から伺いましたから」
小奇麗な方からね。
「なら話は早い。あの夜は誰もここを尋ねてなんかこなかった。わたしもここを一歩も出て行かなかった。そうじゃないですか」
「いや、そんなことはない」
「なんです?」
「マクロビキッチンはご存知ですね?」
「ええ、もちろん。贔屓にしている店ですよ。あの夜も」
「そう、あなたたちはマクロビ食でパーティーをなさった」
「ええ」
「実はね」
種山が一息おいた。ちょっと得意げな間である。他の人が知らないことを知っているときに見せる種山特有の間なのだ。
「和也氏が、社長職をしていたときいろんな新規事業をやりましたよね。ビデオレンタルとか、スローフードレストランとか。そして、マクロビキッチンは、和也氏が展開したなかで唯一黒字だったレストランだったんです。つまり、存続していた。材料、調理法、食器などすべてにこだわるというコンセプトが、マクロビアンの多いこの地域では受けたんです。しかも宵っぱりの多い都会生活に対応して、徐々に営業時間を延長し、最終的には二十四時間ケータリングOKを掲げるに至った。そういう経過で今に至っていたわけですよ」
「ほお、そうだったんですか」
春山は驚いた表情を見せた。ただそれは、知らなかったことを初めて聞いたからというよりは、隠していたことを暴かれたからという驚きだとわたしには思われた。
「意外なところで、ぼくたちはつながっていたというわけですね」
「ええ」
種山はうなずいた。
「でも、それだけじゃないんですよ。春山さん、あなた映画がお好きなのではありませんか?」
「えっ、どうしてです」
「タイの村で二人一緒だった時、あなたは好きな映画の話をいろいろなさったのではないかと思うんです。あなたのことだ、きっと感情をこめて、実に興味深い物語として映画の内容を再現して見せたのではないか。そんな風にぼくは推測しますがね」
「ええ、まあ。あの村ではテレビも映画も見れませんしね。だから、記憶のなかの映画を整理するにはいい機会でした。そして確かにカズはよい聞き手でしたよ」
「でしょ」
うんうんとうなずく種山。
「そして、あなたはあのころすでにマクロビアンだった。そうでしょ」
「はい。これはもう体質的なものでしてね。子供のころから、肉や卵には強いアレルギー反応を起こしたものですから、あの村にも玄米持参という感じでした。二、三カ月分もの玄米を担いであの村への山道を登るのはほんとうにつらかったですよ」
「つまり、映画とマクロビってわけですね」
わたしは驚いて合いの手を入れた。
「そうなんだよ。それほどまでに、ハルさん、あなたはカズさんに影響を与えていたんです。彼が展開した一見無軌道な新ビジネスは、すべてあなたへのオマージュであると同時に、あなたへの挑戦だったんですよ」
なるほど。わたしはかなり感心した。無謀な事業拡大だと思っていたものが、実はこんなところに根拠をもっていたとは。
「そこまで、意識してくれていたとは、カズさんにもっと感謝せねばなりませんね」
春山は、少し眼をうるませた。
「さて、少し横道にそれたので、話を本筋に戻しましょうか」
「はい」
「つまり、誰も出入りしなかったわけではない。まずは追加注文の品を持ってきたときに一度、そして、同じく食器を回収にきたときにもう一度、マクロビキッチンのスタッフが入っていたわけです。そして、代表室にも」
「あっ」
わたしも思い出した。確か、春山は焼米のスパゲティを追加注文してから、奥の部屋にこもったのだった。
「そうです。それはつまり、彼らはあなたの部屋にも二度入ったということを意味する。おそらくその時間が、十時過ぎと一時前だったのではないでしょうか。これは後で秘書や社員の方に尋ねればすぐにはっきりすることです。大きなワゴンで彼らはやってきた。そして、部屋に入ってきた店員はあなたに声をかけたはずです。
『お久しぶり』
あるいは、
『元気そうだな、ハル君』
とかそういう感じじゃなかったかなと推測しますがね」
「なるほど、それがカズ君だった。あまりの驚くべき展開にわたしは彼の勧めるまま生来のいたずら心でワゴンの中に身を潜めて出て行ったとそうおっしゃるわけですね」
(第22回 了)
* 『ムネモシュネの地図』は毎月13日に更新されます。
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