第52回蛇笏賞の発表号で、有馬朗人さんと友岡子郷さんが受賞された。有馬さんは言わずと知れた俳句界の重鎮で、今さら賞が必要なのかいという感がなくもない。もちろん友岡さんもキャリアの長い俳人である。現代俳句協会賞や詩歌文学館賞などの受賞歴もある。しかし有馬さんとは対照的に、俳壇を背負って立つような気持ちはないようである。
私自身は生来のマイナ-・ポエットであることを恥じたことはありません。むしろそうでありたいと願って来ました。私は学童疎開の世代、戦後騒がしい軍部の怒声から解放されて、やっと心和むひとときを与えてくれたのが、立原道造、中原中也、中勘助の『銀の匙』などの詩文でした。(中略)
至りついたのは、今は亡き飯田龍太先生で、二十五年間休まずにその選句を受けました。その選句を通じて、本物の俳句・俳人らしさを学ばせて頂きました。
(友岡子郷「受賞の言葉 皆さまへの感謝」)
友岡さんは昭和九年(一九三四年)生まれなので戦中派である。「生来のマイナ-・ポエットである」と書いておられるのは、友岡さんが長く飯田龍太主宰の「雲母」同人であり、「雲母」終刊後に「椰子」や「柚」などの句誌を創刊したが、それらを大結社にまで育てて後進を導かなかったことを指しているのだろう。俳句メディアに頻繁に登場する人ではないし、俳句界の要職にも就いておられない。ただ友岡さんが俳句を始める前に、立原道造や中原中也といった詩人たちに惹かれ、中勘助の『銀の匙』を愛読したことはその俳句に大きな影響を与えている。
俳壇には主流派が厳然としてある。若い頃はともかくとして、一定の年齢を超えれば主流派の仲間入りをしているか、確固たる人脈を築いていなければ賞などまず落ちてこない。だからマイナー・ポエットには――反主流派とまではいかないが――賞やメディア選者とは無縁の末席俳人というニュアンスがある。しかしマイナ-・ポエットの本来的な意味はそこにはない。
詩の世界でマイナ-・ポエットと言う時、それは自己の興味にひたすら忠実であった詩人を指す。立原や中原、中勘助はそういった詩人・作家たちである。壊れやすい自らの幼年時代の記憶や、母親や初恋の女性への愛慕などをひたすら作品で掘り下げた。その一点突破的な詩の深化がある時、広々とした社会的地平に突き抜けることがある。友岡さんの『海の音』が評価されたのは、彼が俳壇マイナー・ポエットだからではなく、マイナーな探求がある社会性を得たからだろう。
病身やすみれはすみれ色に咲き
研ぐべきはみな研ぎ了へし立夏かな
空の奥にも空ありて五月の木
音といふもの薔薇になし雲になし
一月の雲の自浄の白さかな
絶壁の落椿また落ちゆけり
漂白されたような秀句である。「すみれはすみれ色に咲き」と撞着的な表現が並ぶが、それは「研ぐべきはみな研ぎ了へ」ているからである。諦念に近いような静観はあるが、作家はまったくもって絶望と無縁だ。何事にも激しく動揺しない心性に到達している。だから「空の奥にも空」があり、「一月の雲の自浄の白さかな」と、白がさらに漂白されて白さを増す。現世を遠くから俯瞰しているような視線だ。
かなかなや同い年なる被爆の死
鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
梨青し早世を強ひし世のありし
人間は、当たり前だが生きている間に様々な社会的大問題に直面する。それをどう表現するのかで作家の思想的立場がはっきり示される。友岡さんらの世代にとって、戦争は避けては通れないテーマの一つである。渡辺白泉のように「戦争が廊下の奥に立つてゐた」と不穏を表現することもできるし、金子兜太のように直截に「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」と批判意識を露わにすることもできる。しかし友岡さんの戦争への対峙の仕方は大方の戦中派俳人とは異なる。
「かなかなや同い年なる被爆の死」は、微かな戦争批判を含みつつも挽歌である。「梨青し早世を強ひし世のありし」にも漂白されたような悲しみが表現されている。芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」で、生命力の象徴である夏草の緑と古戦場を対比させたように、「かなかな」「梨青し」という自然(季語)がこれらの句を際立てている。他の表現ジャンルにはない俳句文学独自の特徴を突き詰めてゆけば、草木も人間も同じだと捉える心性になるだろう。いっけん絶望的な無常観のようだが、俳句では自然の循環性こそが世界観なのである。そこには力強い再生と希望が表現されている。
「椰子会」解散
水中花わがことのみの机とす
いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
手鞠唄あとかたもなき生家より
どの波も春の瞬き乳母車
置きどころなく児を抱いて春の磯
処方箋一枚に南風吹く日なり
思ひ出は濃くなる雨のかたつむり
父の日の船影遠くとほくなる
夭折なれば
母を知らねば美しきいなびかり
死に泪せしほど枇杷の花の数
友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
私事が表現された友岡さんの俳句である。「置きどころなく児を抱いて」と子どもを持て余す父親の姿が描かれるが、「春の磯」と受けられたことで一つの了解が確定する。それは寄せては返す人間の営みであり、かつ季節は暖かい春から夏へと向かう。「思ひ出は濃くなる雨のかたつむり」では過去の記憶が渦を巻き、殻に包まれたかたつむりという生き物=言葉=イメージへと収斂している。
俳句はとても短い表現であり、多くの俳人が口を酸っぱくして言うように、日々のささやかな出来事を詠むのに適している。それが俳句を詠む人の楽しみになり、生きがいになる。またプロを自称する作家であっても、日常的な感情の起伏を捉えて俳句を詠まなければ作品を量産することはできない。しかし俳句を文学として独立した高貴な表現にするためには、詠むのが楽しいだけでは不十分である。
友岡さんの俳句には、何の変哲もない日常的感慨表現である俳句を、文学のレベルまで高める機微が鮮やかに表現されている。「水中花わがことのみの机とす」は友岡さんの句誌「椰子会」が解散した際に詠まれた句だが、「水中花」でなければならない。忸怩たる無念は水の中に沈められ、ある形と色を持って開き続ける。「友の訃ははるけき昨日きんぽうげ」を支えているのは「きんぽうげ」である。可憐な花だが、その現実の姿形とともに、音感がとても重要で効果的だ。感情の泡立ちをどのような自然で受けるのかが細心の注意を持って選択されている。
一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
漁と農たがふ家形初明り
足音もなく象歩む晩夏かな
かみそりの刃に水仙の光あり
はるかなる白波とどき初雀
封筒の内にも春の潮のいろ
冬麗の箪笥の中も海の音
「足音もなく象歩む晩夏かな」といった、なんの前提もなく現れたような句が一番友岡さんらしい作品かもしれない。実際にそういった光景を見たかどうかは問題ではない。ただ象のゆったりとした歩みが「晩夏」という季節を規定し表象している。俳句がプライベートな感情から始まって社会性を得るということは、こういった飛躍にあるのではないかと思う。この句を読んだ人の何人かは、夏の夕暮れに「ああ、象が歩いてゆく」と、なにもない空間に象の姿を幻視するだろう。
岡野隆
■ 友岡子郷さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■