Interview:ドイナ・チェルニカ インタビュー
ドイナ・チェルニカ:1949年生まれのルーマニア人作家、翻訳家、ジャーナリスト、スチャ―ヴァ県出身。児童小説をはじめ、紀行文、エッセイ、記事を集めた著作で知られる。ルーマニア人作家連盟や、ルーマニア人ジャーナリスト連盟による高い評価を受け、国内外で様々な賞を受賞している。児童小説はフランス語、スペイン語、ポルトガルやウクライナ語に翻訳されている。『少女と亀』は二〇〇四年キシナウ国際児童文学祭(モルドヴァ)で表彰され、スペインのアリカンテ大学の授業でルーマニアの現代児童文学を代表する作品として輪読された。『少女と銀狐』は、フランスのティオンヴィル市にあるヨーロッパ芸術文学振興センターによる「トルキーン賞」を受賞(二〇〇九年)。ジャーナリズム勲章を受賞し、生まれ育った町、ヴァマの名誉市民でもある。フランスのテルヴィル市で、「優れた文体と物語作家としての才能」が高く評価され文学大賞を受賞。
文学金魚で連載中の『少女と銀狐』の著者、ドイナ・チェルニカさんへのインタビューです。インタビュアーは訳者のラモーナ・ツァラヌさんです。ラモーナさんは『少女と銀狐』を最もルーマニア的な児童小説であり、「客観性をまとった論よりも、一つの物語のほうがルーマニア文化の「心」となるものを率直に伝えることができると信じて」日本語翻訳に取りかかりました。ドイナさんには創作の秘密だけでなく、ルルーマニア文化のルーツ、EUとの関わり、正教との関係など、幅広く語っていただいています。
文学金魚編集部
■作家になるきっかけ■
ラモーナ チェルニカさんは作家であり、ジャーナリストでもあります。作家になるきっかけは何でしたか? そして、作家活動のなかでインスピレーションをどこから得ていますか?。
ドイナ 本好きの家に生まれました。両親は読書好きで、家に本がたくさんありました。母は、物語を語るのが好きで、三人の娘たちによく物語をしてくれました。その物語は、時には読んだもので、時にはどこかから聞いたもの、そして時には作り話だったのね。そしてたまに、なにかしらの理由で物語を終わらせなかったりしていたので、私が妹たちのために、母に代わって物語の終わりを作りあげていました。
文字が書けるようなってから、物語を紙に書いてみました。もう少し大きくなって、次女はその物語に絵を描いてくれました。彼女は画家になったのね。画家のダニー・マドレン・ザルネスクです。そして、三人とも大人になってから、一番下の妹、ペローの童話についての論文で博士号を取った翻訳研究家のムグラシュ・コンスタンティネスクは、私が書いた物語をフランス語に翻訳してくれました。
そんなふうに、私たち姉妹は三人とも、何かしらの形で物語とずっと縁がありました。特に私はね。一番年上なのに、ある意味で一番幼かったですけど(笑)。それは、物語が子ども時代の魅力と深く関係しているからだと思います。私は物語を書くだけではなく、いまだに新しい物語を読んだり、再読したりしていますから。
とはいえ日刊新聞でジャーナリストとして一生勤めましたから、残念ながら思うほど物語にかける時間はありませんでした。物語を書くには、インスピレーションや物事を静かに考える時間、一人でいられる時間、喜びや複雑な感情などが必要です。そのため、どちらかというと、私の新聞記事を集めた本、旅行記、翻訳した本などのほうが、物語の本よりも先に出版されてきました。
インスピレーションは作家にとってもちろんとても重要です。それについて、面白い日本の昔話があるの。一人の彫刻家とトカゲについてのお話です。彫刻家はある日、生きているトカゲが彼にしか見えないと気づき、怖くなってトカゲを殺してしまいました。それ以来、彼が造っていた素晴らしい銀のトカゲは、だれも欲しがらなくなってしまったんです。以前はとても人気があったんですけどね。インスピレーションというものは、個人的な才能であり、繊細で不思議なものです。守らなければならないものであると同時に、価値あるものを作るために使わなくてはならないと思います。
私がインスピレーションをどこから取っているかというと、自然と文化です。自然は直接的で強く、しかし目に見えない形で、無意識的に私の書いているものに影響を与えています。そして読書好きで旅行好きである私の資質も、文章に表れていると思います。『少女と銀狐』を作るにあたっては、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を意識しました。あの物語とその主人公がとても好きで、あの男の子に彼と同じように物事を深く考える、世界のことを知りたがる女の子を重ね合わせたかったんですね。
自然のことですが、七歳までスチャーヴァ県のヴァマという村にいましたから、緑豊かな場所で育ちました。その後はクムプルング市に引っ越したのですが、その街も山のふもとにあり、家はモルドヴァ川のほとりにありました。家から川まで草原があって、川の向こうには森がありました。子どもの頃は大自然に包まれていましたから、天国のような場所で育ったような気がします。私にとって自然はいつも近くにあったので、それが文章にも表れます。
ラモーナ 『少女と銀狐』の話になりますが、文学金魚の編集部も、森の中で展開する物語だと気づいています。
ドイナ ルーマニア人と森の関係は、私たちの歴史をさかのぼると、よく出てきますよね。国が侵略されるたびにルーマニアの人は森の中へ隠れて、森に守られながら体制を整えてから戦ってきましたから。そんな歴史的背景があるから、「ルーマニア人はもみの木と兄弟だ」という比喩も生まれたのだと思います。今でもわたしたちは、森がなければ生きていけないという信念を受け継いでいますし、子どもたちにもそれを伝えています。だから近年続く、森林伐採にとても不安を感じています。地球温暖化に加担していますしね。しかしこれはもう物語の領域を超えた話です。
■ルーマニア革命■
ラモーナ ルーマニアにとって、一九八九年(ルーマニア革命によってチャウシェスク独裁政権が倒されてルーマニアは民主化された)は大きな転換期でしたが、チェルニカさんにとってあの革命はどのような意味がありましたか? 人生とキャリアはそれによってどのように変わりましたか?。
ドイナ 一九八九年は、ルーマニアの歴史において一つの分岐点でした。あの時の大きな変化は政治的、思想的、社会的な制度におけるもので、その結果、ルーマニアという国や、ルーマニア人の運命に非常に大きな影響を与えています。それは見える形の変化と、まだよく理解されていない変化です。ジャーナリストとして、取り上げることができるテーマにたくさん制限があった抑圧的な時代から、個人のプロ意識や良心が問われる、とても自由な時代へと変化しました。
例えば革命前は、宗教的な祝日や教会、修道院の文化などについて記事を書くことはできませんでした。そのため革命後になって、新聞の連載で先祖にまつわる文化を取り上げました。我が国でははとても大事な文化ですからね。それに文化人であり、教育者でもある神父たちや修道士、修道女たちにもインタビューをしたりしました。
ジャーナリストとして取り上げることができるテーマは、革命後幅広くなり、恐れず自由に書けるようになったのです。しかしその自由も、ずっと続いたわけではありません。なぜかというと、現在は新たな経済的支配に縛られているからです。一九八九年以前は何をするにしても共産党の許可が必要でしたが、現在はスポンサーの支援がないと何もできない時があります。いくつかの条件を満たさないと支援を受けられないわけですから、これもある種の抑圧です。
もちろんより多くのテーマを取り上げられるようになったことは、とても大事ですね。ジャーナリストの責任が重くなったことも、ポジティブな変化だと思います。以前は検閲があって、それを気にせざるを得なかったのですが、現在はすべてがジャーナリストのプロ意識にかかっています。取材の際の質問でどこまで踏み込むのか、記事のストーリーは誰かのため書かれ読まれるのかなどを、常に考えなければなりません。
ジャーナリズム以外の話をすると、私は旅行記作家として、翻訳家として、革命後はより幅広く活動できるようになりました。物語作家としては、ずっと歩んできていた道を続けながら、その道をより豊かにするよう心がけています。
■ルーマニアとEU■
ラモーナ ルーマニアがEU加盟国であることは、チェルニカさんにとってどのような意味を持っていますか?
ドイナ 全体的に言えば、ルーマニアがEU連盟に迎えられたことは良かったと思います。ルーマニア人にとって、EU加盟国であるのは光栄なことですが、そのために払わないといけない代償もあります。
例えば地元の商品よりも、輸入品が大事にされていますね。これはある程度、EU連盟の基準や優先順位に沿っているからではあります。しかし日常生活では私たちは気づかなかったりしますが、それは個人で物づくりをしている人たちに大きな影響を与えています。それに大勢の人が外国へ出稼ぎに行っていますね。いい側面もありますが、あまりよくない側面もあります。多くの子どもたちが、祖父母と暮らしながら育っているんです。傍にいてやらなければいけない親が、数年間とはいえ家を空けるのはあまりよくないですね。欧州市民として有利な権利を得たのは確かなんですが。
個人的にはルーマニア語が、EU連盟の公式言語の一つになっていることには誇りを感じています。できるだけルーマニア人にも、この「公式言語」というステータスを大事にしてほしいですね。たとえばルーマニアで国際学会が開催されるとき、発表がルーマニア語で、またはルーマニア語通訳付きで行われるようになれば良いと思います。現状はだいたい違いますからね。
■『少女と銀狐』■
ラモーナ チェルニカさんの著作の中で、『少女と銀狐』はどのような位置を占めますか?。
ドイナ 『少女と銀狐』という童話は、自分の創作においては特別な作品です。本心を言えば、世界文学が誇る質のいいファンタジー小説と肩を並べるような、ルーマニアの民族文化の要素を取り入れた物語にしたかったんです。
今振り返るとこの物語のきっかけの一つは、ピーター・S・ビーグルのファンタジー小説『最後のユニコーン』(一九六八年)を読んだ時に感じた大きな魅力と喜びだったと思います。ですからラモーナさんに気にいっていただき、文学金魚の読者に推薦していただいたことがとても嬉しかったです。この小説はポルトガル語にも翻訳され、ポルトガルに出稼ぎに行っているルーマニア人の子どもと、彼らのポルトガル人の友だちへの贈り物として出版されました。またフランス語版はティオンヴィルの芸術・文学ヨーロッパセンターのトールキン賞を受賞し、それも私には大きな喜びでした。その受賞のおかげでこの小説は現在、ティオンヴィル周辺のルクセンブルクやドイツの図書館にも置いてあります。
ラモーナ この物語をいつ、どうやって書いたのですか?。
ドイナ それは自分もよく覚えていませんね(笑)。物語を書く時にはよくあることですが、人物はある程度、物語自身によって作りあげられている面があります。意外なことが起きたり、予期していなかった展開になったりするのです。この物語は私の中で自然に生まれ、長い間心の中にありました。だけど、そもそもどうして「銀狐」でなければならなかったのはよくわかりません。ルーマニアの民族童話に出てきそうな登場人物にしたかったんでしょうね。そこに母親のイメージを投影したかったのです。神話における母親のイメージ、宗教における母親のイメージ、昔話に見られる母親のイメージなどが銀狐に集結しています。
ラモーナ 『少女と銀狐』の世界観は、日本の読者にはちょっと驚きだったと思います。ルーマニア人作家による創作なので、もっと正教の影響が強いんじゃないかと予想していた人もいると思います。あえて説明すると、『少女と銀狐』の世界観はどのようなものですか? 汎神論的な世界観でしょうか? この物語における世界観の原点はどこにありますか?。
ドイナ ルーマニアと日本はユーラシア大陸の西と東でこんなにも離れていますから、文化が違うのは当然です。驚きがあるのも当たり前だと思います。私たちも、日本の童話を読んで、驚くことがあります。
『少女と銀狐』の世界観は、ルーマニアの民族文化の世界観です。例えば、蛙の子は、ルーマニアの昔話でいつもきれいな水が出ている泉の象徴ですね。悪党になっている登場人物は、ほとんどが空想か、昔話に出てくる悪党をモデルに作り上げました。
ルーマニア正教のことですが、この物語からは、正教の倫理観への尊敬が感じ取れるんじゃないかと思います。ただしこの倫理観は、もともとのルーマニア民族文化にあります。悪事を働かないこと、困った人に会えば助けることなどの倫理観です。私たちが先祖や親を大事にしていること、特に子供の親への愛情、そして母の愛といったものを、この童話の裏付けとなる感情にしたかったのです。
もちろんそれらはルーマニア特有の文化や、宗教の特徴であるわけではありません。このような感情は人間すべてが持っています。このような感情のおかげで、私たちはみんな一緒なのです。そんなテーマを持つ物語の中に、とても好きな日本の昔話があります。『蛇の目玉』という物語です。神の怒りに触れて蛇に変えられてしまったお母さんがいて、子どものために自分の目玉をささげてから、独りぼっちで闇の中で死ぬ準備をします。彼女を救い、人間の姿に戻せるのは無条件の愛だけです。その愛を息子が彼女に与えます。
■日本の読者のみなさんへ■
ラモーナ 『少女と銀狐』の日本の読者のみなさんに伝えたいことはありますか?。
ドイナ この物語が日本で読まれていることは、私にとって大きな喜びです。この物語を日本語に翻訳するほど気に入ってくださったラモーナさんに感謝しています。私はいつまでも少女で、この世界のすべての少年たち、少女たちと兄弟姉妹ですからね(笑)。この物語を日本で読んでくれているみなさんに、感謝申しあげます。
(2018/09/11)
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