エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングズ。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングズの処女作『The Enormous Room』の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第四章 新入り
ラ・フェルテ・マセは刑務所じゃない、正しくは家畜選別所もとい選別収容所だ。要するに、そこに送られた連中は勾留されて委員会にかけられる、委員会とは役人、弁護士、憲兵隊長の三人から成る一団で、収容所を査閲して容疑者各人を順番に取り調べてその罪科を判定するんだ。委員会の有罪判決を受けた場合、男も女もで戦争が終わるま正規の捕虜収容所にぶち込まれる、もし無罪なら、(理論上は)釈放される。委員会がラ・フェルテを訪問するのは三ヶ月に一度。言っておくけど委員会の取り調べを二回、三回、四回、五回までも受けたのに、はっきりと判決を下されないままの男たちもいた、ラ・フェルテに丸一年、あるいは一年半も拘留されたままの女たちもいた。
ラ・フェルテ当局も所長、またの名を大王陛下と、看守たちを配下に置いて収容所の管理運営においては所長を輔弼する立場の監督官、そこに事務官(会計係だ)を加えた三名で成り立っていた。助手としては、監督官に郵便係が一人ついていて時どき通訳としても働いた。週に二回はフランス軍の正規軍医(軍医将校)が収容所を訪問し重篤な患者の診察と女の性病の定期検査をすることになっていた。軽い病気や怪我の手当ての日課はリーシャール(リチャード)殿の手に委ねられていた、この男はおそらく世の中の誰よりも医学の心得が無く俺たちと同じただの囚人なのだが、文句のつけようがない働きぶりに免じて居心地のいい部屋を与えられていた。掃除係は所長代理の監督官によって、ラ・フェルテの住人のうちから一人不定期に任命される、賄い方の助手も同様だ。正規の賄い方のほうは固定職で、マルグリーテやリチャードみたいな他の固定職と同じくドイツ野郎だった。これでもし所長その人の風体や立ち居振る舞いが一点の陰りもなくドイツ野郎という単語から想起しうるそれを体現するものでなかったとしたらそれこそ変な話だ。
「くそったれだよアイツ」とBは心を込めて言った。「二日前にここに来たときにアイツの前に連れてかれたんだ。俺を見るなり『馬鹿たれの異教徒が!』ってわめきやがった、そのあとも散々な言われようだったよ、我が国の恥、解放への聖なる大義の裏切者、見下げ果てた腰抜け、あとちんけなこそ泥とか。あいつがまくしたてたあとで言ってやったんだ、『フランス語はわかりません』あのときのあいつの顔見せてやりたいよ」
男女の隔離の強制は、実は首尾よくいっているとは言えず、むしろ賞賛ものの残忍さをもってなんとか維持していた。男女を問わずおかず抜きと懲罰房の罰に処せられた。
「懲罰房って一体なんなんだよ」と俺は訊いた。
懲罰房はひとつではなかった。男用女用の通常の懲罰房のほかに、それぞれ予備の部屋がある。Bはハリィとポンポンから一から十まで聞いていた、二人はほとんどずっと懲罰房暮らしなんだ。部屋は九フィート四方で天井までは六フィート。明かりと床がなく、直に立居する地面(三部屋は一階にあった)は常に濡れていて何インチも水浸しになっていることもしょっちゅうだった。懲罰房入りの者は入居時にタバコを持っていないか探られ、藁布団と毛布はお預けになり、板を何枚か敷いただけの地面に寝るように促される。懲罰房入りのためにはべつに異性に手紙を書いたり、看守のことを根性なしと呼ぶまでしなくてもいい――ある外国人の女は、自国大使館へ宛てた書状を事務所に通さず(事務所では郵便係によってすべての手紙が検閲されラ・フェルテ当局やその処遇に対して不興を買うようなことが書かれていないか確かめられる)こっそり外部に持ち出そうとしただけで二十八日間の懲罰房入りになった。彼女はそれまでに三度書状をしたため、規則通りに、監督官に提出したが、ついぞ一通も返信がなかった。フリッツもまた、拘束された理由がわからないのでなんとしてでも自国の大使館に連絡をとろうとし、同様に何通か手紙をしたため、最大限の注意を払って事実のみを書き記したものを律儀に事務所に提出した、が一文字たりとも返信はなかった。こうしたことから導き出される明白な結論として外国人が自国大使館に宛てた手紙はしかるべく監督官の手に渡ったあと、ラ・フェルテの外に出ることはまずありえないんだ。
Bと俺が脱・第二十一衛生分隊という神の贈りたもうた奇跡について話に花を咲かせていると、薄くなって白髪混じりの髪の下の温厚そうな顔にベンジャミン・フランクリン風の表情を浮かべた五十前後の御仁がフェンスの反対側に現れた、俺が例の巨漢の雄牛に衝突したあとで通り抜けた戸口の方からだ。「看守さん」と御仁は重々しい声で木製義手の看守に呼びかけた、「二人水汲みに出ます」出入り口にはハリィとポンポンがすでに年代物の給水車を準備していた、ハリィが後ろから押す係でポンポンは長柄の間に入っていた。中庭の守り人がその方へ歩いて行き、もう一人の看守が水汲み任務の護衛役として獄舎の角に待機しているのを確かめて出入り口を開けた。中庭から少し離れた所で、中庭を仕切っていた石壁(男女の庭を分断する石壁と平行に延びた壁のことだ)が獄舎とぶつかる、そこに観音開きの巨大な門扉があり、南京錠が二重に掛けてある、その門をくぐって水汲み人夫たちが街路に出て行った。街路を二百から三百ヤード行った先に給水栓がある、らしい。賄い方(ベンジャミン・Fがその人だった)では給水車で三回ないし六回分の水汲みが日に二度必要だった、そして水源確保の重労働の駄賃として水汲み人夫には一杯のコーヒーがふるまわれるのが習わしだった。今度は俺が誰より先んじて水汲み役を買って出ようと決意したよ。
ハリィとポンポンは三往復目で最後のおつかいをやり遂げ、舌鼓を打っては手の甲で口元を拭いながら炊事場から戻ってきた。俺がどんより濁った空をぼうっと眺めていると、戸口の方で怒鳴り声が響いた。
「上がれ、きさまら!」
牛頭使のやつだ。俺たちは一列になって中庭を引き上げ、戸口をくぐり、奥は炊事場だという小さな窓の前を通り過ぎ、じめじめした廊下を進み、階段を三つ上り、大部屋の戸の前に立った。南京錠がはずされ、鎖がガチャガチャ鳴り、戸が開け放された。俺たちは中に入った。大部屋は音も無く俺たちを受け入れた。背後で戸がバタンと閉まり看守が錠をおろした、ねじくれて小汚い階段を降りるやつの足音が聞こえた。
(第21回 了)
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