エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングズ。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングズの処女作『The Enormous Room』の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第四章 新入り
中庭の様子をいくら写生してみても庭番の看守の多岐に渡る務めを列挙し忘れたら画竜点睛を欠くというもの、以下はその細目である。男には水平鉄棒を使わせないようにすること、ただし懸垂する場合を除く、理由は鉄棒の上に体を回し上げると壁越しに女用の中庭を一望できるため、またその中庭のほうへ壁越しに物を投げ入れる者が出ないように気をつけること、地面の傾斜を活かして番小屋めがけて一直線にものすごい速度で転がってくるという摩訶不思議な習性を持つ砲丸を躱すこと、便所に長居する者を厳重に見張ること、万が一にも壁越えに悪用されないようにとの配慮から、また誰も梁材に登らないように気をつけること、理由は右に同じ、さらに小屋に入った者の見張りを怠らないこと、全員が便所付近の壁に向かって品よく立ち小便をするように気をつけること、狙い澄ました木片や石ころがひっきりなしに飛んできて聖なる果実を打ち落としにかかる林檎の木を防衛すること、坂の上手側の通用口を許可のない者が勝手に出入りしないように用心すること、庭の男囚と女子用翼舎の窓辺(俺がご挨拶をいただいた窓もそこにある)に居座る女囚の間で交わされた合図、言葉、印の品、その他の不品行な行いはどんなものでも一つ残さず報告すること、その際窓辺に見えた女囚の名前も付すこと、男囚の散歩中に女子の姿が窓辺に垣間見えることは体のほんの一部分でも罷りならぬと禁じているため、喧嘩が起これば仲裁に入り就中馬車の長柄を武器にも盾にも使わせないようにすること、最後に、手押し車を押した掃除係が向かい側のフェンスにある裏口を使い、いきおい番小屋の近くを通り過ぎて、ごみを捨てに行くときには目を離さないでいること。
散歩中の男の自由を制限する諸々の禁止項目を俺に叩き込んだのち、友人一同はともすればなんとなく気だるい朝の景気づけに命令も規則を片っ端からぶち破り出した。フリッツは、十五回の懸垂運動の後、ひょいっと鉄棒にまたがって、案の定大目玉を食らうし、ポンポンは看守めがけて砲丸ボウリングに興じ、口を衝いてあふれ出す下品極まるフランス語で詫びを入れる、オランダ人のハリィは馬車の長柄を軽はずみに中庭の半ばまで放り投げ、熊さんをあと一インチのところで掠める、熊さんは熊さんで機を伺いながら聖なる木立の一本めがけて大きな棒切れを見事に投擲して見せ、しなびた林檎がひとつ地面にぽとりと落ちると少なくとも二十人による争奪戦が数分間続いた、等々。なによりも気ままな振る舞いは官吏の憤慨などものともせずに窓辺でこの朝を楽しんでいる女たちの目の保養に捧げられていた。地面の梁材はレース場になっていた。小屋の屋根の梁にも人がよじ登る。散水車は所定の位置から動かされていた。便所の使い方も小便の仕方も滅茶苦茶。通用口でも喉が渇いた、隅にある水瓶で渇きを潤さなければと訴える連中が出たり入ったりしっぱなしだった。手紙の礫も人目を盗んでは石壁越しに女用の庭へと投げ入れられていた。
こうした無礼千万に頭を悩ます看守は生真面目な若者で青っ白くて無表情な楕円形の顔に聡明そうな双眸がかなり離れて並んでいる、顔の下方にはふわふわした毛がひと房こびりついていて、さながら卵に一本羽毛が生えているみたいだ。体の残りの部分はいたって普通だが両手だけが例外で、不揃いだった、左手がかなり大きく、木でできていた。
この奇抜な見てくれにはじめこそ多少面食らいもしたが、やがてわかったのはどうやら二三人の例外、つまり例の巨漢に代表される監督官付きの生え抜き官吏たちを除けば、ここの看守たちはみな健康とは言えないらしいってことだった。彼らは実のところ仏政府が事あるごとにラ・フェルテや他所の似たような施設に小旅行にでも出すように派遣した傷病兵だった、こうした療養環境に身を置いて健康体を恢復した暁には世界安全保障、民主主義、自由、その他諸々に殉ずる兵士の本分を全うせよと塹壕に送り返された。もうひとつ学んだことは懲罰房行きを勝ち取るあらゆる手段の中で最も簡単だと断言できるのが看守を、生え抜き看守ならなお確実、言うなればあの巨漢のことを(これに関しては特にキレやすいことで有名なんだ)根性なしというあだ名で呼んでやることだった。連中は地獄耳でね。その聴力ときたら大勢の男囚のおかげで、またそれ以上の若い女囚たちのおかげさまで(看守のやつら、なにかっていうと女の弱さにつけ込む性質なものだから、彼女たちには特に忌み嫌われていた)肺病病みの四六時中の咳き込みにまぎれても聞き咎められるというお墨付きだ、こっちの中庭の向こう端から隣の中庭まではっきり聞こえるような発作なのにだよ。
たかだか二時間あまりの間に俺はラ・フェルテそのものについても驚くべきことをたくさん学んだ。まずここは男女共学の受け容れ先でフランスのあちこちから人が送還されてくる、(a)スパイ容疑の男とか(b)戦闘地帯でもお構いなしということでも有名な女たちなんかがね。そういった人種を探してくる仕事はそう大変でもないらしい。男のほうは、中立国出身(たとえばオランダ)の外国人なら、みんなしょっぴいてくればいいし。女のほうでも、同盟国軍が撤退戦続きなら、戦闘地帯は(ベルギーなんてまさにそうだけど)常々新しい街を巻き込んでいくことになるわけで、するとその辺りにいた売春婦たちは自動的に逮捕対象になった。だからってラ・フェルテにいる女たちが全員売女だってわけじゃない。まっとうな女もたくさんいた。囚人の奥様方などがそうで、男部屋の階下の部屋で定められた時間だけ亭主と面会することができたが、その場へは男も女も看守たちによってしかるべき時間に別々に案内された。囚人の妻らがなんらかの告発を受けたわけではもちろんない、彼女たちは志願囚だった、亭主の傍で営むこの暮らしの自由を択び取った人たちだ。彼女たちの多くには子供がいる、なかには赤ん坊だっている。まっとうな女は彼女らばかりではない、男の場合と同じく、その国籍のために娑婆を追われた女もいた、たとえば洗濯女のマルグリーテ、彼女はドイツ人だった。
(第20回 了)
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* 『伽藍』は毎月17日に更新されます。
■ e・e・カミングズの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■