「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
詩人発電所①〜ステレオタイプ調査部門その1
「みなさん、勘違いしがちなんですけど、詩とは創作物じゃないんです。詩は、なんていうか、コピーなんです」
所長はそう言いながら、長い廊下の先頭をゆっくり歩き続けた。
思ったよりも体格が良くて、こういう施設の所長というと思いっきり細身の、どこかの映画俳優みたいな体躯か、もしくはその逆でウエストサイズが樹齢百年を迎えた大木のような人間なのかと思ったら、そのどちらでもなく、どちらかといえばラグビーでバックスを任せられるような、がっちりとした身体つきをしていた。
所長は話を続けた。
「例えば、あなたがなんでも好きなように詩を書いたとします。でもそれはあなたの創作ではなく、誰かの詩をコピーしたものにすぎません。でも、それでいいんです。誰かの詩をコピーする行為を経てあなたが書く、それがあなたの詩なのです。もちろん、あなたがコピーしたその「誰かの詩」もまた、別の「誰かの詩」をコピーしたものに過ぎません」
詩とは、そういうものなのです。
俺は自分の後ろを歩く智代使のことをそっと振り返った。俺にとって唯一の部下である彼女は、俺と目を合わせて黙ってうなずいた。「変なさぐりを入れないほうがいい」の合図だ。
去年、都内の大学を卒業したばかりの彼女ではあるが、彼女の直感はこのクソッタレの世の中で、信ずるに値する数少ない貴重なものだということを、俺はこの2年間同じ職場で時間を過ごしてきた仲間として、理解と実感をしていた。
リノリウムの匂いがまだ香るような、真新しい建物の廊下を3人で歩くと、ぺちっぺちっと足音が響いた。「リノリウム」という素材が果たしてどういうものなのかは知らなかったけど、その匂いはなぜか知っている自分がいることに驚きながらも、俺は所長の後を追った。突然、その背中が止まった。
「着きましたよ」
「ステレオタイプ調査部門」と、印字された扉の前で所長が振り向いた。その笑顔が本心なのかどうか、この仕事を15年以上続けている俺にも読めなかった。
やっかいな仕事だ、と俺は思った。
*
(少なくとも見た目は)ごく普通の家庭内にいる母親、的な女性が事務所を訪ねてきたのは、1週間ほど前のことだった。その女性の依頼内容は「私の息子がある宗教団体にの めり込んでしまい、困っている。その組織がいかに「クソッタレ」なものなのか、調査してきてほしい」という旨を、女性が事務所に足を踏み入れてから小一時間ほどたっぷりと、言ってしまえば々懇と説明されてしまった。
すっかり辟易してしまったこっちは、女性の話を頭の中で反芻しているかのようなポーズをとることにした。すなわち、首を少しだけ傾けながら顎に手を置いた。
「組織の調査というと、一筋縄ではいきません。ある程度の期間とお金がかかります」
「承知しています」
女性の瞳の奥の光からは、依頼を引き受けてもらえるまでは絶対にこの事務所を出ないぞ、という信念みたいなものが感じられた。
「お茶です」
智代が熱めの緑茶の入った湯のみをふたつ、高さが低めのテーブルの上に置いてくれた。だいたい、世の中のテーブルは脚が高すぎるんだ。女性はいかにも「事務、兼雑用係」という風貌(個人探偵事務所の事務を担当している女性は、廉価ものの婦人用スーツを着るべきだという風潮が現代日本にはあるのだ)の智代に向かって静かに、座ったままではあるけどお辞儀をした。
ふむ。
思ったより自分にとって、この女性の印象は悪くなかった。一方的に自分の話を思う存分繰り返すことでしか、自分を表現できないタイプ(それは自身の醜悪な偏見だという自覚もあったが)の女性かと思っていたが、どうもそうでもないらしい。
女性が湯のみを一口すすり、それ以上何かを話す様子もなさそうなので、俺のほうから会話を続けることにした。
「それに、このような組織の調査という依頼であれば、なにも私たちのような個人の探偵事務所に来なくとも、例えば組織によっては違法な広告を掲載していた過去もあるかもしれません。JAROと呼ばれる、日本広告審査機構に知り合いがいますので、紹介差し上げても」
女性は首を振った。
「広告などは一切出してないことはすでに存じております。それに、私は息子さえ無事ならばそれでいいのです。ですから、あなたがたのような「個別で」動けるような人たちにお願いしたいと思ったのですが」
ふーむ。
JAROに知り合いがいることは本当だった。なんとなく、この女性ならば紹介してもいいかなと思って提案してみたつもりだったが。
「いちおう、前金としてこのくらいの調査費を支払いさせていただくつもりです。ですが、やっていただけないとなると」
彼女はテーブルの端に置いていた旧式の電卓に手をやり、いくらかの数字を入力した。その液晶画面を智代が横目で見ていたのを俺は見逃さなかったし、自分の認識が当たっていることを数秒も経たずに悟った。俺の背中を、部下のはずの智代が足でこっそりと小突いてきたからだ。このやろう。
「いたっ」
「どうかされましたか?」
「いえ、何でもありません」
不思議そうにこちらを見る女性とは対照的に、智代は満面の笑みを浮かべ「引き受けましょうよ、相良さん」と、俺の名前を呼ぶその声を弾ませた。
やっかいな仕事になりそうだ。
俺は思った。
つづく
詩人発電所②〜ステレオタイプ調査部門その2
「さっきの話ですけど」
扉の前で俺は所長に訊いた。
「世にある詩がすべてコピーだとすると、この世に存在した最初の詩はどうなんでしょうか」
扉のノブに手を回しかけた所長の動きが止まった。肩が震えているのは怒りからではなく、笑っているからだということだけは理解できた。
「すみません、もう一度あなたがたのお名前をお伺いする無礼をお許し願いますか」
「相良です」
「小松です」
おれたちはいつものように、(できているかどうかはともかく、なるべくスマートに見えるように)ごくごく簡単な自己紹介をした。自己紹介に時間をかける人間は無能だと、先代の社長、すなわち俺の師にあたるひとりの探偵からの教えを、俺たちふたりは今も忠実に守っていた。
ありがとうございます、と所長はわざわざ振り返って丁寧にお辞儀をしてくれた。俺の弱点だ、すぐに感情にほだされそうになる。俺は探偵のくせに、接待に弱い人間である自分を自覚していた。
「相良さんが、僕の退屈かもしれない話をちゃんと聞いてくださっていて、それもちゃんとご理解してくださっていたことが嬉しいです」
所長はまるで俺の心の中を読んでいるかのように、お世辞めいた言葉を投げかける。けど、その表情は今まで以上に楽しそうなそれだ。案外、この人も接待には弱いのかもしれないなと、なんとなく想像したりした。
「というと」
「ご質問は、なんていうか、すごくまっとうなご質問です。詩というものが「誰かの詩のコピー」であるとしたら、世界でいちばん最初に書かれた詩は、いったいどのような存在なのか」
「はい」
智代が代わりに返事をしてくれた。俺は続きを促すように、うなずいてみせただけだった。
「ですが」と、所長は少し肩を落として言った。
「正直な話、僕はその「最初の詩」にあまり興味がないんです。もちろん、その問題も研究すべきひとつのお題であることは知っています。それを研究する部門も設けております。不本意ではありますが。なんていうか、その議論はいわゆる「卵が先か、鶏が先か」と大して変わらない問題だと思っています。あれ、卵と鶏の問題は近年、解決されたんでしたっけ」
俺にわかるはずがなかった。智代のほうを向くと、彼女も首を振った。
「まあ、それはいいでしょう。どちらにせよ、僕にとって「最初の詩」を書いたのが誰か、なんて大した問題ではないんです。僕にとって大切なのは、詩がコピーであることを証明すること、それに尽きます。それに関しては、僕が自分で積極的に取り組んでいる問題のひとつなんです」
わかったような、わからないような。
ひとしきり詩に関する(おそらくは大前提であろう)説明が終わったように感じられた。廊下には俺たち3人以外、誰も通らなかった。窓から見えるクヌギの木は、今にも紅葉しそうに葉が色づき始めていた。今年は数年ぶりに、秋らしい秋が訪れようとしていた。
「すっかり秋ですね」
智代がつぶやくように言った。
彼女は雄弁な人間ではないけれど、口数少ないその言動ひとつひとつの影響力たるや凄まじいものがあった。
俺は彼女みたいな人間こそが、政治家になるべきではないのかとも思ったことがある。優秀な政治家になるかはわからないけど、悪い方向へ流れる国家の顛末を食い止めてくれそうな雰囲気もある。なぜ俺はこんなにも彼女のことばかり書いてしまうのだろうか。話を戻そう。
智代の言葉でしばらく窓から見える外の景色を堪能していた俺と所長は我に返った。
「では、さっそく僕たちの研究部門のひとつをお見せしましょう」
「ステレオタイプ調査部門」の扉が開かれた。
音はしなかった。
つづく
詩人発電所③〜ステレオタイプ調査部門その3
扉を開いていちばん近くのデスクでは、ひとりの男が一人用のモニターにしては大きめのディスプレイで、数種類もの映画を同時に観賞していた。器用な奴だ、と俺は心の中で思った。
「ここはどんな活動をされている機関なんでしょう」
智代の問いに、所長は答えた。
「現代の世において、まかり通っている様々な固定観念、というと言い方が悪いですが、いわゆる「普遍的とされているもの」を調べる部門です。僕たちの研究の根幹のひとつ、といっても過言ではありません」
「いまいちピンとこないな」
俺が眉をひそめると、所長は笑って(さっきの子どものような無邪気さとは違う、こちらに寄り添ってくれるような「大人の」笑い方だった)、「そうでしょう」と相槌を打った。
「具体的にお見せしたほうが早いかと思われます。こちらの早坂君という彼は、世にあるゾンビの特徴、ステレオタイプを見極める仕事を今は担当しています」
なるほど、早坂君らしき彼が観ているのはすべて、ゾンビが登場する映画ということか。
「早坂君。今、いいかい」
所長の声に、早坂君という名の彼は「よくはないですけど、いいですよ」と、画面から目を離さずに答えた。所長はこの建物内で地位的にはトップの位に位置しているものだとばかり思っていたけど、実情は違うのかもしれない。
「君の仕事を、お客さんらに案内してもらいたいんだ」
彼のデスクはパーテーションで囲まれており、外からは見えないような仕切りがあった。彼だけでなく、少なくともこの部屋、このオフィス空間では皆のデスクがそのような仕様となっているようだ。今はコミュニケーションをとるために、あえて互いのデスク間の仕切りを外す会社もある中で、少し古風なこの感じは意外な気がした。
――いや、意外でもないか。
そもそも「詩人発電所」といういかにも怪しげな組織なのだから、こういう古風な部分があってもちっともおかしくないのかもしれない。どうも今日はこの建物内に入ってから、「普遍性」について考えてしまう自分がいる。これも知らない間に影響を受けてしまっているせいだろうか。こわいな、と俺は思った。
ご覧のとおり、と早坂君が口を開いた。
「モニターから目が離せないままでの説明になってしまいますが、よろしいですか」
かまいません、と俺が答えるより前に智代が答えてくれた。出来すぎる部下をもつと、自分の無能さに気付かされたりもする。世の中、うまくいかないことが多い。
「今、わたしが観ているのは3本のゾンビもの映画です。ゾンビもの映画、の説明までは省きますよ? (俺たちは「はい」とうなずいた)。その3本とはそれぞれ『ドーン・オブ・ザ・デッド』、『28日後』、『ワールド・ウォー・Z』です。これらのゾンビ映画に登場するゾンビには、共通する特徴があります。何かおわかりになりますか?」
映画なんて普段見ない人間からしたら、さっぱりな問題だった。だいたいゾンビものの映画を好んで観る人間がこの世に存在するなんて、俺には信じられなかった。まあ、好んで観る人間がいるからこそ、世界にはゾンビ映画が溢れているのだろうが。
「3本とも、ゾンビが走る映画ですね」
驚いたことに、智代が俺の横でそう言った。早坂君がちらりとこちらに視線を送ってきた。初めて彼の顔をはっきり視認できた。
「そのとおりです」
端正な顔立ちで、その瞳は大きくて丸くて、同性愛趣味のない俺でも「抱かれてもいいな」と思ってしまいそうになるくらいには美しい見た目であることが判明した。なぜか俺の胸の中にどす黒い何かが芽生えたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。
「ゾンビというものは基本的には「ゆっくり歩く存在だ」という概念がありました。ですが、『ドーン・オブ・ザ・デッド』以降は、ゾンビは走りもする存在になったのです。これまでこの部門では「歩くゾンビ」のステレオタイプに関する調査書をまとめてましたが、いよいよ「走るゾンビ」というステレオタイプに着手することになりました。わたしはその担当員として、走るゾンビ映画を片っ端から観賞して、それらのデータをまとめるという作業に取り組んでいます」
なるほど、言われてみればモニター上にある3つのウィンドウでは、ときどきゾンビが猛ダッシュする映像が流れていた。
「お前、ゾンビ映画観る趣味なんかあったのか」
「なんか、とはなんですか」
わざとふくれっ面をしてみせる彼女は「好きなんです。ゾンビもホラー映画も」と、その表情を崩さずに答えた。
「早坂さん、あ、初めまして、小松です。早坂さんもゾンビ映画好きなんですか?」
俺と話すときとはずいぶん違う(キーが高めの)声色で、智代が早坂(君(くん)、なんてつけて呼んでやるものか)に訊いた。
「ええ」
早坂の野郎は今度は思いっきりこっちに顔を向けてきた。おい、作業とやらはどうした。
「別にいいんです。3本とも、もう観てますから」
俺や所長に対する態度とはずいぶん違うじゃないか。
「好きなことを思いっきりできることが、この仕事の唯一といってもいいメリットですね。大して給料が良いわけでもないですし、今年のボーナスが出るかどうかだって怪しいくらいです。好きなことをやらせてもらえないなら、とっくにやめてます」
なんて野郎だ所長の前で、と思ったら、当の代表(所長のことだ)は苦笑いを浮かべながら「僕は部下に恵まれないという欠点があるんです」と、これまた平然と言ってのけていた。
まあ、これくらいお互いに言い合うことができるほうが、上司と部下という関係はうまくいくのかもしれない。
俺は智代のほうを見た。
俺が視線を送ったのを察知してか、彼女も俺のほうを見た。
互いに共感できる何かが生まれたのかと思ったら「相良さん、わたしにはちゃんとボーナスくださいよ」なんて、言い抜かしやがった。前言撤回。俺も所長も、ただ単に部下に(ある意味で)恵まれないだけだ。おそらく、この早坂の野郎も優秀なのだろう。すべての優秀な部下が、上司にとってありがたい存在かというと、そうでもないことを俺は身をもって教えられている。
最後に、早坂は俺の部下である智代に自分の名刺を渡していた。俺も受け取ろうかと手を差し出したら「名刺に限りがありますので」と、手を引っ込められてしまった。
「ありがとうございます」
そう声を弾ませた彼女の持つ名刺には、しっかりと早坂のバカ野郎の携帯電話番号が記載されているのを俺は見つけた。二人はまるで交際を始めたばかりの恋人同士のように、お互いを見つめ合っていた。
彼が立ち上がって「では、この部屋の出口まで送りましょう」と席を立った。もうゾンビ映画なんてそっちのけらしい。
早坂は立ち上がると優に身長185センチは超えていて、すらりと伸びた体躯は惚れ惚れするものがあった。抱かれてもいいな、と俺はまた思ってしまった。
すぐそこの扉まで4人で歩き、早坂は最後に深く頭を下げて見送りをしてくれた。智代は名残惜しそうな悲しげな表情を浮かべて、ゆっくりと扉に背中を向けた。
俺の胸の中にどす黒い何かが芽生えたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。
つづく
(第45回 了)
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