〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
「島は直径何マイルありそう?」
「何マイル? マイルってどのくらい? うーんと、地下鉄の2、3駅分。そのくらいは歩いた距離ね。縦にメトロ3つ、横に、私たちは南東にいるわ、えっと、1つ半くらい。歩いていける距離だわ。北の方に、ずっと森林が続いているのが見える」
「そう。他に人間は? 建物は? なにか珍しいものは?」
「うーん、珍しいものは特にない。2、3人の男たちが西のビーチでもう遊んでる」
「何人?」
「フランス人」
「どうして分かるの?」
「ただ浮いているわ」
「そんなの確かじゃないよ」
「あと、何か紐みたいなものが空から垂れているんだけど、縦に走った飛行機雲みたいな。この前ある記事で地震雲のことを読んだの。韓国にも地震ってある? アルツール?」
僕は双眼鏡を持って立ちあがった。「紐?」屋根の上で、平衡感覚抜群に体重を支えていた。彼女が冗談で揺らしてみても、全然平気だった。さすがに僕は運動神経に優れていた。
確かに、遠くで煙のような一本筋が、空高く伸びていた。
粘土片のようなものが光を受けて、着色された炭酸飲料色の海の上に漂っている。目を凝らしてみると、鳥の羽のように腕を上下に動かして波を操り、舵を取っていた人間がいた。
こうして上から覗くと、ビーチでは気づかなかった海の印象がある。一見して、海の色も、そして柄も定まらない。今まで、海の柄なんて、考えたことがなかった。何色もの青系、緑系の色が混ざりあい、マーブル模様に広がっている。着色炭酸ジュースの青、韓国伝統家屋を飾る緑、ターコイズ色。それにパリの空色をしたグレー。モンゴルは内陸だから、これはベネズエラと韓国の海が混ざったものだろうが、カリブ海の透き通ったグリーンの上に、雨雲のようなグレーの水が漂って、海の底を隠したり、また表したり。色の違う筋が、西から、東から流れてきて、引き合い、近づくとまた離れていく。この筋は、互いに異質である海の境だった。鏡の中で波同士が顔を合わせるように、海同士が近づきあうと、そっと離れていく。
僕はこんな不思議な気分になる海を見たことがなかった。空が今すぐ紙のようになり、この海に押し当てられ、色調と柄を写し取ればいいのに、と思った。昔、ギリシャの友人が、海は空の色を反映しているから、晴れた時にもっとも青い色になる、曇りの日は濁る、と言っていたことを思い出した。しかし、空を見ても、この海のようなマーブル模様はしていない。相変わらず、どこか遠くの、高原の空がちぐはぐにここまで移動してきていて、僕たちに異様に近いところにあった。空と海は噛み合っていない。浅瀬は、カリブ海のクリスタリンウォーターかと思えば、更地に陰が射すように、となりから日本海が伸びてくる。二カ国分の海がビーカーに入り混ぜあわされたみたいに、そしてそれでも混ざり合わなくて、お互いに固有の色を残しながら同じスペースに漂っている。
島の広域具合を確認する様に、辺りをぐるっと見渡した。土地の北は、濃く、茂ったジャングルだった。昨日降りた小さな飛行場が、円形に禿げていた。島全体に散ってコテージが建てられており、それぞれにプライベートビーチに通じているようだ。昔は先住民を隠していた雰囲気の森だが、今は島には観光客しかいないらしい。僕たちはまたビーチに戻り、感慨深く海を泳いだ。
翌朝、目が覚めて朝食を食べると、前日の記憶に手を取られるように砂浜へ向かった。新しい予感に誘われるのではなく、昨日の楽しかった時間に会いにいく気持ちで。
海は、あの「ソラリス」に出て来るような青い思考する塊は、忽然と消えていた。代わりに平原がある。波の代わりに、草原がこちらまで打ち寄せている。昨日見た、マーブル模様の海が、マーブル模様はそのままに、ただ草に変わっていた。色調も、柄もそのままだった。草の種によって、色が見事に再現されている。2日前に砂浜に描かれた『A&A』の文字は、夜に潮が満ちたのかAの足の部分が両側とも薄れており、二つの上の三角形の部分のみ、腹の擦り減った『&』の両脇に残っていた。
文字の上を歩くのはためらい、アンヘラは左の、僕は右の三角形の中に足を置きながら、横線を超えてもう片方の足を踏み出し、昨夜まだ海があった場所へと近づいた。アンヘラは黒いTシャツを着て(H&Mで2ユーロで買ったらしい)肘を両手で包みながら、腕を組んで歩いていた。波打ち際の砂は、打ち寄せた波の形を残しながら湿っていて、影を落としたように暗くなっていた。ここから海が完全に引いてしまってからまだそんなに時間は経っていないようだ。生暖かい、温風が吹いている。太陽は朝10時にはもう完全に上ってしまっていた。アンヘラが一言、「今日もまた一日が始まるわね」新しい光を見つめて嬉しそうに言った。
僕たちは、荷物をまとめて、それぞれ10キロはあるバックパックを背負い、草原へ向かっていった。草原では草が肌をかすめてかゆく、ビーチサンダルからスニーカーに変えた。
進んでいくと、島の空も、吸っていた空気も、2日前からずっと高原のものだったことに気づいた。今、空と地がやっと一致した、と思った。薄く、乾いた高原の空気に、アンヘラは唇が乾くからとリップを出したが、2秒後にまた乾くので、2分後には塗り直すのを止めた。30分ほど歩くと、昨夜泊まったコテージと同じ、ハノクという家屋が、今度は明らかにゲルと同じ材質で、色、形、装飾はそのままに建てられていた。イメージ通りの円形ゲルと混じりあい、集落を作っている。あちこちにゲルがあるが、ここでは主に韓国語が使われている。なにやらグラフィティのように、円形の屋根の部分に、それぞれのゲルの用途のようなものがハングルで書き記されていた。明るい色調で書き殴られている。ゲルに住む住人のファミリーネームなのだろうか?しばらく行くと、今度は、ラーメンの写真が鮮やかな色で屋根にプリントされているゲルに出会った。戸口で座り、外を眺め、右手にパイプを持ちくゆらす男にこのゲルのことを聞いてみた。「すみません。こんにちは。ここではこれが食べられるのでしょうか」こう聞いたのは、ゲルにラーメンの絵が、キャンバスにインクジェットプリントで印刷したような質で、韓国語表記とともに大きくプリントされていたからだ。ただの住居のようには見えない。「そうだ」と男は答える。「入りな」
僕たちは入った。そこは麺屋だった。韓国の食べ物、冷麺もあった。パスタもあった。牛肉がたくさん入ったスープパスタ。なぜかボルシチに細麺の入れられたものもあった。キムチがサイドに出されている。お昼時だった。僕たちは歩いてきた草原と、遠くに連なる山々とに目を取られていて、すっかり空腹を忘れていたが、アンヘラのお腹は、中に小さな小鳥が住んでいるようにピィピィと鳴った。それを聞くと、僕の雄の鳥が、反応するようにくっくるぅ〜と唸った。
ラーメンを食べながら、貴重な話を聞いた。「ここは昔、ハンモン村と呼ばれていたんだ」この赤ら顔の男は話し出した。
「この土地は、グランサバナと呼ばれていて、午前中だけ草原なんだ。午後は海になる」
「どういう意味ですか?」
「午前中は草原で、午後は海なんだ。……
グランサバナに住むことが許されているのは、我々ペナン族だけだ。ここは僕たちペナン族の移住区なんだよ」
「ゲルに住んで、ですか?」
「そう。ゲルは昔から、私たちペナン族の伝統家屋だよ」
「高原の?」
「そう、海の下の高原の」
そして僕たちはまた耳慣れない話を聞いた。
ここ、グランサバナでは、午後になると、空が闇に覆われるように、海に覆われる。海の下に隠れる。彼らは世界から隠される。
「水が町に入ってきて、どう生活をしているのですか?」
「ゲルがあるから大丈夫だよ。ゲルは、完全に防水の作りをしている。一滴も海水はゲルの中には入らない。ただ、戸締りはしっかりしなければならないよ。過去に、それを怠って海水に飲まれてしまった仲間もいるんだ」
「家畜も、みなゲルの中に?」
「そう。ゲルの上に、馬の絵や、牛の絵を見なかったかい? 急いでいると、間違えてしまうからね。それぞれのゲルの中に、彼らが海に飲まれてしまわないよう、しっかりと保護して、入口のチャックを閉めるんだ。水に強い、特別なチャックだよ。韓国族が発明して届けてくれた。彼らは技術力に長けていて、こまごまとしたものは、彼らが作ったものを使っているよ。ほら、テレビもサムソン製。隣町から仕入れてくる。
そうして、海の下でも安全に暮らしてる。ゲルの壁が、〝海の時間〟になると、ゆったり揺れるんだ。私はそんな時間が好きで、昔ながら、この移住区に住み続けているよ」
「昔からこの区域にはペナン族が暮らしていたのですか?」
「そうだよ。ゲルと、家畜と一緒に。午前中、〝草原の時間〟のみ移動しながら。家畜に餌を与えながらね。〝海の時間〟にはゆっくりと休みながら。〝海の時間〟は我々、ペナン族だけの時間だ。韓国族たちは、効率が悪い、とそんな生活を嫌うがね」
「韓国族の町は、この近くにありますか?彼らに会うことはできるんでしょうか」
「町どころか、街だよ。彼らは、昔この土地にやってきて、我々の血に混じり風習を変えたと言い伝えのある〝スペイン人〟のように、どこでも街を作ってしまう。ただ、侵略者ではない。独特の礼儀正しさがあり、昔から住んでいた者を敬う習慣を持っていて、違う民族の土地に街を作りたい時は必ず許可を求めるし、今でもこの辺を通ることがあれば、深々と頭を下げるんだ。それが彼らの挨拶の仕方で、頭を、本当に膝のあたりまで下げるんだよ。さすがに半日海になる土地には興味を示さず、ここから30キロは離れたところに暮らしているよ」
僕たちはもうコラージュ国内の移動に慣れてか、コラージュの国の時間、特別な法則に信頼を持ち始めていて、どこでも、海中を漂うように移動しても、すぐに空港を見つけられる自信がついていた。『空港なんてどこにでもある。動け!動け!』というコラージュの国ガイドにあった文句が今では頭の中にある。もう、コラージュの国アプリを開くこともなくなっている。韓国族に会いたい。
「これ、食べ終わったら彼らの街に向かいたいのですが、もう〝海の時間〟も終わりに近いですよね? 後30分でここが海に変わってしまえば、僕たちは流されてしまうのでしょうか」
「うん、そうだね。近くのゲルがあれば戸を叩き、避難することもできるけど、ここから10キロ行くと居住区は終わってしまう。危険だね。
しかし、まだ午後になるまでには時間があるよ」
「今、11時半ですよね。もしかして、土地によって時差があるのですか?」
「時差? そんなものはない。〝午前〟というのは14時まで。14時から17時はシエスタの時間。17時からが〝午後〟だよ。あと5時間はあるから大丈夫。馬を貸してあげようか? 韓国族の街に友人が馬小屋を持っているから、そこに停めておいてくれればいいよ。
我々はカトリックだから、いつも隣人には親切にするように教えられてきたんだ」
Image © Matthew Cusick
(第14回 了)
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