土曜プレミアム~踊る大捜査線
THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件
フジ系列 9月1日 (土 ) 午後9時~
映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」(9月7日公開) に先立って放送されたものだ。このドラマと映画の双方をもって、15年におよんだ「踊る大捜査線」はすべて終了とのことである。
まずオープニングの編集がかっこいい。豊かなコンテンツがあり、すでに見る者に一人一人のキャラクターが浸透しているという確信があれば、編集作業というのはこれほど切れ味鋭く、自信満々にできるものなのだ、という見本のようなものだった。
そしてもちろん、ドラマとは思えない予算のかけかた。冒頭の小学校での交通安全教室における車の大破・炎上シーンはそれ自体、「器のわりに分不相応を目指す」というドラマのコンセプトが出ていてよかった。
それでもやっぱり「踊る大捜査線」は本来的にテレビドラマだったのだ、と思える肩の力の抜け方がある。そもそもこのドラマは、警察もの、刑事ドラマにあるまじき脱力感で人気を博したのだった。
何も起こってないときの警察署はただの役所で、公務員たちが暇にまかせてバカなことをしている、という日常性を描いたものというのは、確かにそれまでにはなかった。今回、その「業績」を思い出させるべくか、交通安全教室でのアクション場面の後はずっと、これでもかの日常性のオンパレードである。
「踊る大捜査線」の映画とテレビドラマの作り方の分かれ目は、この日常性をどのように扱っていこうとするのか、というところに現れる。
THE MOVIE のシリーズでは、やはり事件の柄が大きくなる。所轄である湾岸署を中心に全東京を巻き込んだ…という展開になり、必然的に本店 (警視庁) との対立が本格化することになる。そうなると、支店 (所轄・湾岸署) での日常性は、大事件の前触れまでの添えものということにならざるを得ない。
そのことが本来的なテーマと齟齬をきたすことを意識してか、「THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ」では、その大事件そのものが輪郭のあやふやなポスト・モダン的な造りになっていた。映画第一作での有名な決めゼリフ「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ」に対し、決してよい出来とは言えなかった第二作の「レインボーブリッジ、封鎖できませーん」というのは象徴的だ。
今回のドラマでは、中国外務省だのの顔色を伺い、中国から派遣されてきた捜査員の結婚式を大わらわで準備するという日常性から、その捜査員の結婚相手が国際手配の殺人犯であったという事件への繋がりである。予算も時間枠もふんだんに使い、話の柄も一見すると大きそうだが、この中国人捜査員のパーソナルな事件として終始、収まっている。そこがよかった。
タイトルの「サラリーマン刑事と最後の難事件 」は、ドラマ第一話「サラリーマン刑事と最初の難事件 」を踏まえているから、これで本当に最後なのかもしれない。15年間、テンションを維持できた理由として、いかりや長介は亡くなったものの、他のキャストが少しも変わらないこともあるだろう。もちろん見比べれば変化はあるだろうが、各人の雰囲気はそのままで、それがドラマの雰囲気を保っている。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■