〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
(ナイロビタウン)
『ナイロビ』は、言うまでもなくケニアの首都だ。ジャーナリスト志望のアンヘラに言わせると「まぁナイロビだけじゃないけれど、アフリカってったって街は街。国立公園にまで出向かなければ、キリンなんていないわよ」
では『ナイロビタウン』とは、一体どんな街、または町なのか?ナイロビは人口360万人、土地面積696平方kmを誇るのに比べ、この町は人口360人、面積6平方kmに収まっているらしい。今でも〈1の国〉の中にありつつ、イタリアのバチカン市国のように、ナイロビ町国として独立し、そしてまた外国人の入国は極度に制限されている。ホテルの予約を取ったのに、その日の抽選で30人に選ばれなければ国に入れないという。
近代では、ルート88の通る昔ながらの町として1の国ではよく知られた土地だった。この地域にある時開拓民が押し寄せる前から人が住み、彼らの文化は歴史を渡り長く続いている。この小さな町が、コラージュ内マドリード空港の周辺地図で、どうしてあんなにも太く、蓄光塗料でその名を薄光らせていたのだろうか。
車を止めた。コンクリート造りの、土に一本指で線をなぞったようなルートと周囲の寂寥からは違和感ある、近代的な立体駐車場が町の脇に立っている。その駐車場は訪問客専用のものだった。分かりやすく『ツーリスト』と壁にペンキでラフに描き殴られていた。しかしその色使いは、どことなく民族調で、これから他人の秘密めいた土地に入っていくのに、その土地の環境、習慣を尊重します、と約束させられている感じがした。ここでも、人はすでに三種三様の個性が混じりに混ざり合っていて、到着したばかりのマドリード空港で見たコラージュの国の第一印象を思い出した。ただし、ここではローマ帝国支配期までのイベリア半島人、アメリカ先住民族、アフリカ先住民族が混じり合っているそうだ。ルーツは違えども三種三様、古代人間の坩堝である。そして空港では、彼らはそれぞれに近代的な服装をしていた。腰から民族調のスカーフを巻いていても、上はメゾンキツネのトリコロールが入っていた。しかし、この町の人々の服装は画一的だった。皆一様に、白い布から出来た服を一式、身に纏っている。ここでは古くから町国独特の伝統と習慣を大切にしている。彼らの土地は数世紀前から〈1の国〉大陸のどこからともなく幾度となく開拓民が押し寄せ、町外からの侵攻計画が立てられてきたが、土地の神が怒り狂って寄せつけず、奇跡的によその文化に染まることなく今までやり過ごしていて、緩やかに彼らの土地の中だけでの変革を経験していた。
町人の身体的特徴はこれほど狭い土地であるのにそれ以上ないほどばらつきがあり、目つき鼻つき身体つき各自、個性豊かなものだった。血が混ざり合っても中庸が生まれず、ナイロビタウン人としての統一を浮かばせないままにあった。それぞれ異なった容貌を保ちながら、唯一の習慣様式を町人皆で分かち合っているのは、バルセロナ・グエル公園内の、一本たりとも同じもののないデザインの柱群がカメラを地中海へと向ける観光客を乗せ「中央広場」を支える「百柱の間」を想起させた。
彼ら一人一人の声が聞いてみたいとも思った。全員一斉に声を出させてみたら、素晴らしいポリフォニーが奏でられるだろう。容姿と同じように、その声も無限に異なるだろう。
彼らに流れるのは、各自の個性豊かな特徴が、完全に混ざりきることなく受け継がれる血だった。それがタウン人自身、神聖な血を持つと信じている由縁でもあった。そして、多様性に富んだ肉体的特徴をしているがゆえに、同じ思想、伝統を崇めることが彼らに秩序を持たせ、皆で支えるその白いキャンバスの上で色を遊ばせることができた。
彼らはアクロポリスの司祭のような、綿で作った一枚布を、実に多種多様な着こなして身にまとっている。ある者は首にスカーフを巻き、ある者はムスリムのように頭部から白布を被り、ある者はフランケンシュタインのように細く長く裂いた布を包帯のようにして体を覆う。ある者は目隠しをして、眼窩の部分のみに穴がある。形だけイヤーマフを模したヘアバンド。しかしなぜか耳の部分にだけ穴が開く。「穴」が好きそうだ。ある者は、肩紐のない現代風のベアトップにしている。乳首の部分にだけ穴が開き、それを見せる。手袋を作れば、第一関節の〝山〟部分のためのホールがあり、拳を握ると尖った骨が覗く。点や丸みを少々見せるのが彼らだけのファッションのポイント、エスプリであるのだろうか。同じ一枚の白布から作られているが、形だけは現代風、町外の服装を取り入れたものを見ると、町国外の人間には、彼らは自分たちの不気味な白抜けコピー、抜け殻、脱ぎ捨てた皮膚を纏っている人々であるような錯覚に見舞われる。色も柄もないのに、型だけが完全に参考にされている。これは、町の人々の遊びココロある風刺なのか?
この町にはツーリストをはじめ、外部の者はずっと昔から住むことを許されなかった。そして闖入者も、無理にでも住みたいと考えるほどこの土地に魅力を感じなかった。外の人間は、この土地の人々を見て、もっと気ままにファッションを楽しみたいと思った。もっと色を着て、自由気ままに!すべてがこの地味な、一枚の布から作られるなんて。世界にはありとあらゆる色使い、素敵な布地があるのに。この儀式めいた画一的な着こなしの裏には豊穣な想像力と壮大な哲学の隠れていることを、よそ者は知ることなく去った。ナイロビタウンの人間は、去るものは追わない主義だ。理解されない方が侵入者は近づかないし、俺たちにもちょうどいい、と考えているとばかり思われてきた。
実はしかし、彼らはおもてなしを好む種族であった。信仰心のため、隣人と混ざり合いたくはないが、決して隣人を嫌っているわけではない。同じ人間である遠くの仲間たちに、自分たちの主義や思想を正しく理解されたくもあった。その心理は、恋人がいるが故に、ある女と恋愛関係を持つことは出来ないが、友人として仲良くしたい気持ちもあることに似ていた。関係を迫られれば口をつぐむ他ないが、一線を越えなければ、相互に理解しあいたい気持ちを持っている。
可能性を追求しているというのに、創造力のない民族だと長い間思われていたのは、実は我々にとってちょっぴり悲しいことであった、と町長は後に外部に向けて発表した声明の中で漏らしている。
近年ナイロビタウンはよそ者のために、信仰に関わる町の厳格な決まりゆえ一時的にしろ永住的にしろ外国人を土地に居住させることは許さなかったが、ツーリストが観光するために滞在する場所を、特別に土地の中に用意するプロジェクトを進めてきた。彼らは自分たちの伝統に指一本触れさせず、それを知ってもらうためには労を惜しまなかった。興味を持ってくれる訪問客には、進んで内部を案内する用意があった。専用のガイドまでつけるし(どうやら義務教育でも観光案内の科目があるらしい)、と僕たちの周りにまとわりついてきた子供は教えてくれた。外国人の案内をしたい輩が町のいたるところに居り、金をとらずに親切にしてくれる。彼らの気質は、さすがにローマの血が流れているからか、完全にラテン的だった!
彼らの言語を持つ。彼らの服装のルールを持つ。彼らの生活様式を持つ。しかし彼らの習慣は、どこから流れ着いたものかといえば、少々古代ギリシャめいた服装にもあるように、古代のギリシャ・ローマ辺りから流れてきたものを受け継いでいるらしい要素が際立っていた。彼らは決して彼らの歴史を口外しないが、近年の研究によると、彼らにはアメリカ、スペイン、ケニアの中でもスペインの血をよく受け継いでおり、初めにやってきた祖先は古代ローマ人ではないか、ということらしい。徐々に、アメリカンインディアン、そしてアフリカ先住民族もそこに混ざり、古代人ばかりを含んだ土地はある時期が来ると、完全に外界とは遮断された。その理由を追求する研究は幅広く〈1の国〉内で行われている。無論、研究のために町内に住まわすことは許されることはないが。広い、陸続きの〈1の国〉の土地にあっても、地球が一枚の陸で(海に覆われている部分もあるが)そこに例えば日本が浮いているように、昔はこの町は形の極めて歪な川の中に隠されるよう浮いていたので外界の襲来を防げたのではないかという研究もあれば、バスク地方のように現在は忽然と消えた(あるいは町人たちが故意に消した)山脈に守られ(というのも現代の町国を囲う川の流れは山脈のように水脈の背が険しく筋走っており、流れが分断されている。山脈が山の集積のように、この〝川脈〟が川の集まりのように。)ているがゆえ古代三種人の特徴をよく保ったまま現代まで生き永らえているという研究もある。真実は誰にも分からぬが、町の人の、古代人特有の魅惑的、魔術的な様子を見ると、それも正しいのではないかと思われる。
彼らの主な産業は、いつも服飾作りだった。彼ら自身は、シンプルな白い一枚布を、体のラインを際立たせながら、結び目に工夫を施しながら、一枚の布の持つ最大限の可能性を探り、数え上げながら身にまとっていた。彼らの愛したのは「可能性」だった。あらゆる「可能性」を一枚の布にして身に付けるという、古代から継承されてきたコンセプトのもとに服作りをしている。僕は驚いた。たった一枚の布の持つ可能性、素材も同じ、大きさも同じ、拡大されたオリガミのような薄い一枚布の可能性に、町国のファッションの未来を限定してきた理由は何なのか。領土拡大などのアイディアは微塵も持たず、たった一つの土地の可能性、一つの言語の可能性、一種族、一人間に含まれうる限りの可能性。限定された「一つ」のものの持つ無限の可能性を信仰するということ。ミニマリズム?それは一体どういうことか。
心を鎮めてよく考えてみると、僕は彼らにだんだんと尊敬の念を覚えるようになってきた。
それは、彼らの身体的特徴がよく体現していることでもあった。彼らは一つの共同体の中、数百、千万年前から続く結合の結果にも、アメリカ種はアメリカ種、アフリカ種はアフリカ種、ラテン族はラテン族としての特徴をよく残していた。一辺倒に濁った色にしてしまわずに、一つのキャンバスの上で、色を上手く使い分けていた。あからさまなラテン色を消さずに、多種多様なアメリカインディアン色、アフリカ先住民族色の身体的特色を受け継いだ。そのことがインディアンを母体にした場合、黒人種、白人種を基調とした場合にも言えた。背の高いものは高いもの、背の低いものは低いもの、家族の中でも盛んに特色を持っている。しかしこれは、彼らが可能性を探りつつ、宗教的厳格な規則で結合していった結果である。常に新たな可能性を求め続ける彼らは、一遍に三つの〝色〟をごちゃ混ぜて、パレットの上ですべて単調でよく似た色に変わってしまうのを自ら防いだ。それぞれの特性を把握し、どれだけの分量を混ぜるかしっかりと前もって計算に入れながら、新しい色の可能性を探り人々を掛け合わせ、結婚させた。その結果、はっきりと、それぞれの間に違いの大きく出る個人が生まれることとなる。この狭い土地の中で、彼らは驚くほど互いに似ていない。グレースケールには幅がある。容姿はバラつきのあるままに、未だ可能性を残している。結合しても、新しい目の形、新しい耳の形、新しい鼻の穴の形、手指の動きが生まれ続ける。だが、外部の人間を彼らの中に足したり掛けたりしていくことは、断固としてなかった。元の〝1〟を失うのを恐れたからだ。可能性が横向きに拡散していくのを防ぐためだ。水平方向に選択肢を拡げてしまえば、それは地球上を一辺倒の膜で覆ってしまう。あまりにも入れ混じる。可能性の逃げ道、抜け穴となる。あまりにもその可能性はずるく、安直なものとなり、神聖さを欠くことになる。すると可能性の質が落ちる。可能性そのものを追求することが難しくなる。可能性が、可能性の隙からこぼれ落ちていく。そうなれば、彼らは彼らの神を失ってしまうこととなる。彼らの中から純に湧き出る可能性を信奉していく先に、可能性の神は待ち、奇跡を実行する。それが彼らの宗教だった。
一つのものが、より細かく細かく、さらに細かく刻まれていく。種と可能性はさらに光の少ない奥へと続き、穴を掘ってはさらに先へと進む。可能性は内に向かって大胆に試され、彼らは後ろを振り返っては置いてきた可能性を摘みに戻る。内に向かって微に入り細に入り、顕微鏡で覗かなければ探し当てることの出来ないものを拾いにまた先へと出かける。その過程を崇めた。
彼らは、可能性の限界を見つけたとき、民族の歴史が終わるという説を信じている。彼らにとって、この一枚の布の新しい可能性を発見し続けていくことは、生存競争のようでもあったのだ。きっと、この戦いが終わるとき、彼らは周囲に広がる〈1の国〉の現代文明に降伏して身を任せるはずだった。
彼らはツーリストを通して、地続きの町外の土地で普遍化しているスタイルをよく知っていたが、洋服の素材、生地、型、デザインをそのまま応用することは条例で固く禁じていた。決して、効率性を考慮して、動きやすいから、などという理由で輸入してはならなかった。彼らは、他所の土地のTシャツの印字の入れ方、臍ピアスの仕方、プリーツの入ったスカートを見て、フォルムや素材の使い方、着こなし方にインスピレーションを受け、ただ一枚の綿の服のデザインに応用した。
ここで興味を持ったのは、アンヘラだった。アンヘラは、この可能性を無限に追及することを信仰とする民族、可能性を追求することを生業とする人々に惹きつけられ、心をかき乱した。無限の、3の永遠の続く可能性を追いかけるような、あるいはアルツールの巻き毛の中の、実際には存在しない穴の向うを永遠に指で探るような感覚、―あるいは彼が私のVを探るような、とアンヘラは考えた。ー、一つの限りなく狭義なものが持つ、それに反比例して拡大していく世界。この土地に魅せられ始めていた。ここで「可能性」の研究が出来ないだろうか?
Images: Copyright(c) Collage Artist Matthew Cusick
Homepage: http://www.mattcusick.com/paintings-collage/map-works/1
(第07回 了)
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