一条さやかは姉で刑事のあやかのたってのお願いで、渋谷のラブホテル街のど真ん中にある種山教授の家を訪ねる。そこはラブホテル風の建物だが奇妙な博物館で、種山教授は奇妙に高い知性の持ち主で、さやかは姉が担当する奇妙な事件に巻き込まれ・・・。
純文学からホラー小説、文明批評も手がけるマルチジャンル作家による、かる~くて重いラノベ小説!
by 遠藤徹
第02回 (一)象の鼻
すべては、コーヒージェリーフラペチーノから始まる。
なぜなら、三十分前、このわたしがプチ裏切られたからだ。
「スタバ行く?」
と誘ったわたしに、親友の、いや親友だったはずの雪枝は、「じゃーねえっ」、と手を振ってデートとやらに出かけて行った。わたしとたしなむコーヒージェリーフラペチーノよりも、どこぞの馬の骨との歩行体験を選んだのだ。
ほんとうは犬の散歩なのではないか、あるいは彼氏といっても実のところはお猿なのではないか。そう空想して、いや願って、いや念じてみた。マイケルみたく、お猿を抱っこして歩いている雪枝をジョン・レノンみたくイマジンした。
「身長百八十五センチなのお、明応大学医学部在学中なのお」とか酔っぱらったような口調でのたまわってたけど、きっと聞き間違えたのだ。ほんとうは、身長八十五センチなのお、明応大学医学部の実験動物なのお、と言っていたのに違いない。うん、きっと、ほぼ、おそらく、たぶん、まちがいない。
そんな風に想像しはじめると、ちょっぴり愉快な気分になった。
「お台場で大観覧車に乗ったあとぉ、ヴィーナス・フォートでお買い物してからぁ、夜景を見ながらのディナーなのぉ」なあんてほざいてたっけなあ。けどけど、うわっはっは、わたしの目の前のスクリーンには、観覧車で雪枝の一張羅の上におもらししちゃうお猿(ウキッ)、ヴィーナス・フォートで暴れて商品を破壊するお猿(ウキキキッ)、手づかみで<イベリコブタのガランティーヌ>やら<ムール貝とアスパラガスのブルーテ>とやらをむさぼり喰らい、<トルコ風結婚式のスープ>とやらを雪枝の頭に注ぎかけているお猿の映像が思い浮かぶのであった(ウキッ、ウキキキキィッ)。ビバ!妄想。
いかすぅ、お猿様ぁ。
「くふふ」
おのずと笑みがこぼれた。
そんな具合に、心の中で、雪枝を「親友」から、「友達の一人」へと格下げしながら、歩いた。
真昼の、土曜の、渋谷を、・・・一人でひたひた。
すでに道玄坂を折れて、わたしの足は、松濤方面へと進んでいた。そう、高級住宅地であらせらるる、松濤方面へと抜けるあの道である。
なかなかいい感じだ。と熱烈にお猿を応援していたところ、
「でね、ディナーの後は、うふふ、そうアフター・ディナーってわけね」
という雪枝とかいうどこぞかの馬の骨の最後のセリフと、それを口にしたときの意味深な笑みがふと蘇った。はて、ディナーの後が「ディナーの後」ってどういう意味なのか。ただ英語に直しただけではないか。なぜ雪枝は、そんな無意味な英訳をしながら含み笑いをしたのか。果たして、その含み笑いにはどんな成分が含まれていたのであろうか。そんな疑問に囚われてしまった。そのせいで、お猿は当初のエネルギーを失い始め、悲しげな表情になりながら徐々にわたしの妄想銀幕から消え失せてしまった。
ど真ん中。
現実に立ち返ったとき、わたしはあの町のど真ん中にいた。
円山町の、ずらりと並んだ奇妙奇天烈な建築物群のただなかに。
円山町。そう日本有数の規模を誇るラブ・ホテル、いや最近はファッション・ホテルなんぞと呼ぶやからもおるらしいが、まあそういったたぐいのアフター・ディナー的な建物がひしめく場所である。
「お嬢ちゃん、人数足りないんじゃない。一緒に入ってあげようか」
さっそく、うら若き、そしていとやんごとなき乙女がひとりであると見たちゃらちゃらした若者が近づいてくる。ちゃらちゃら音を立てながら近づいてくる。ちゃらちゃらした若者だから、ちゃらちゃら音が鳴っているというわけではない。Gジャンに、何十個ものキティちゃんストラップをちゃらちゃらぶら下げているせいであった。
なぜ、Gジャンの上にキティちゃんをちゃらちゃらさせているのか。これはいったい全体そして総体どういう意味なのか、あるいは趣味なのか?
「うわわわわあん、かっわひゅいい。見せてぇん、触らしてぇん」
なんて喜ぶ、脳みそソフトクリームな女がもしかしたら、ごまんといるのだろうか(ちなみに、脳みそソフトクリームな女とは、「あっ、お嬢さん、溶けだして耳からこぼれてますよ、脳みそ」ってな感じに注意を与えたくなるような女のことである)。
私は黙って、ちゃら兄に向けてこぶしを突き出した。
握ったこぶしから、中指だけを突き出して相手にかざした。
この仕草を上品に英訳するなら、失せなってとこだろうか。
「へっ」
て虚をつかれて間抜け顔になったちゃら兄は、わたしの目を見てはっとなった。
わたしの眼光にまともに触れてしまったのだ。
秘技、眼光炯炯。
「ひっ」
蛇に睨まれた蛙。のように、あそこをピーナッツサイズに縮みあがらせて去っていった。と思う。たぶん。
というわけで、改めまして、わたしはいま、ここ、渋谷は円山町にいる。
困ったことに、迷い込んだわけではない。屈指のお嬢様大学のひとつである、聖アフロディーテ女学院大学に通うこのわたしともあろうものが、この町を目指してやってきたのだ。
なぜにと問われれば、答えねばならないのだが、大いに誤解をまねくこと必定である。
ひとつには、姉に頼まれたからという答え方ができるだろう。
それでも行く気はなかったのだ。雪枝がちゃんとわたしとコーヒージェリーフラペチーノにつきあってくれていれば、そんな用事は、
「あ、忘れてたわ、ごめん姉貴」
で済ませるつもりだったのだ。
そこまで言っても、誤解は避けえないかもしれない。
なぜなら、わたしは一軒のラブ・ホテル、いやさファッション・ホテルを目指しているからである。
はいそこ、もうなんか誤解してるね!
言っとくけど、別にわたしは、まかり間違っても電話で呼び出されたホテトル嬢とかじゃありませんから。
なんて、自分で自分に突っ込みを入れている間にたどり着いた。
目的のホテルに。
右隣は、全身ピンクのタイツ姿!みたいな建物で、それにふさわしく「ピンクのうさぎ」という看板を掲げている。一応確認したけど、耳は生えていなかった。
左隣は、全身にネオン電球網を張り巡らせた、生命維持装置につながれた患者みたいな建物だ。でもきっと夜になれば元気ハツラツ!闇のなかにネオンがきらめかせて蘇るのだろう。その名も「不夜城」ときた。
そして、わたしの目の前にあるのが、目的のブツ。アラビアのお城みたいに玉ねぎ形の塔が、キノコのようにあちこちからにょきにょきしているやつだ。ハクション大魔王とかに出てきたみたいなやつ。うーん、古いか。
いずれにせよ、いまわたしの目の前にあるのは、新しい看板に挿げ替えられたそれである。その名も! あれっ、えーっと、なんでしょうね、これ。
Wunderkammer:Der liebe Gott steckt in Detail
とある。はてさて、なんて読めばいいのでしょう?
どうも英語には見えないし、二語で取ってるフランス語にも似ていない気がする。といっても、フランス語も、ほとんど「桑?」とか「鯖?」とか「しらばっくれ」とか空耳的に聞こえるだけで、よくわかんないのではあるけど、少なくともフランス語ではないような気がする。なんていうか、もっと重たいっていうか、厳粛な感じ。
そんな感じでまあ戸惑っていたら、折よくラブホ、じゃないや、ファッションホテルの扉が開いた。
「おやおや」
正面に佇んでるわたしを見て、黒い皮ジャンにジーンズを履いた、背の高い若者が微笑みかけてきた。いわゆる世間でいう爽やかな笑顔ってやつ。
「ブンダーカンマーへようこそ!」
溌剌と声をかけてきた。
「ブンダーカンマー?」
「そうだよ、書いてあるでしょそこに。その後には、細部に神は宿り給うって」
えっ、財布に神が? でもだめ、ゼッタイ貧乏神の方だわ、わたしの財布にいるとしたら。
にしても、なんとも人懐っこいというか、実に女慣れした口調である。果たしてこんな二十代そこそこの若者が、わたしの尋ね人だというのでありましょうか。
「ええと、初めてなんですけど」
思わずそう口にしてしまってた。けど、よく考えると、このあたりで口にするにはちょっと語弊のある台詞だったかしら。
「そう。よかったら、案内しようか」
「ほんとですか?」
気さくな感じで若者はわたしのところまで大股で近づいてきた。そして、わたしの手をきわめてナチュラルにつかんだ。
「うん。とっても刺激的だよ、ここは」
そして、くるりと向きを変えたので、必然私の体も百八十度回転した。
「でも」
と若者は目の前の建物、すなわちブンダカンマーの向かいにある、「なんにもしないから」という看板をかかげた建物へ向って歩き出そうとした。
「どうせなら、こっちに入ってみない」
と甘い声でささやいてきた。
「なんにもしないから」
まったくなんてふざけた男だろう。
「種山教授、冗談はやめましょう」
わたしは大声をあげ、若者の目を睨みつけた。
秘技、眼光炯炯!
「うわ、こわっ」
わたしの眼光に射抜かれて、さすがの若者もかなり余裕を失ってたじろいだ。
「冗談だってば。なんだ、先生訪ねてきたのか」
「えっ、先生」
ってことは、やっぱりこれは種山龍宏ではないということか。そりゃそうだよな、いくらなんでも大学教授がこんなちゃらけた若造ってわけはないもんな。
「なんだ、そういうことなら」
若者は、わたしの背をくるりと再び百八十度回転させて、ブンダーなんちゃらの方へと押しだした。
「行ってらっしゃい。先生がちゃんと案内してくれると思うよ」
ほんと、すごいからとアラビアの玉ねぎの城へとわたしを進ませた。
狐ならぬ、得体のしれないさわやかだけど実はナンパのプロにちがいない青年にからかわれたわたしは、しばしきょとんとし、しかるのちに、玄関のブザーを押そうとした。
が、しかし、押そうとしたブザーの上には、
「呼び鈴は壊れています。直接ドアをお開けください。
どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
という張り紙が、貼られてあった。ツッコミどころ満載である。
注文の多い料理店か、ここは!
「お願いだから、行ってきてよっ」
今朝、一講時目の空耳の時間ならぬフラ語の講義に遅れそうになってあわてているわたしを、姉が不当にも呼びとめたのだ。さすがは不当逮捕のプロである。
「だめだめ、無理無理、そんなの絶対」
抵抗を示した私だったが、
「おもしろい方よっ」
語尾の「っ」を際立出せながらそう告げた姉は、確信に満ちていた。
「きっと気に入るわっ」
「かっこいいの?」
姉はさりげなく首を横にかしげた。
「うーんっ、そういうカテゴリーっていうかっ、ジャンルじゃないわねっ。でも、きっと気に入るわっ」
そういって、笑った。
「あなたならねっ」
いったいどういう意味なのか?
若干プライドを傷つけられる感じがしたのだが、それについてこちらが職質しようとしたとき、姉の姿はもうなかった。
おかげで、電車を一本逃がし、フラ語の太鼓腹教員にしっかり遅刻を取られてしまった。
「遅刻八回目。毎回遅刻の記録更新ですね。ブラボー、ブラボー!」
ありがとう、姉貴。おかげでまたクラスで笑いを取ることに成功しましたわ、わたくし。
(第02回 了)
* 『ムネモシュネの地図』は毎月13日に更新されます。
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