今月号の特集は『俳人必携 未来に残す俳句論』である。俳句界さん、大胆な編集方針をお採りになっているなぁ。現在の編集人は林誠司さんで現役の俳人だ。その前は大井恒行さんで彼も俳人。俳句界の発行人である姜琪東さんも実業家で現役の俳人である。このあたりの〝現役俳人〟の感覚が俳句界の独自性を形作っている。賛否あるだろうが誌面に主張がある。
編集部の特集リードには、「俳句はあくまで実作が中心ではあるが、その裏で多くの俳人がさまざまな俳句論を提唱し、時には論争を展開してきた。(中略)先人たちの俳句論に耳を傾ければ、彼らの熱い息遣いが聞こえてくる」とある。もうちょっと噛み砕いて言うと、ほとんどの俳句愛好者は俳句論を読まない。とにかく俳句を作りたいわけで、自分の俳句が結社誌や句会で誉められることを生き甲斐にしている。そのためどうしたらいい俳句が書けるのかを説いた、俳句制作ノウハウ本が俳句出版のほとんどを占める。
もちろん句集もたくさん刊行されているが、よほどの古典か縁故ある俳人の作でない限り、俳人でもまず句集は買わない。中堅クラス以上の俳人は、同時代の句集は寄贈を受けタダで読むものだと思っているだろう。結社所属で句集を出す場合は主宰に序文をお願いするのが慣例で、謝礼を包むのも慣例である。結社員同士で出版祝い金をやりとりする慣例が残っている結社もある。これはこれで俳句頼母子講として意味がある。そうでもしなければ結社を維持したり、句集を出したりできない面があるからだ。ただそういったしがらみがあると、俳句頼母子講と作品評価はまた別、とは言いにくい面はある。
このあたりが俳句の世界というか俳壇を、なかなかに難しいものにしている。結社は結社員のリクルートに血道を上げているから、どうしたって身内をちやほやする。新規参入してきた俳人たちも一瞬で俳壇システムに慣れてしまい、それが当たり前だと思うようになる。俳壇の構成員のほぼ全員が、その出自まで遡れば何らかの形で結社や年長俳人(主宰)と関わりを持っているわけだから、〝私は中立です〟といった主張も通りにくい。また俳句界の実態経済も含めたシステムは俳壇外ではあまり知られていないから、どうしても俳壇と俳壇外では〝俳句〟を巡る認識にズレが生じてしまう。
文学好きの一般読者にとって、俳句はあくまで〝文学〟である。小説、短歌、自由詩と並列される同格の文学だということである。小説好きの読者はもちろん、作家だって夏目漱石と正岡子規の関係は気になる。短歌愛好者や歌人は、石川啄木と『明星』の歌人だけでなく、北原白秋ら詩人たちとの関係も気になるだろう。啄木は元々詩人で小説家を目指していたのだ。つまり狭い○○壇内部での評価を超えて、文学として同時代や後世に影響を与えた作家や作品をまず俳句文学として捉えているのである。直接交流のない芭蕉と西鶴文学が比較研究され、蕪村と幕末文人との交流が研究される理由である。現実世界で飯を食い糞をする俳人にとっては「そんなこと言われてもねぇ」だが、俳壇が現世的癒着の激しい場であるのは否定できないだろう。
俳句界の俳論特集は近代以降に作家を限っていて、正岡子規、高濱虚子、寺田寅彦、山本健吉、中村草田男の俳句論を再録し、室生幸太郎さんが日野草城についての評論を書いておられる。このうち俳句文学を代表する俳句論として一般文学好きのコンセンサスを得られるのは、虚子までではないかと思う。つまり寅彦以降の作家については、〝俳句文学〟を代表する俳論であるか否かについて異論が出るだろう。しかし〝俳壇〟を基準にすれば、間違いなくもっと意見が分かれる。結社ごとにセレクションが異なるはずだ。
これも異論が出るだろうが、同時代や後世に影響を与えた俳句文学という点では、子規・虚子の後に来るのは新興俳句系の作家と高柳重信、金子兜太になると思う。俳句界と他の文学ジャンルとの交流(相互影響)は、今のところこのあたりが下限だ。主に自由詩の詩人になるが、重信や兜太の俳句や俳論に影響を受けた作家は多い。少なくとも彼らの作品や評論は、俳壇を越えて他ジャンルの文学にも影響を与えた。ただこれもまたいささか乱暴だが、近代以降の俳壇内と俳壇外(一般的文学概念)の区切り、つまり俳壇を成立させたのは虚子だと思う。
虚子「ホトトギス」系の俳人の作品や評論を俳句文学の王道とすれば――実際俳壇内では「ホトトギス」系がメインストリームである――それこそ星の数ほど作家を列挙できる。しかし俳壇外の文学に影響を与えた作家ということになれば、ほとんどの俳人が除外される。それは俳句を文学として捉えている一般読者にとって、近代俳句を代表する作家は子規だが、俳壇内では虚子であることからもわかる。
吾等は天下無用の徒ではあるが、しかし祖先以来伝統的の趣味をうけ継いで、花鳥風月に心を寄せてゐます。さうして日本の国家が、有用な学問事業に携はってゐる人々の力によつて、世界にいよいよ地歩を占める時が来たならば、日本の文学もそれにつれて世界の文壇上に頭を擡げて行くに違ひない。そうして日本が一番えらくなる時が来たならば、他の国の人々は日本独特の文学は何であるかといふことに特に気をつけてくるに違ひない。その時分戯曲小説などの群つてゐる後の方から、不景気な顔を出して、ここに花鳥諷詠の俳句といふやうなものがあります、と云ふやうにことになりはすまいかと、まあ考えてゐる次第であります。
(高濱虚子「花鳥諷詠」昭和四年二月「ホトトギス」)
虚子の俳句論を文字通りに解釈すれば、多くの若手俳人が反発を感じるのではないかと思う。虚子は俳句は花鳥風月なのであり、花鳥風月でいいのだと論じている。しかし意気軒昂な若手は、俳句はそんな小さな表現の器ではない、俳句はもっと大きな、広々とした観念や事物を表現できるはずだと言うかもしれない。また虚子は俳句は「戯曲小説などの群つてゐる後の方から、不景気な顔を出して」と、つまり俳句は「日本独特の文学」でありながら、近代以降の日本文学内での立ち位置は、小説文学などの後方に位置する刺身のツマのような趣味的文学だと論じている。これにも反発を感じる若手・中堅俳人は多いだろう。
だが老年に差し掛かった俳人の多くは虚子の俳論を読んで、「その通りだ」と言うのではないかと思う。このあたりの機微をちゃんと説明するのはなかなか難しい。ただ俳句が、短歌や自由詩、小説よりも厳しい文学表現であるのは確かだと思う。俳句文学で優れた仕事を残すのは他の文学ジャンルよりも難しい。俳人が文学の世界で君臨するのはもっと難しい。虚子は恐らく正しいことを言っている。直感的俳句真理だと言ってもいい。しかし虚子的諦念に安住してしまうと俳句は間違いなく堕落する。虚子以降の俳句文学の新たな試みは、なんらかの形で虚子的諦念から抜け出そうとするものだったとも言えるのである。
鬼百合がしんしんとゆく明日の空
六月のカバンは口をあけたまま
家出するちりめんじゃこも春風も
三月の甘納豆のうふふふふ
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
多分だが磯巾着は義理堅い
友情はメロンパンだよ嵐山
七月の水のかたまりだろうカバ
かまきりと結ぶ友情星月夜
軍艦はきらいでおでんの豆腐好き
老人は甘いか蟻がすでに来た
月のぼる蛸っていじけた愛である
(坪内稔典「自選30句」より)
坪内稔典は俳壇内よりもむしろ俳壇外での方が人気のある作家かもしれない。初めて作品を読んだ方は、ユーモア系の俳人だとお思いになるだろう。しかし坪内さんは骨太な俳人だ。e.e.カミングスの剣呑に通じるような、あるいは金子光晴的な〝後ろ向きのオットセイ〟を感じさせる強い意志がある。
虚子的諦念に対抗するには、大きく構えるだけがその方法ではない。坪内さん的な方法もある。この俳人は老いない。また作品で俳句文学の敷居をわずかであれ越えようとしている。こういった作家に定期的にスポットを当てるから俳句界は面白い。
岡野隆
■ 高濱虚子の本 ■
■ 坪内稔典さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■