巻頭に「笛」という同人誌についてグラビア記事が出ている。この同人誌はなんと創刊50年だそうだ。すごい。そんなの聞いたことない。
詩と思想という雑誌と、現代詩手帖という雑誌の本質的な違いみたいなもんが、まだイマイチわからない。わからないのにレビューすべきじゃないかもしれないけど、文学とかに関心のある大方の人たちも、きっとわかってないに違いあるまい。何度も言うけど、りょんはその一般の代表として。
今回はでも、詩と思想の「定期購読のご案内」というのを見つけた。
「詩と思想」は創刊以来30余年を経、いまもっとも多くの詩人に読まれている月刊詩誌です。全国の主要書店での店頭販売も行っていますが、同時に、全国の詩人・詩愛好者のための共同の詩的広場作りを意図する運動誌的性格をも兼ね備えており、定期購読のお勧めは、読み手と書き手の一体化、定期購読者を中軸とする「詩と思想」執筆者陣の全国ネットワーク作りをも、あわせ意図するものです。
「読み手と書き手の一体化」と、明確に書かれている。文芸ジャーナリズムで、この言葉が肯定的に使われているのは、初めて見た。
執筆者には1年以上の定期購読者の中からすぐれた詩的実績を持つ方々を優先的に迎え、出来るだけ多くの定期購読者の方々に順次誌面に登場していただけるよう努力しています。ぜひ「詩と思想」誌を定期購読して「詩と思想」の読者=執筆者として加わって下さい。
ここにはっきり「詩と思想の執筆者は、同誌の定期購読者である」と書かれている。とすれば、詩と思想の自己定義で触れられている「運動誌」とは、つまりは同人誌そのものと同じなのに違いない。
もっとも詩と思想は創刊30余年、巻頭の同人誌「笛」は創刊50年ということなら、詩と思想というのはむしろ各同人誌の婢 (はしため) であり、また誇りを持ってその役割を果たしている、ということかもしれない。
人に聞いた話で、現代詩手帖という雑誌は、同人誌と同一視されることを何より嫌うということで、だとしたら詩と思想との最大の相違点はそこだろう。現代詩手帖はまず、何はともあれ商業ジャーナルであろうとし、各同人誌がその下に集まっている、という形に見せたがっている、ということらしい。
その努力の甲斐?あってか、よそのメジャーなジャーナルから同輩として扱われるという点では、現代詩手帖の方が抜きん出ている状態が続いているようだ。たしかに、それを目的とするなら、「本誌の執筆者は本誌の定期購読者である」などと明言するのは論外だね。「本誌の執筆者は内外に認められたジャーナリスト、物書きである」というポーズをとってこそ、だよ。
けれどもホントのところ、現代詩手帖の執筆者はよそで見かけることはほとんどなくて、それで巻末の広告を見ると、版元の思潮社から自費出版している人々だということがわかる。自費出版と定期購読の費用の多寡を考えると、詩と思想の方が良心的みたい。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■