『えんとつの町のプペル』はお笑いコンビ・キングコングの西野亮廣さんの最新絵本である。絵本作家としてのペンネームは〝にしのあきひろ〟だ。『プペル』は三十万部近く売れ、Amazonの絵本ランキングで一位を獲得して話題になったのでご存じの方も多いだろう。ストーリーと原画はにしのさんによるが、絵の最終的な仕上げは複数のイラストレーターが関わった共同作業である。この本には総勢三十三人ものクリエイターが参加したのだという。構想から刊行までに四年半をかけた力作である。
出版点数は増加しているのに、本の売り上げが伸び悩んでいるのは周知の通りである。ビジネス書やノウハウ本を除けば、文学を含むエンタメ系の本の中で比較的堅調なのが受験本と絵本である。これだけゲームなどのエンタメツールが溢れていれば、子供たちが本を読まなくなるのは当然だ。しかし子供には受験があるわけで、そこで出題される本は読んでおかなければならない。イジメを扱った小説の中には受験生定番の必読書もある。親御さんたちが子供に与える絵本にお金を惜しまない傾向があるのは言うまでもない。
ただそんなことは出版側も気づいているので、お受験本はもちろん、これはそうとう前からだが絵本業界でも激しい競争が繰り広げられている。質の高い絵本でなければ売れないのである。じゃあどうやって質を高めるのか。一つは言うまでもなく個人の才能に期待するのである。小説などでも同じことだが、読者の心を捉える魅力ある本を書く作家がいれば絵本は売れる。
もう一つは下世話な言い方になるが、お金をかけることである。絵本は絵と物語が組み合わさった総合パッケージ商品である。仕事の質は、それにかける時間と労力、つまりはお金と正比例する面がある。ヒットメーカーと呼ばれるような信頼できるプロデューサーがいれば、多額の資本を投下しても回収できる。ハリウッド映画方式である。もちろん制作費○○億円の映画が大コケすることはしばしばある。しかしプロの頭脳を結集した作品は、ムラのある個人の才能よりリスクが低い面があるのも確かなことだ。
にしのさんの『プペル』には時間と人、つまりお金がかかっている。ハリウッド映画方式ということである。しかし大企業がにしのさんに投資してくれたわけではない。クラウドファンディングでお金を集め、クラウドソーシングでクリエイターを募って制作を開始した。利が薄く、それ以上に売上が読みにくい出版に大資本がお金を投下してくれるはずもないわけだから、にしのさんの方法は画期的であり先見的である。他業界から新規参入して来られた方だからこういう発想ができたのだろう。また『プペル』は共同作業で作られたが、基本的にはにしのさん個人の才能によって生み出された本だと言っていい。
物語は公害で空気が淀んだ町の外れで、ゴミ人間が生まれるところから始まる。「とってもきたないゴミ人間。とってもくさいゴミ人間」とある。当然、ゴミ人間は人々から嫌われる。しかし煙突掃除屋のルビッチ少年はゴミ人間に優しく接してやる。ハロウィン・プペルという名前までつけてやる。ハロウィンの夜に二人は出会ったのだった。しかしルビッチとプペルの友情は長く続かない。プペルと仲良くすることで、ルビッチは学校でイジメにあってしまったのだった。「もうキミとは会えないよ」とルビッチは言った。
ある雪の夜、プペルがルビッチの家を訪ねてくる。遊んでいた頃よりも臭く、町の子供たちに追い回されてイジメられるので、身体はボロボロになっている。プペルはルビッチを浜辺に連れ出す。廃船に乗せ、それに膨らませた風船をくくりつけて宙に浮かせる。ルビッチの父は海で遭難して亡くなったのだが、幼い息子に空には無数の光る星があると話していた。工場の煙で空が淀んだ町では、誰も星を見たことがないのだ。プペルは空に浮かぶ船から星を見せてくれた。
またルビッチは父の唯一の写真が入ったペンダントを川に落としてなくしていた。プペルはそれも見つけ出してくれた。ただペンダントはプペルの脳みそで、それを外すと彼は死んでしまうのだった。ルビッチはペンダントはいらないと言う。「まいにち会おうよプぺル。そうすれば父ちゃんの写真もまいにちみることができる。だからまいにち会おう」と言い、プぺルに初めて会ったハロウィンの夜は、死んだ人の魂が帰ってくる日だったことに気づく。ルビッチは、プぺルの中に亡き父の魂を見る、というのが物語の梗概である。
イジメ、友情、星に包まれた天空での亡き父の魂との再会という物語は、それほどオリジナリティの高いものではない。しかし絵本は突飛な物語展開で読者を惹きつける表現ジャンルではない。愛や悲しみといった、人間精神の根幹を見つめて物語を紡ぎ出すのである。どこかで読んだような物語であろうと、作家がかけるわずかな圧の強さが物語を輝かせる。
にしのさんの『プペル』の圧は高いと思う。仲良くするとまたいじめられるよと言ったプペルに、ルビッチは「かまわないよ。痛みはふたりでわければいい。せっかくふたりいるんだよ」と言う。プペルも彼を見捨てたルビッチに、「かまわないよ。キミがはじめてボクにはなしかけてくれたとき、ボクはなにがあってもキミの味方でいようと決めたんだ」と同じ言葉を返す。そこには作家の孤独と、それと裏腹の人間同士の強い精神的結びつきへの希求が表現されている。そういった圧は読者に伝わる。またそれを際立たせるのが絵である。
にしのさんは余白の少ない緻密な絵を描く。独特の具象抽象画だ。『プペル』の完成版は、にしのさんの下絵を元に、複数のイラストレーターが細密な色絵に仕上げていったわけだが、素描であっても十分魅力的な本ができたと思う。にしのさんの細密画には世界を自分のアウラで満たしたいという欲望がある。また執拗な細部の描き込みは、決して単純化できない作家の内面の反映である。その過剰さが圧となり、絵から物語へとはみ出してゆくのである。絵本に限らず、絵と文字と映像といった複合芸術を作りあげるのに適した資質をお持ちの作家だと思う。
『「魔法のコンパス」 キングコン西野 オフィシャルダイアリー』より
にしのさんのオフィシャルブログを読むと、『プペル』を絵本にする前に、サンリオピューロランドで舞台『えんとつの町のプペル』を上演しておられる。宣伝のためだと書いておられるが、『えんとつの町のプペル』という楽曲も作詞作曲している。また『プペル』の原画展も企画開催しておられる。時間とお金をかけた作品だからという理由だけではないだろう。自分の表現の核となるという予感があるから、『プペル』という作品にこだわっておられるのだと思う。
なおにしのさんは紙の本で『プペル』を出版したが、Web上で『プペル』全編を公開なさった。これについては様々な批判があるようだが、『プペル』出版までの経緯から言ってもにしのさんの行動は一貫している。
絵本作家としてデビューするに当たって、またクラウドファンディングを募る際に、人気お笑い芸人という知名度が有利に働いたのは確かだろう。しかし表現者は誰だって作品を世に問うとき、自分が持っている付加的価値すべてを活用するものだ。特殊な人生や職歴があればそれが武器になる。容姿の美醜だってそうだ。片渕須直監督の長篇アニメ映画、『この世界の片隅に』がクラウドファンディングで資金を募り、自主映画では異例の興行収入二十億円、百五十万人の観客動員を更新しつづけているのも記憶に新しい。
またブログを読む限り、にしのさんが所属する吉本興業が彼に積極的に協力したわけではないようだ。むしろ会社と衝突することが多かったと書いておられる。『プペル』は彼独自の企画であり、その実現のために精力的に働いておられる。
他者との共同作業だが、『プペル』は自分のアート作品であるという強い思いがにしのさんにはある。テレビの世界のことは知らないが、さまざまなスタッフとの協調が求められるだろうことは想像に難くない。しかし本という表現は作家が絶対的な王様であってよい。特に共同作業をする場合は、中核作家がブレていてはいい作品は生み出せない。
また作家は読者に読んでもらうために作品を作り発表する。もちろん本の売り上げという経済的裏付けがないと長く活動してゆけない。しかしいつもいつも対価を得ることが作家の目的ではない。対価をもらえないなら書かないという作家もいるだろうが、ほとんどの作家は作品が読まれることを熱望している。作家は新たな作品を生み出す者のことであり、飽くことなく書き、発表するという繰り返しの中で作家の経済システムは成立する。
『プペル』は読者の支持を得て売れたが、それほど話題にならなくてもにしのさんがこのコンテンツを公開した可能性は高いと思う。単に儲けたい作家はこれほど緻密な絵を描き、時間をかけてそれを理想の形に練り上げたりはしない。
言うまでもなく、にしのさんが『プペル』でとった企画・制作手法が、小説や詩といった他の文学ジャンルにそのまま適用できるわけではない。しかし常に作家が中心に立ち、現代的な資金調達やスタッフ募集方法を駆使して自分の企画を実現してゆく方法は、新たな出版形態の一つだろう。確信があるなら可能だ、と言ったほうがいいかもしれない。
現代では多くの創作者の卵たちがSNSなどを日常的に活用している。ネット時代は自己発信の時代だという言い方は、もはや常識を通り越して古びてきてさえいる。しかしほとんどの創作者が口を開けてどこからか仕事が落ちてきて、本を出しませんかと言ってくれる出版社が現れる僥倖を座布団敷いて待ち望んでいる。それは自己発信の時代であり、実際に積極的に自己発信している作家像と矛盾する。
作家には自分の作品を世に送り出すために、あらゆる手段を検討し、自ら力を道を切り開くという選択肢だってある。ほとんどの作家が一皮剥けば権威主義なのに対して、にしのさんには反権力で独立した作家の雰囲気がある。ブログで「デビュー当時からずっと、西野は偉そうなんです。昨日、今日の話じゃないんです。デビューから16年、『信頼と実績』の天狗なんです」と書いておられるが、精力的に作品を作り発表する作家であり、かつ結果を残しているのなら何も問題はない。
金井純
■ 西野亮廣さんの本 ■
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