「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
一角獣
彼は犀の絵をもっていた。
写真、というよりもやはり絵だったのだろうと思う。でもそれは当時、まだ子どもだった僕からすれば写真と見間違えてしまうくらいには鮮明に描かれた犀だった。
「生き物のなかで、角をもつものだけが幸せを運ぶことができるんだ」
「つの」
「そう、角」
小学生が交わすにはちょっと詩的にすぎる言葉が彼は好きだった。もしかしたらそれが彼の本質だったのかもしれない。教室の片隅、ではなく真ん中よりすこし窓に近い席に彼は座っていて、僕以外の生徒は彼に積極的に話しかけようとはしなかった。少なくとも僕はそんな光景を見たことはなかった。
僕はというとちょうどその頃、自分は人とは違った存在だと思い始める時期にさしかかっていた。もちろんそれは僕だけではなく、他の子もそうだったのかもしれないけど、僕は自分が彼に接触できる、そのことが奇妙な誇りとなって僕の肩を押したのだった。
その絵に背景は描かれていなかった。
ただ犀だけが一頭、大地と思われる真っ白な紙面の上に佇んでいた。
「この佇んでいる犀の絵が、僕はとても好きなんだ」
「ただずむ」
「そう、たたずむ」
そう、今にして思えば「佇む」という言葉はきっと彼から学んだのだろう。そうじゃないのかもしれないけれど、そういうことにしておきたい気持ちを今の僕はもっている。
角をもつ生き物の特性について。
犀について。
佇むという言葉について。
僕は彼からそれらについて学んだ。
そういうことにしておきたい僕がいた。
でも彼にはいつも詩的なものとは別に、とても現実的なものと常に戦っている姿が僕には印象的だった。彼は給食で出てくる牛乳を飲むことができず、特別に持ち込みの豆乳を飲むことを許されていた。アレルギー、という彼の体質のせいらしい。最初はそのことにたいして周りも「あの子だけずるい」という声もあがったりもしたけれど、彼の飲んでいる豆乳がそこまで美味しいものではないと気付くにつれ、不満の数も減っていった。僕も一度だけ、飲ませてもらったことがあったけど、あの独特な青臭い味は牛乳を飲むことのほうが幸せ、と僕らに思わせるにはじゅうぶんすぎるほどのインパクトがあった。
*
「牛乳を飲む者だけが幸せを運ぶことができるんだ」と僕が彼に冗談混じりに言うと「だから僕には角しかないんだ」と真剣な表情で返されてしまって、なんだか気まずくなってしまったこともあった。
「いいじゃない、君だけが豆乳を飲めるんだし」
「あげようか」
差し出された緑色の紙パックを僕は丁重に断った。
悲しそうな顔をして、彼は付属のストローをパックに挿して中身をずずずと吸い始めた。真剣な顔つきでアレルギーという現実と戦う彼が、そこにはいた。
彼は最初から僕と同じ学校に通っていたわけではなかった。たぶん途中から転入してきて、そして別の学校に転校していった。たぶん、というのは、そこらへんの記憶がどうも曖昧だからだ。でも彼は最初からそこにいたわけではなく、いつの間にか僕らと同じ教室にいて、いつの間にかいなくなっていた。僕らが一緒にいる期間なんて驚くほど短いそれだったような気がしている。彼についての思い出なんて、それこそ前に書いたものくらいだった。僕は当時の同級生の名前や顔なんてほとんど覚えてないくせに、彼のアレルギーや犀のことは不思議と覚えていた。
あれから10年以上の月日が流れた。
僕はある女の子と一緒に、六本木で行われるちょっとしたイベントを見に来ていた。僕はそれをデートと呼んで、彼女はそれを遊びと呼んでいた。そういったすれ違いがままあるってことくらいには、僕はどうやら人生とやらを過ごしていることに気づき始めてもいた。
ちょっとした広場に多くの人が集まっているのを横目に、僕らはビールを飲ませてくれるお店に入った。そこも人でいっぱいだったけど、なぜか僕には彼らが人生をじゅうぶんに生きてはいないような気がして、彼女にそれを告げた。
「幸福って、たぶん孤島に住む一角獣のようなものなのかもね」
「どういう意味?」
「誰もそこに行くことはできないの」
ただ、住んでる。
それだけ。
そう言い切ったとき、ちょうどビールが運ばれてきて、彼女は嬉しそうにそれに口をつける。僕は「彼」のことを目の前の彼女に話そうかとも思った。ちょっと迷ったけど、やっぱり話さないことに決めて、おとなしく僕もビールを飲むことにした。「彼」の犀もその孤島とやらに住んでるとしたら、僕がその秘密をばらすわけにはいかないと思ったからだ。
そういえば。
「彼」はビールを飲めるのだろうか。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんだとき、すでにビールを半分ほど飲み終えた彼女が「ヴァギナのまわりにある脂肪って、なんていう知ってる?」と訊いてきた。
「知らない」
「ずばり、女」
「なにそれ」
「フランスにあるジョークのひとつ」
そう言って、彼女はけらけらと笑ってみせた。
僕は自分のおでこ付近を撫でようとして、やっぱりやめてビールのジョッキを傾けた。
角があるか確認する必要なんて、僕にはなかった。
おわり
オモプラッタ
4の字固めの部屋、というものがある。
いや、決して4の字固めのためにつくられた部屋というわけではなかったけれど、先輩と僕はよくそこで4の字固めの練習をしていたから、二人で勝手に、そしてこっそりそう呼んでいたにすぎない。
社内では僕らのほかにそこを使う人はほとんどいなかった。わざわざ休憩室がほかにあるのに階段を3階ぶん昇って、窓も椅子もない空間に足を運ぶ物好きなんて、僕ら以外にいるはずもなかった。
4の字固めとは、相手の足を文字通り「4」の字に固めて締めていく関節技のひとつだ。先輩の得意技であり、僕の必殺技である。
「男なら、関節技のひとつやふたつできないとな」
格闘技の経験なんて一切なかった僕に、先輩はそう言って伝授してくれた。半ば、いやほぼ強制的に僕は4の字固めの使い手となり、その部屋で日々、4の字固めの研究に勤しむことになるなんて、入社前は想像すらできなかった。
想像力。
そういえば先輩はその言葉が嫌いだった。
というか、先輩はやたらと嫌いな言葉が多かった気がする。嫌いな食べ物ならまだしも、嫌いな言葉の多い人というのは珍しい気がする。
想像力。
芸術。
クリエイター。
世界。
先輩の嫌いな言葉たちだ。
言われてみれば、なんとなくそれらには共通するものがあるような気もする。
「地に足をつけるんだ」
「はぁ」
「世の中に存在する足関節技の99パーセントは、足の裏を地面につけておけば防げるからな」
「はぁ」
意味が違う気がする。
気がする、という言葉が僕は好きだ。
今はちょうど先輩がいないので、せっかくだから先輩の嫌いな想像力について書こうと思う。
例えば、4の字固めを全く知らない人がその言葉だけでそれが何かを考えるとすると、どんなものを思い浮かべるだろうか。もしかしたら、ひげ剃り用クリームの商品名だと勘違いする人だっているかもしれない。
その想像は僕にとって、ちょっとだけ愉快なものだった。
あ、先輩が来た。
「先輩」
「なんだよ」
「4の字固めをひげ剃り用クリームだと勘違いする人っていると思いますか」
先輩はビニール袋の中から鮭おにぎりを取り出して、西洋の哲学者を思わせる気むずしい表情を浮かべながらそれを食べ始めた。西洋の哲学者がそんな表情をよく浮かべるのかは知らないけど、目の前の人が西洋の哲学者だと言われても納得してしまいそうな説得力があった。
「オモプラッタ」
「はい?」
「なんだと思う」
おにぎりはあっという間に先輩の口の中に沈んでいった。海苔の香りがほんの少しだけ、した。
「おもぷらった」
「そう、オモプラッタ」
なんだろう、人の名前だろうか。
それこそ西洋の哲学者にそんな名前の人がいたような気もする。
「わかりません」
「そうか」
じゃあ行こうか、と先輩は立ち上がって軽く伸びをした。
「どこへ」
「オモプラッタの部屋、だよ」
にやりと先輩が笑った。
僕は慌てて先輩の後を追いかけた。
おもぷらった。
少なくともそれはひげ剃り用クリームのことではないのだろう。僕はそれを想像することをやめた。
地に足をつけるんだ。
おわり
愚かさについて
世界いち、パーカーの似合う女の子がいた。
そんな子なんて存在しない、するはずがないと言い張るひともいるかもしれないけど、いたと仮定してほしい。そしてくれぐれも「世界いち、パーカーの似合う女の子」とグーグルで検索しないでほしい。
とにかく。
世界いち、パーカーの似合う女の子はいた。
彼女が普段パーカーを人前で着ることはほとんどなかった。代わりにひと冬の間に何枚も買いだめできるくらいお手頃な値段で買える、薄手のカーディガンをこよなく愛していた。
もしかしたら彼女は自分が「世界いち、パーカーの似合う女の子」だという自覚がないのかもしれない。僕はそう思って彼女にカマをかけてみた。
「なんで君は世界いち、パーカーの似合う女の子でいられるんだろう」
「パーカーがわたしを愛してるから」
素っ気ない調子で返された。
自覚はしていた。
どこか行ってみたい場所の「どこか」。
そのナンバーワン候補としてあげられるのはなんといっても「カサブランカの町はずれ」だろう。
語感が良いし、その言葉から漂う雰囲気も素敵だ。
カサブランカがどんなところかなんて、これっぽっちも知らないけど、きっと素敵な場所にちがいない。いつか行くときが来るのだろうか。行ってみたい場所ナンバーワンと同時に、自分にとって最も遠い場所ナンバーワンだという気もする。
それは「世界の果て」と似ている。
もちろん僕にもいつか「カサブランカの町はずれ」にたどり着くときが来るのかもしれない。けれどその頃には、その場所は「世界の果て」ではなくなっているような気さえする。
カサブランカの町はずれ。
なぜそんな場所を想うようになったのかとずっと不思議に思っていたのだけれど、この前ようやくその答えが見つかった。正確に言うと、思い出した。
向田邦子さんのエッセイに、そんな単語がそういえば登場していた。どの本に収録されているのかという肝心な点こそ思い出せなかったけど、たぶん間違いない。
思い出したきっかけは、彼女が食卓用ナプキンで手持ち無沙汰に二等辺三角形を折っていたことにあった。その様子を眺めながら、どこかの作家が愚かさのことを二等辺三角形のようだと例えていたなと思い至り、そこから作家というわずかな線をたどって向田邦子さんへと行き着いた。
彼女は二等辺三角形の細部を調整して、より美しい形に仕上げようと手を動かしながら言った。
「ウバザメっていう口の大きなサメはね、とても肝臓が大きいの。身体の4分の1は肝臓なんだよ」
彼女は沈黙がしばらく続くと決まってサメの話をした。サメの話をすることで、サメではない何かを伝えようとしているかのように僕には見えた。彼女にとって、世界はサメでできていた。それを語ることで世界の秘密をこっそりと僕に打ち明けてくれているようでもあって、僕は決して嫌ではなかった。
「シノノメサカタザメはサメじゃないから、間違えないようにね」
「サメじゃないんだ」
「そう、コバンザメもね」
「サメじゃない」
「そう」
僕も彼女の真似をして二等辺三角形を作るべく、ナプキンを折り畳んでみたものの、どうしてもうまくできない。悲しい。
「テンジクザメのなかには、海底を歩くやつもいるんだよ」
彼女は自分の作品に満足したらしく、両手を膝の上に置いてテーブルの上に出来た愚かさのかたまりをうれしそうに眺めていた。
思いきって訊いてみた。
「君は三角形にも愛されてるの?」
「たぶんね」
素っ気ない調子で返された。
きっと、彼女はここではないどこかにいるんだろうな。
そんな気がした。
おわり
(第24回 了)
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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。
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