Interview:金守珍(キム スジン)インタビュー(3/3)
金守珍(キム スジン):昭和29年(1954年)東京生まれ。東海大学電子工学部卒業後、蜷川幸雄スタジオに在籍。唐十郎主宰の状況劇場の公演を見て衝撃を受け、状況劇場に移籍する。状況劇場解散後の昭和62年(1987年)、劇団・新宿梁山泊を旗揚げする。演出を手がけながら役者としても舞台に上る。梁山泊では唐十郎作品とシェイクスピア作品を上演することが多い。また梁山泊の女優・水嶋カンナが平成18年(2006年)に立ち上げ、宇野亜喜良が総合美術を担当するProject Nyxでも演出を手がける。映画監督作品に『夜を賭けて』、『ガラスの使徒』がある。『千年の孤独』でテアトロ演劇賞、第57回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第43回日本映画監督協会新人賞などを受賞。
新宿梁山泊は様々な作品を上演して来たが、近年は寺山修司、唐十郎というアングラ演劇を代表する作家の上演が増えている。特に唐作品では『ジャガーの眼』、『二都物語』、『新・二都物語』に唐氏の息子の大鶴義丹氏が出演し、『少女仮面』満天星公演では娘の大鶴美仁音氏が、昨年のスズナリでの『少女仮面』は状況劇場の看板女優・李麗仙氏が春日野八千代役で出演した。また今年のシアターコクーンでの『ビニールの城』は、お亡くなりになった蜷川幸雄氏に代わって金氏が演出を担当した。はっきりとアングラ演劇を継いでゆく姿勢を打ち出された金氏に、その真意をインタビューさせていただいた。なおインタビュアーは鶴山裕司氏である。
文学金魚編集部
■新劇とアングラについて■
金魚屋 寺山さんや唐さんの戯曲の書き方は新劇とは違うでしょう。ドラマや映画も劇も、物語は基本、人物と時空間を特定することから始まります。時代は明治で場所は東京、出て来るのは女二十三歳、男三十歳、職業はなになにという感じです。性格も基本的に一定しています。でも特に唐さんの戯曲はそういった決まりがないですね。
金 唐さんの戯曲では誰々って言わない限り、男か女なんです。誰かがたとえば「金さん」って言った時に、始めて金さんになる。そういう書き方です。だから唐さんの中では、最初は誰でもない人が出て来るんです。
金魚屋 それでも成立しちゃうんですね。つかこうへいさんはアングラ的と呼ばれたこともありますが、ちょっとひっくり返すだけでしょう。『熱海殺人事件』で「なんでブス殺すんだよ」とかありますが、つかワールドでは美人しか殺しちゃいけない(笑)。でもこのどんでん返しは登場人物と時空間が決まっている限り、一回、二回しか使えないです。唐戯曲はそんな決まり事がないから何度でも転調が起こる。
金 つかさんの戯曲は、どう見たって新劇の持っていたフレームにチャチャを入れているだけですね。新劇的なクソ真面目な部分に対して、そうじゃないだろとチャチャを入れる。たとえばお葬式を取り上げて、深刻な顔してるけど、人間はそんなに深刻になれるもんじゃないというふうに持ってゆく。人間の裏の精神をおもしろおかしく描いたという点でアングラ的に見えたけど、そうじゃないんですね。蜷川さんはつかこうへいを認めなかったです。唐さんは「ああいうのがあっても面白いよ」と言っていましたけどね。でも蜷川さんは徹底的につかさんを批判してたな。四畳半芝居だ、そこから抜けるものがないと言ってね。でもつかさんは在日でしょ。僕は理解できる部分も大きいんだな。
つかさんは全共闘世代でとことん闘争をやりながら、日和ったという負い目がある。そのコンプレックスを元に『飛龍伝』という作品を書いた。あの作品は在日でなければ書けないと思います。つかさんは在日であることを隠していたわけだけど、捕まって公安から「お前、強制送還するぞ」と脅されたりしたわけです。それは在日一世たちが、在日と堂々と言えないまま暮らしてきたツケでもあるんです。
僕みたいに最初から朝鮮学校に通ってきた在日は別ですよ。僕らは民俗教育を受けて、日本はしょせん違う国なんだから、朝鮮が統一したら帰るんだと教えられました。日本人を絶対受け入れない在日集団を作っていたんです。それで十万人の在日が北朝鮮に行ってしまった。当時は韓国は民主化の前で軍事独裁だったしね。僕の友達はだいたい北朝鮮に行っちゃったんです。修学旅行で新潟に行って、万景峰号に乗った同級生たちに「マンセー」してそれっきりですよ。だけど七四共同声明(一九七二年)が出た時に朴正煕と金日成が握手して、これで自由往来ができると思った。実際朝鮮学校のサッカー部が北朝鮮に行って戻ってこれたんです。そう思っていたら朴正煕暗殺でそれがダメになった。田中角栄は日中国交正常化をやった後に北朝鮮とも国交回復しようとして、金丸信が北朝鮮を訪問したけど、それもアメリカの圧力なんかでポシャってしまった。そういう政治状況の中で、つかこうへいのような人は、ある意味で犠牲者だったのかなと僕なんかは思ってしまうんですね。
つかさんが『娘に語る祖国』を書いた時に、僕はすごく批判したことがあるんです。あの本の中でつかさんが「パパはこれから弱い者たちの味方になる」と書いていたんですね。それにカチンときて噛みついたことがある。その後、僕はつかさんの『飛龍伝』をやっているんです。『飛龍伝』を脚色して、これこそ僕が『飛龍伝』だと思う劇を『童話版飛龍伝』にしてやった。どういう話しにしたのかというと、北海道の森の中に養成ギブスをはめた七人の少年たちが、日大全共闘の元闘士に指導を受けている。その中の一人の少年小太郎が東京に出て来て、早稲田の演劇博物館で投げ手を待っている石と出会う。それはジュラルミンの楯を打ち抜く「飛龍」という伝説の石。それでその石と角棒を持った少年小太郎が、国会前で待ってる機動隊の所に行くんです。機動隊員たちはもう年老いてよぼよぼになってるんだけど、それでも学生たちとの約束を守るんだと言って出動してゆく。もちろんアイロニーなんだけどね。
金魚屋 それは傑作ですね(笑)。
金 面白いでしょ(笑)。これは映画仕立てにして、僕の中ではとてもいい作品だと思うんだけど、つかさんが烈火の如く怒っちゃってね。この作品で僕は読売演劇大賞演出家賞を受賞したりしたんだけど、ビデオからなにからなにまで差し止めになっちゃった。だけどつかさんは見てないんです。見た人がつかさんに何か言ったんでしょうね。ただ僕も反省している点があって、風間とか三浦とか、つかさんの所の役者の名前を使っちゃったから、それは謝らなきゃならないと思っています。つかさんに一回会いましょうと言ったんだけど会わずじまいでね。だけどつかさんのマネージャーをやっていた方が、もう誤解は解けている、それにつかさんもまた一緒に仕事したいと言っているから、つかさんが元気になったら会いましょうとおっしゃっていたんです。それで再会を期待していたんだけど、叶わなかったなぁ。
金魚屋 つかさんは六十二歳でお亡くなりになったんですよね。若すぎますね。寺山さんは病気を抱えていたから仕方ない面もあったけど、困ったもんです。
金 唐さんも頭打っちゃうしね。
金魚屋 ほんとですよ。あんな珍しい人種の人が倒れちゃいかんですね。
新宿梁山泊 新宿梁山泊第57回公演(2016年)
『新・二都物語』
作:唐十郎 演出:金守珍 美術:宇野亜喜良
金 僕の夢は、今の過渡期の中でしっかり店を開いて劇を作らなきゃならないし、それを受け継ぐ土壌を作らなきゃならないってことです。それまでは死ねないし仕事をやめることもできない。その希望は大鶴義丹という、唐十郎の息子が演劇の世界に戻ってきたということです。彼は文才もあるから、本を書き残せるはずです。また異母兄弟だけど大鶴美仁音、大鶴佐助がいる。役者で唐さんの血筋がいるということは、現代歌舞伎になる可能性があるってことなんです。そういう新しい血筋というか、演劇の流れはほとんどないですね。テレビのような消費世界にいたってしょうがないでしょう。演劇の世界で光り輝けますよ。それには新宿梁山泊が一番ふさわしいという思いが僕にはあります。義丹はそれに目覚めたと思います。テレビ、映画の演技では太刀打ちできないアングラ劇に、恥をさらしてまで舞台に上がっている存在というのは重要です。いろんな所からボロクソに言われているはずですよ。
金魚屋 それは、起こしていいんですか?(笑)。
金 言われていいんじゃないかと思います。でもちょっとやんわりさせてね(笑)。歌は下手だね。「金ちゃん、今度歌う時は前もって言って」とか言ってるけど、いいんですよ、下手で。それを晒すことで今の自分が見えるんだから。下手に綺麗にまとめて批判を恐がっちゃダメです。だけど舞台をやるたびに彼は向上していっているからね。アングラ演劇は新劇的な上手さがあればできるかっていうと、これもできない。アングラが持っている飛躍のエネルギー、ある意味で狂うこと、常識じゃない非常識、自分の中の狂気を発散しないとできない。これは教えて出るものじゃないです。舞台に出てボロクソに言われて、くそぉと思った所からしか出て来ないと思います。
金魚屋 義丹さんはスイッチが入ったら、すべて理解できるでしょうね。
金 彼は中学生の時に、NHKの『安寿子の靴』というドラマで唐十郎といっしょにデビューしているんです。暴れた武勇伝もたくさんあるしね(笑)。やっぱり唐十郎の息子だと思います。
■唐十郎の戯曲の書き方について■
金魚屋 唐さんの戯曲はとても特殊だと思います。ほかに例がない。戯曲では人格が変わったり、時空間を歪めるような前衛演劇がたくさんあります。でもどこかに必ず現実の手触りが残る。現実をベースにしている安心感が伝わると言ってもいいです。だけど唐さんにはほとんどそれがない。無意識を書いていて、それがじょじょに現実化していく感じです。
金 今日はたまたま家に持って帰っちゃってるんですが、『風のほこり』の原本があるんです。百ページいっても書き損じ、誤字脱字がないんです。万年筆で大学ノートにちっちゃい字で書いているんですが。
金魚屋 それは、普通はあり得ない。
金 状況劇場の時代は、李さんに言われていろいろ書き直しているけどね(笑)。
金魚屋 シュルレアリスムの自動筆記のように書いていくんですね。
金 なにか頭の横に降臨してくるんですって。その人の言葉を写しているらしいです。だから「最近降りてこないんだよなぁ」って言ってました(笑)。
金魚屋 唐さんは最近お元気ですか。
金 足元はおぼつかないけど、酒も煙草もやめたから肌つやはいいですよ。じょじょに回復しておられます。でも以前のように酒を飲んでいたらヤバかったかもしれないなぁ。書けないから酒が進んじゃったのも事実なんです。
金魚屋 『二都物語』は唐さんの李さんへのラブレターだと思いますが、新宿梁山泊さんの『二都物語』で義丹さんが男役の主人公を演じたのは感慨深いものがありますね。
金 唐さんが倒れた後ですが、朝日新聞の朝日賞を受賞しました。あれは蜷川さんが受賞させたんです。蜷川さんがお祝いのスピーチをするはずだったんですが、その前に蜷川さんも倒れちゃった。大鶴義丹が唐さんの代役で受賞のスピーチをした時に、「金ちゃん、俺、舞台やりたいと思ってるんだ」と言ったんです。だから舞台をやるのは彼の決断でもあったんです。
金魚屋 その授賞式の様子はテレビで見ました。義丹さんがお父さんに付きそうことがあるんだとビックリしました。それまではちょっと距離を取っていた感じでしょう。
■大鶴義丹について■
金 NHKで『わたしが子どもだったころ』という、ドキュメンタリー形式の一時間番組が放送されたんです。その時に僕が唐十郎役をやって、うちの水嶋カンナさんが李麗仙役をやった。あの番組のサブタイトルは『僕は恐竜に乗らない』で、つまり赤テントという恐竜がいて、義丹はそれに乗らなかったという意味です。それが今舞台に戻ってきたわけじゃないですか。これは大きいですね。多分に僕の希望が混じっているんですが、もしかするとアングラの二世代目に火種が移って、現代歌舞伎が始まってゆくかもしれないと思うわけです。これから五百年続くんじゃないか、僕はすごいことをやってんじゃないかという妄想が膨らむんですけどね(笑)。それに彼には在日というレッテルを貼られるというコンプレックスもあるわけです。お父さんが日本人の唐さんだから、日本国籍なんだけどね。でも今ネットで在日を曝く会とかいろいろあるでしょう。それを彼は気にしたりしているんですよ。
新宿梁山泊 『二都物語』より
金魚屋 お母さんが李麗仙さんだから、曝くもなにもないじゃないですか(笑)。
金 そうなんだけどね(笑)。でもそういうコンプレックスは演技の力になります。
在日ということでもう一つ言えば、新宿梁山泊は旗揚げから作家を規定しないで劇をやっていこうという方針だったんだけど、いっしょに旗揚げした鄭義信君に新作を書いてもらって『人魚伝説』まで舞台を作ったんです。残念ながらちょっと裁判になっちゃったんだけどね。梁山泊の代表作は唐さんの『少女都市からの呼び声』で、僕はアングラを継承していくという気持ちがあったんですが、鄭君は映画のシナリオを勉強した人だから、アングラチックだけど書くものがどうしてもリアリズムなんです。それでしょっちゅうぶつかっていたんですね。裁判は、僕が『それからの夏』と『人魚伝説』の著作権を侵害したということで鄭君と争ったわけですが、『人魚伝説』を例にすると、僕が鄭君の本に物足りなさを感じて唐十郎や三島由紀夫の世界をぶち込んで、何年もかけて現場で違うバージョンを作っていったんです。確かに『人魚伝説』の著作権は鄭君にあるわけだけど、梁山泊バージョンの『人魚伝説』を上演できないというのはおかしいと裁判で争ったんです。だけどこれはきりがない。無理に上演権を勝ち取っても嬉しくないから途中で僕が引いて終わったんだけどね。鄭君にすれば梁山泊版『人魚伝説』ではなく、は雑誌「新劇」に載ったオリジナルの『人魚伝説』をやればいいのにということなんだろうけど。
金魚屋 そのお話は金さんにインタビューする前にかなり事前学習してきました。デリケートなお話ですね。二十一世紀の情報化時代になって、引用や二次創作という新たな創作手法が当たり前になってきています。情報化時代で過去の芸術リソースがいくらでも参照できる時代になったということは、もうたいていの試みはやり尽くされていますから、昔みたいに人々が決定的に新しいと感じる表現が少なくなって、過去のリソースの引用・改変も創作の視野に入れなければならない時代になったということでもあります。ただこれは社会一般の動向で、演劇の世界では昔から二次創作が盛んに行われてきました。本と舞台はイコールではないわけですから。大変言いにくいですが、金さんと鄭さんの間で感情の行き違いがあったんじゃないですか。
金 僕が鄭君の編集者みたいなものだったからね。実際たくさんダメ出しをして、別バージョンの作品を作っちゃったりしたわけだから、個人的ななにかがあるんだろうな。ただあの裁判では最初はシナリオ協会との話し合いだったのに、途中から演劇協会になって平田オリザ君が出て来たんだよね。あれは頭にきた。
金魚屋 それはもっとめんどくさい話じゃないですか。やめましょう(笑)。
金 なんで。
金魚屋 だって平田さんはすごい政治力をお持ちでしょう。鳩山由紀夫内閣の官房参与で鳩山首相の総理演説の原稿も書いておられた。平成二十五年度成立の『劇場法』(劇場、音楽堂等の活性化に関する法律)を発案して通したのも実質的に平田さんですよね。劇作家で劇団主宰者というだけでなく、政治家でもいらっしゃる。『劇場法』の対象はほぼ公共施設ですが、リアルな話しとしては補助金の問題でもあるでしょう。金さんと鄭さんの裁判どころのお話じゃなくなっちゃう。創作者同士の衝突と意地の張り合いの話しから、マジで政治の話しになってしまいますよ。
金 だけど『劇場法』が力を持ったら小さい劇場はなくなっちゃうよ。それにいつだって世の中はたくさん問題を抱えているわけでしょう。今だって沖縄問題や右傾化問題など、日本はたくさん問題を抱えています。政府の補助金もらいながらそれに斬り込むような作品を作れますか。毒も牙も抜かれてしまう。
金魚屋 平田さんの作品は「静かな演劇」として知られていますが、あれはアングラとか小劇場のアンチテーゼじゃないんですか。
金 大嫌いでしょうね。彼の演劇は日常だから。
■アングラ演劇の継承について■
金魚屋 やっぱり(笑)。ただ政治的な議論に乗っかっちゃうと、昔の左翼演劇みたいになっちゃうでしょう。真っ正面から突っ込んでいって玉砕するのは立派で目立つことですが、どんな圧力にも屈しないしたたかで粘り強い表現の方が、後世に貢献できると思います。
金 それが僕にとってのアングラなんだな。寺山さんや唐さんの言葉は強いです。シラフのまま日常では経験できない世界に連れて行ってくれる。それは本質的に平凡で常識的な日常生活を破る毒であり、新しい世界を見せてくれる希望でもあります。僕がテントにこだわるのもそのせいですね。テントこそアングラの原点だと思います。台風が来てもやらなきゃならない。実際二回ほど台風の中でやったんですが、その時の俳優と観客の盛り上がりはハンパじゃない。
金魚屋 もしアングラ演劇を理解したいなら、新宿梁山泊さんの舞台を見るのが一番いいと思います。もちろん演劇の好みは人それぞれで、四季や宝塚ファンの方もいらっしゃる。アングラ演劇にはまる人は、そこで自分の持っている無意識のようなものが重なるんでしょうね。
金 大袈裟に言うと人生が変わっちゃうような怖さ、狂気がありますね。ただ僕はアングラ演劇を、汚くて怖くて危険な劇じゃなくて、わかりやすくかみ砕いて上演しているつもりです。現代はなんやかんや言ってエンターテイメント性も必要です。この前蜷川さんの代わりにシアター・コクーンで唐戯曲をやったんだけど、宮沢りえさんとかに出演してもらって、数年間、それを続ける予定なんです。まだスケジュールは全部は決まってないんですけどね。もちろん宮沢りえさんとか森田剛君とかを見に来られるお客さんもいらっしゃるだろうけど、目をギラギラさせてアングラを見に来る方もいらっしゃるかもしれない。そういったお客さんすべてに応えるような舞台にしなきゃならない。宮沢さんは唐戯曲の言葉に魅了されているようです。何か心の底にまで届くものを感じているんでしょうね。
新宿梁山泊 新宿梁山泊第52回公演(2014年)
『ジャガーの眼』
作:唐十郎 演出:金守珍 美術:宇野亜喜良
金魚屋 僕は一九八〇年代に物心ついたくらいの年齢ですから、アングラを始め、七〇年代の前衛芸術の時代はリアルタイムでは経験してないんです。ただ同時代の新しいと言われる表現を見回して、どうも七〇年代くらいのアバンギャルドが二十世紀芸術のキーになりそうだなという予感はありました。リアルタイムの経験はないですが、それが誰かに、何かに肩入れすることなく、冷静に過去を見ることができるという微かなメリットになっているのかもしれませんが。
金 それは僕もそうですよ。五年で蜷川さんの元に戻るつもりが三十年かかりました。唐演劇のドアを開ける鍵を、やっと一つは見つけたような気がします。でもまだ七つの扉があるかもしれないね(笑)。
金魚屋 僕はずっと演劇が好きで来たわけじゃなくて文学系の人間ですが、唐さんの戯曲は特殊だと思います。
金 ご本人もよくわかってないみたいです。昔の本を読んで「なんでこんなこと書いたのかね」とか言いますもの(笑)。僕が蜷川さんの元にいたとき、演出助手が五人くらいいたんですが、彼らが話しているときに、いつも唐にはゴーストライターがいるって言ってたんです。本書いて演出やって役者で出るなんてできるわけがない、ゴーストライターがいるよってことですね。僕も当時はそうなんだと思っていました。で、状況劇場に行ったら、確かに唐さんと李さんが台本で激しくやり合っている。でも唐さんには彼にそっくりなお兄さんがいるんです。だから最初は「あ、このお兄さんが書いているんだ」と思っちゃった。それから小林薫さんが辞めたりして状況劇場解散になった時に、僕らは新人公演を企画したんです。それは秋公演で、普通は七月、八月には台本ができているんです。だけど九月になってもできてなかった。十月になって山名湖にみんなで合宿に行ったんですが、そこにあった天守閣の三畳ほどの狭い部屋で、やっと唐さんが戯曲を書き始めた。その時初めて「やっぱり唐さんが書いてるんだ」と思った。罫線もなにもない紙に、真っ直ぐちっちゃい字で書いてある。唐さんに言わせると、それが書く際の一つの呼吸だそうです。ああこれが蜷川さんがおっしゃっていた唐さんのちっちゃい字かと思いました。それは『鉛の心臓』という作品で、両国国技館の跡地でやりました。でもその時は珍しく、両国での公演が終わった後にねそべって書き直していましたね。李さんといっしょの時は、しょっちゅう書き直していたわけですが。
金魚屋 ビートルズと同じで、厳しいせめぎ合いの中からいい作品が生まれるわけですが、それは十年くらいしか続かないのかもしれませんね。
■新宿梁山泊の今後の公演について■
金 スパークですね。何かの触媒があって化学反応が起こる。『少女都市からの呼び声』はまさにそれだったんです。あれは唐さんの初期作『少女都市』が元になっています。中身はそのままなんだけど、新たなプロローグとエピローグでサンドイッチすることで、今の時代に甦らせようとした。昔の作品を僕らが演じる時に、新しいプロローグとエピローグを唐さんに作ってもらう。李さんという触媒はもうないですから、僕らで化学反応を起こそうとしたんです。だけどなかなか唐さんに理解してもらえなくて、梁山泊を立ち上げた頃は、「お前は俺を利用しようとしている」と何度か抗議を受けました。だから梁山泊旗揚げから『少女都市からの呼び声』をやるまでに七年かかりました。
新宿梁山泊 新宿梁山泊第57回公演(2016年)
『マクベス』
作:W・シェイクスピア 演出:金守珍 美術:宇野亜喜良
金魚屋 唐さんも体調を崩すとは思っておられなかったでしょうけど、金さんがいらしてよかったんじゃないですか。
金 そうだったらいいですね。ただ一回やるたびに、こうじゃないか、ああじゃないかの繰り返しです。答えはないですね。人生は短いから、あと何回チャレンジできるのかなとも考えます。成功だったなぁと思ったことは一回もないですが、かといって大失敗もしていない。劇団の座長として、そこはおさえなければならないしね。唐さんに関しても、一冊も本を出してないんです。次の世代が見えてきてこいつに託せるなと思ったら、なにかまとめたいと思っています。それまではいろんな形で劇を上演し続けるしかないですね。
金魚屋 一九八〇年代の後半まで詩や小説や演劇といった文化は、戦後というより二十世紀的な文脈で発展・変化して来たと思います。九〇年代くらいから〝ポスト○○〟が言われ始めて、それなりに新しい作品が生まれたんですが、本当に新しい文化が生まれるのはこれからのような気がします。そのためにはまず、二十世紀で何が一番重要なムーブメントだったのかを特定しなければなりません。演劇ではアングラ、というより唐十郎だと思います。
映画『ガラスの使徒』(2005年)
監督:金守珍 製作:郭充良 プロデューサー:齋藤寛朗原作:唐十郎 脚本:唐十郎 撮影:猪本雅三 音楽:大貫誉/和田啓 編集:小島俊彦
出演:佐藤めぐみ/稲荷卓央/山田純大/余貴美子/六平直政/中島みゆき/佐野史郎/原田芳雄/石橋蓮司/大鶴美仁音/唐十郎
金 僕もそれはすごく感じています。海外に出たら、アングラこそ日本文化が誇る演劇だと言うことにしているんです。それを僕らは誇りを持って皆さんにお届けすると。僕はフランスやカナダ、ニューヨークで唐戯曲を上演しましたが、唐十郎は日本のシェイクスピアだと思っているからです。百年、二百年後に誰を論じるかと言うと、唐十郎になるんじゃないか。色あせないでしょうね。だから僕らがそれを受け継いでいかなきゃならない。とまあ、そういうことをスピーチで話したりするんです。
金魚屋 唐さんは僕らの同時代人で、六〇年代七〇年代を知っておられる方はなおさらのこと、「あのムチャクチャな唐作品が古典になるだって?」とお思いになるでしょうが、古典中の古典になる可能性は高いと思います。新宿梁山泊さんはシェイクスピア作品も定期上演されていますね。
金 はい。まだ三本目ですけど、唐作品は日本のシェイクスピアと言ってきました。唐作品は演出できても、シェイクスピア作品が演出できないんじゃしょうがない。蜷川さんの世界を受け継ぐためにもチャレンジしていこうと始めました。新宿梁山泊の劇場名は小田島雄志さんから「満天星」を、唐十郎さんから「芝居砦」をいただいたんですが、小田島先生はシェイクスピア学者ですからいろいろ教えてもらって参考にしています。
金魚屋 役者さんも九九パーセントは技術ですから、アングラ演劇だけをやっていたのでは技術が身につきませんよね。
金 そうなんですよ。演劇をやるにはシェイクスピア作品が持っている物語とか、劇の構造を学ぶ必要があります。とは言いましたが、十一月十八日からやる今回の『マクベス』は、完璧にアングラ版です(笑)。『マクベス』は魔女たちが意味のないことを言って、それに人々が翻弄されている喜劇ですよ。悲劇じゃない。マクベスは「女の股から生まれたものはマクベスを倒せない」、「バーナムの森が進撃してこない限り安泰だ」という予言を信じるわけですが、帝王切開で生まれたマクダフがマクベスを倒し、イングランド軍がバーナムの森の木の枝を隠れ蓑にして進軍してくるわけでしょう。それってオチですかっていう最後です(笑)。マクベスを主人公にすると悲劇になるわけだけど、まず魔女がいて、彼女たちが悪さをしにきて、その犠牲者がたまたまマクベスだったと捉えると喜劇になる。あの物語には、ほかにも魔女に翻弄される犠牲者がたくさんいます。だから今回は、たいていの『マクベス』ではカットされる魔女の台詞を全部生かしているんです。ちょっと前に今回は音楽でカンツォーネを使うと言いましたが、それは魔女たちの讃歌なんです。「今日なにしてきたの?」「ブタ殺しにいった」とか魔女たちは会話するわけですが、日常会話じゃないですもの。それはアングラに通じます。シェイクスピアは『マクベス』で自然の大きなる力を利用して、あり得ないこと、不思議なことを具現化しているんですね。だいたいマクベスは、ヒキガエルかなんかを煮込んだスープを飲まされた後に予言二つを与えられて信じこんじゃう。まあ無防備だね。あれを四百年間、真面目な悲劇としてしか演じて来なかった西洋の人は、ちょっと可愛そうだと思います(笑)。
金魚屋 欧米の劇団に限らず、シェイクスピア劇は神聖不可侵という感じになりやすいですね。
金 だってシェイクスピアは当時は大衆演劇でしょう。劇を見てお客さんはワイワイ喜んだはずなんです。それにこれは小田島先生もおっしゃっていたんですけど、シェイクスピア劇はやたら長いから、全部いっぺんに上演したとは考えにくい。歌舞伎のように、今日はここ、明日はここっていう感じで楽しんでいたはずなんです。シェイクスピアも近松門左衛門も鶴屋南北も高尚な劇を作ったわけじゃなく、大衆相手の劇をやっていたはずなんです。研究も大事だけど、原初形態に戻すことも大切です。
金魚屋 やっぱり演じている方としては、ウケないと面白くないでしょう。
金 もちろん(笑)。
金魚屋 新宿梁山泊さんは毎年六月に新宿花園神社でテント公演を行われますが、もう演目は決まっているんですか。
金 『腰巻おぼろ〈妖鯨篇〉』をやる予定です。この作品は、唐さんがパレスチナに行って『唐版 風の又三郎』を公演して帰ってきて、翌年に書いた作品です。この作品は初演以降、誰も再演していないんです。台本が電話帳くらい厚いんです。初演は五時間くらいの上演時間だったようです。当時はお酒飲みながら、リラックスして楽しんでたんでしょうね。
金魚屋 それはまた新しいチャレンジになりますね。今日は長時間、本当にありがとうございました。
(2016/10/25)
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■ Project Nyx 第16回公演 『時代はサーカスの象にのって』(寺山修司) 2017年01月19日から23日まで ■
■ 金守珍さんの作品 ■
■ 唐十郎さんの作品 ■
■ 寺山修司さんの作品 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■