日本を代表するベストセラー作家。一九五一年、神奈川県小田原市生まれ。七七年、筒井康隆氏が主宰する同人誌『ネオ・ヌル』にタイポグラフィック作品『カエルの死』を発表。『奇想天外』八月号に転載され、デビュー。小説デビューは『奇想天外』同年十月号に掲載された『巨人伝』(後に『はるかなる巨人』と改題)。八九年『上弦の月を喰べる獅子』で、第十回日本SF大賞および第二十一回星雲賞(日本長編部門)、九八年『神々の山嶺』で第十一回柴田錬三郎賞を受賞。今年度は『大江戸釣客伝』で第四十六回吉川英治文学賞、第三十九回泉鏡花文学賞、第五回舟橋聖一文学賞で三冠を達成。日本SF作家クラブ会員。
(金魚屋編集部)
──詩や詩人について、ご関心が深いですね。
獏 朔太郎の生家を尋ねたり。あの病的な朔太郎について書きましたよ、『腐りゆく天使』というので。
──獏さんの作品を読ませていただいても、詩にご関心がおありなんだろうな、と思うところがあります。改行の仕方もそうですが。
獏 僕はもう、改行するのが大好きで。一行書いたら、そこで意味が終わっちゃうので。違う意味を持った文章を体質的に、入れられないんですよね。
──それが一瞬、詩に見えるときがあります。リアルな小説であっても、たとえば『神々の山嶺』でも。
獏 平気でやってますね。「山がある。/山がある。/どうしようもなく山がある。」と。小説的には意味はないんですけど。「山がある」のを重ねてゆくのは・・・。
──物語が突然、詩になってしまったり。山々の連なりも感じますし。
獏 浮かんじゃったら、書いちゃいます。どっちがいいかと判断するレベルのものではなくて、浮かんだら、書く。
──主人公の心情を散文的に説明するよりも・・・。高山病で意識が犯されていくところも、幻想的で詩的な描写になってますよね。
獏 そうなりますね。
──こちらがデビュー作の『カエルの死』で、タイポグラフィですね。
獏 これが最初だったんです。「カエルの死」で、ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん、と。
夢枕獏『カエルの死・タイポグラフィクション 』昭和60年(1985年)1月1日 光風社発行
──草野心平さんの作品と近いですね。
獏 串田孫一と、あの「いちめんの菜の花」の山村暮鳥に影響を受けています。こちらは三好達治の詩がモチーフです。「太郎を眠らせ」と「次郎を眠らせ」です。
『カエルの死・タイポグラフィクション』より
──これは指定をされたんですか、それともご自分で。
獏 自分で貼りました。友だちのデザイナーに頼んで、写植を打ってもらって。これなんか、僕が自分で全部切り抜いて。今だったら、パソコンでできると思いますが。
──こちらがデビュー作なわけですから、やっぱり特別な嗜好というか、素質がおありになるように思います。
獏 これは特殊な本ですよね。
『カエルの死・タイポグラフィクション』より
──詩集もお出しになられていますね。「岩村賢治」というお名前で。
獏 キマイラに登場する詩人が出した、という設定です。
岩村賢治詩集 夢枕獏・編 『蒼黒いけもの』 昭和62年(1987年)5月30日 朝日ソノラマ発行
──面白いですね。バックグラウンドに小説があってという、そういう仕掛けというか、構造を持っている詩集というのは。
獏 あれはね、ぎりぎりペイしたんですよ。小説本が売れていたし、「キマイラ」シリーズのファンが買ってくれたんだと思うんです。「岩村賢治」って、実在するのかな、と勘違いして(笑)。序文を書いて下さった谷川俊太郎さんの言葉が利いたんだと思いますけど。
──本格的ですものね。
獏 それとね、佐藤春夫の未発表の詩集を持っている、ということにして、その中の詩をでっちあげて、これがいいとかなんとか、書評をしたことがあって。そしたら、どこかの図書館から「この本、どこにあるんですか」って問い合わせがきて。「すみません、これは小説ですから」って。
──獏さんご自身、ずっと詩をお書きになられているんですよね。ぜひ拝見したいんですが。
獏 三日前にも書いたものがありますが、清書をしないと。清書しながら、直さないと。
──書かれたものは、お家に置かれてるんですか。
獏 いつか本にしたいと思って。『陰陽師』などでずいぶん稼いだから、そういう売れない本も、そろそろいいんじゃないか、と。
──作品の中に難しい漢詩など、読者がついてこられるのかな、という部分もたくさんありますよね。
獏 そう、好きで書いてしまっているけど。ついてきているか、どうかは。
──今は、鴎外の『舞姫』でも読むのが難しいと言われる時代で。
獏 読み下し文は付けてるんですけどね。雰囲気で理解してくださいよ、と言うしかないところでね。僕らでも漢詩は読めないですもの、返り点が付いていても。何となく意味が取れるぐらいで。僕らより20年ぐらい年配の方なら、なんとか読めるかもしれないけど。基礎教養として習ってないですからね。
──やはり中国の古典、唐時代などはお好きですか。
獏 李白とか、唐詩は好きですね。あの時代は背後にドラマがあるので。科挙に失敗したようなやつが、山の中に引っ込んで琴ばっかり弾いていたり、とか。
──山の中にいて、なんでそんなに有名なんでしょうかね。(笑)
獏 李白なんかも生前、いろんなアピールはしたんですけど、結局なれなかったし。長安にいたのもほんの数年で。杜甫といっしょに旅行したりもしてるんですね。彼らは金がないから、どっかのお大尽がご馳走してくれて。杜甫は、ちまちまと「この肉の何とかの味は何とかで・・・」みたいな詩を書いている。李白は白髪三千丈の人ですから、もっと豪快な「ブラボー!」みたいな詩を書いている。
──獏さんのお書きになっている詩は、もう『カエルの死』のようなタイポグラフィカルなものではないんですね。でも、ヴィジュアルなものとの結びつきは、やはりありますでしょう。絵本みたいな。
獏 僕は童話が好きで。大学卒業して、福音館だけ受験したんですよ。で、落ちてしまって。その恨みを晴らすというので、ようやく絵本を書いて、もう渡してあります。来年、絵が出来上がるんです。
──でも、ご自身でこんなタイポグラフィの版下を作られるぐらいですから・・・。
獏 この頃は売れてないので、毎晩毎晩、カッターで活字を切り抜く作業もできたんですけど。もう、できないので。
──さすがに、お忙しすぎますよね。アートディレクター的に、絵の内容にコミットされても面白いとは思いますが。また密教的というのでもないですけど、梵字みたいな。
獏 アイディアが浮かべば、やるなと言われてもやりますよ。そうそう、寺田克也さんと作ったものがあります。一昨年、皆でテーブルマウンテンに旅行したときに、たまたまツカ見本(ページが真っ白な書物の見本)があったのでそれを持っていって。それで毎晩、僕が文章を書くと、彼が絵を描いて。15日間行っていたものだから、『十五夜物語』というタイトルをつけて。絵はカラーで、なかなかいいものができて。それがようやく早川書房から出るんです。
──枠組みを用意しているのでなく、何かのはずみでできてしまう、というのが楽しいんですね。
獏 さっきの『腐りゆく天使』は、映画監督の佐藤嗣麻子さんと知り合いで、彼女が「夢を見た。白い天使が腐ってゆく夢だ」って。で、「それ、俺にちょうだい」って、飯おごって、そのアイディアをもらって長編を書いたんです。もらったのは、たったそれだけだったんですけど、このイメージは萩原朔太郎だな、って。そういうことでくっつけていって。
──その一言で、きてしまったんですね。
獏 そのヴィジュアルが頭にあるんですね。それにどういうストーリーが相応しいだろうって、この作品のように物語は後から、というケースはあります。
──ヴィジュアルを読み込むものとして、そういった言葉があったのでしょうか。
獏 ヴィジュアルと言うより、その淫乱な言葉そのものがね。朔太郎のオノマトペなんて、妖しいじゃないですか。「しののめきたるまへ/家家の戸の外で鳴いてゐるのは鶏《にはとり》です/声をばながくふるはして/さむしい田舎の自然からよびあげる母の声です/とをてくう、とをるもう、とをるもう。」とか。これが鶏の鳴き声だなんて、朔太郎がやらないと誰も思いつかない。それから、「さうしてこの人氣のない野原の中で、/わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、/ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、/おまへの美しい皮膚の上に靑い草の葉の汁をぬりつけてやる。」なんて。その言葉の妖しさそのものに、ですね。
──必ずしもヴィジュアルだけでない、意味もですね。この『カエルの死』でも、その融合ですよね。
獏 『カエルの死』は、いくつか傑作はあると思います。しばらく連載していたので、締め切りが来て考えて書いたものは、まあまあ、水準くらいかな。やっぱり、あるとき突然、きたやつっていうのは、すごい。
──『カエルの死』をスタートとして、まるで世界を書き尽くすような勢いで書かれていますね。
獏 書き尽くしたいんですけどね。寿命ってものがあるから。
──60歳になったら、みたいなことをおっしゃってましたが、やはりこのままずっとお書きにならないと。
獏 70歳になったら、なったで。でもね、最近知り合いの作家に会うと、「何冊書いてる?」って話になる。70歳超えると減りますね、年に二、三冊。一年に十冊書いているという方はほぼいませんし、いるとすれば口述筆記とか、いろんなケースがありますが。今、61歳ですから、この10年間に勝負を賭けようと。それから後の人生はもう、もらいものだと。
──もう計画とか、見通しを立てられてますか。
獏 書きながら考えるというのはね、完結まで10年、20年かかっちゃうんで、残り時間を考えるともうできない。だけど日々のことでは、僕はだいたい、1時間に5枚書けるんです。いくときは8枚。
──そりゃ、すごいですね。
獏 締め切りまで5枚ずつ書いても、残り時間がないってとき、ありますよね。そのときは、とにかく書いちゃうんです。どうしていいかわからない、って状態のときは、それをそのまま。主人公の悩みが僕の悩みでもあるわけですから、どうしていいかわからない、と。一行書くと二行目が出てきて、二行書くと三行目が出てきて、五行目書くときにはもう、十行目ができてくるので。
──追い詰められ感が出ますね。
獏 どうしようもないときは風景から書いたりします。ストーリーは進まないんですけどね。前回からの続きだと、状況はわかってますので、「そのとき風が吹いていた」。春だったら「新緑の匂いがしていた」。で、主人公の心の内はわかってますので、「その風を浴びながら、こういうことを考えていて、こういうことをしたがっていて」と、書いてゆくと、でてくるんですね。本来、頭の中で考えておくべきことを書きながら、とにかくこうやって凌いだりという技もあるんですけど。こうやって書いたものが、ちりばめられてる。
──読者には、わからないんですね。幸せなことに。
獏 僕はもう、20年、30年近く書いてきたものが多くて。「キマイラ」シリーズはいまだに、もう30年続いているんですが、普通の人の人生で30年といえば、その間には親が死んだり、女が逃げたり。いろんな精神状態のときがあるんですよ。どういう精神状態のときにも、必ず締め切りはやってくる。そのときには理屈じゃなくて、凌がなきゃならない。そういう時は、いかにヘタ打たないで凌げるか、という。皆、おそらく似たようなことを経験してるんじゃないかな。
──流行作家のトップランナーでいらっしゃいますから。
獏 いまだに脱落しないで何とかやってるっていうのは、皆さんも同じように。
──締め切りは、かなりしっかり守られる方ですか。
獏 守りますね、最終的には。編集より僕の方が長くて、経験値があるのでね。担当が変わるとね、必ず何日か締め切りが前に寄るんですよ。はいはいってね、僕、わかってますから、何日の何時でしょ、って。それまでには必ずやりますから。
──ご立派です。
獏 だけど、小説誌に書いている作家全員がそれやっちゃうとダメなんです。何人かが遅れるぶんにはいいけど、全員が遅れると雑誌ができない。「折り」がどこに来るか、ってのにも依ります。
──「折り」の位置まで見透かされますか。でも、非常に勤勉でいらっしゃいますよね。
獏 それは生命線だから。
──お仕事がお好きだと思います。ご両親の影響などもあるんでしょうか。
獏 僕が幼稚園の頃ぐらいだと思うんですが、夜、親父がいつも寝る前に話をしてくれたんですね。毎晩。
──お父様が。珍しいですね。
獏 浦島太郎とか、親父が記憶している話をね。それが出尽くしちゃうわけですよ。途中からは親父が主人公を設定して、行き当たりばったりの話をしてくれるんです。僕は寝ないで、その続きは? って訊き続けると、親父がギブアップするんですね。じゃ、その続きは僕が、って。それは子供の頃にやってたんですね。
──それは面白い。
獏 僕は文字を覚える前に、小説をしゃべってたんですよ。原点と言うなら、それじゃないかな。
──イメージとストーリー。それと「次は?」ですねえ。ああ、わかってしまった気も。
獏 だからトラウマですよね。
──子供みたいにファンが待ってますから、「次」がないと。
(2011/5/18)
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