コールドケース~真実の扉~
WOWOW
土曜 22時~
神奈川県警が舞台だ。最近、テレビドラマで横浜のみなとみらいの風景を観ることが多くなってきたように思う。都内はオリンピックの開発が進んでいて、横浜の方がまだがらんとしたところがあって撮影しやすいのか。昼も夜も一目でそれとわかるフォトジェニックなランドマークも並んでいるし。
「コールドケース」とは未解決のまま長い年月放置されている事件のことで、迷宮入りなどともいう。州によって法律の違うアメリカでは、一部で時効が成立した事件を指すこともあるようだ。日本では殺人事件の時効が撤廃されたことは周知のことだろう。もっとも時効が成立しても謎解きとしては本質的に大差はない。事実、社会的制裁や民事での損害賠償請求などがあり、犯人が胸をはって告白することはまずない。
このドラマはアメリカの大ヒットテレビドラマ『コールドケース』の日本版というコンセプトで、手法なども本家を踏襲している。すなわち登場人物の事件当時の様子がフラッシュバックで挟まってくるのだ。色調が多少変わるなどしているが、最初はちょっと混乱するかもしれない。その点、本家本元にはちょっと届かないようだ。大ヒットの理由はかつての「時代」をリアルに彷彿とさせる回想シーンにあったのだから。
漫画原作のドラマだとか、外国ものの焼き直しとかは一概に否定されるものではない。ただ、そのときに試されるものは何なのか、制作側が自覚しないと、視聴者に伝わってくるものがなくなる。ただ楽をしたいから焼き直したのだ、と捉えられても仕方がないということになる。
オリジナルを作り上げるものは、力強い思想と胆力、ときに体力だ。それはもちろん一番素晴らしいものだが、私たちは時代を選べない。今は過去を総括し、解釈を試し、次を模索すべきときなのだ。問われるのは知性、それだけだ。まずは持ってくる本家本元の狙い、ヒットの理由を捉えなくてはならない。
あらゆる大ヒットがそうであるように、米国版『コールドケース』は文字通り「時代」を捉えていた。少なくとも捉えようとする試みが、回想シーンの映像の力の入れ方としてあらわれていた。テレビドラマ『コールドケース』がなぜ時を経た未解決事件を扱うのか、その理由が映像として示されていた。「時代を経た」というまさにそれがドラマの狙いであるということが。
そして、それは視聴者に明確に伝わったわけである。もちろん視聴者に伝わるものが制作者に伝わってないはずがない。わかっていても様々な、まあ予算と時間の制約がある、ということもあるだろう。日本版は普通のサスペンスドラマ、すなわち人間ドラマにみえる。登場人物たちは時代に応じた扮装をしているが、それにあまり意味がある感じはしない。「時代」そのものが迫ってくることはない。
そもそもが平和な日本人の佇まいである。時代が過ぎゆくことそのものに大きな悲劇性を感じさせる、というのは難しいかもしれない。我々のような仏教徒にとって、時が過ぎることは必ずしも取り返しのつかないことではない。すなわち世界観が違う。女主人公として迫力ある演技に定評のある、今が旬の吉田羊を配してなお、たぶん高すぎるハードルだろう。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■