「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
鷗
光と影の境に生きる
言い換えれば
外縁をすべってゆくから
そこにある巨大な影がうかぶ
僕も掌をひろげて
空間をなぞる
すると闇に
吸い込まれた指が何度か羽ばたいて
世界に沿って飛んでゆく
行き先を指さして
目を左右に据えて
バランスがすべてだ
それを保つことだけが
自身を失わずにいること
奈落の底へと
堕ちていった者たちを見た
頭をわずかに持ち上げて
太陽を見た者たち
瞬間、くるりと回転して
光と影が入れかわる
下が上へと変わるのだ
だから太陽は
背に負わなくてはならない
いつも光は
影の影として見いださなくてはならない
羽ばたく自らの姿が
海面に映る
波ひとつない
おだやかな鏡の上に
美
美は時によりそい
時を超える
ときどきつまずいて
音を立てる
ボォーンとかチクタク
あッとか
つまり流れそのものが
美であると
遠くから理解する
僕は掌を額にかざし
けぶる山とくっきりした雲の向こう
柱時計の脇の
ドレッサーの抽斗にあった
口紅のひとつで
いたずら書きをした
埃をかぶった日々に
ひとつの顔がうかぶ
生まれてこのかた
見つめていた顔
見つめられていた顔
それに似てない顔は忘れた
一瞬で
僕を振り向かせる声は
あッとかめッとか
背後から叱る
流れゆくエクリチュール
美を握りしめたまま
僕は堪えていた
いつまでも終わらない母の仕度に
人
出来不出来
頭があって
腰がすわる
ひょろり手がのびて
足がたがいちがいに
ぶつかりあって
ころぶ
人間だもの、とか
トイレに貼ってある
日めくりをはがし
ご飯をたべる
ひとりでも
おおぜいでも
ため息をつきながら
ときどき顔を見合わせて
口あんぐりする
なんでこんなに似てるのか
目がふたつに
鼻ひとつ
出来不出来
はあるにせよ
ついと立ち上がって
食堂を出てゆく
ついと立ち上って
地球を出てゆく
僕に会った誰かが
びっくりする場所へ
それがたんなる
月の兎だとしても
写真 星隆弘
* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月05日に更新されます。
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