僕らは網の目のように張り巡らされた
鉄道や地下鉄
バスに乗って地上を移動する
どこまでも平らな地上をぐるぐる巡る
ヨーク駅からリーズで乗り換えキングスレイ駅へ
そこからブロンテバスに乗った
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を見るために
土地勘のない外国でバスに乗るのはスリリングだ
アナウンスに耳をすまし
Google mapsを見つめていても
微妙にズレる
目的地一つ前の停留所で降りてしまった
そこから歩いた
単調な田舎道をひたすら歩いた
背の低い灌木ばかりの緑の平原
古びた石垣
古びた石の建物
イングランドのどの田舎町に行っても同じ風景
めったに人と会わない
車もほとんど走っていなかった
「『嵐が丘』が愛の物語だって?
冗談じゃない
あれは我が儘で身勝手な人間たちの物語さ」
サンフランシスコ湾に近いオークランドで
どこまでも碁盤目に区画された人工的な町で
低層の建物とヒビ割れたアスファルトと
路上駐車の車だらけの町で
白ペンキが塗られたアメリカンハウスのキッチンで
僕は『白鯨』のように巨大な身体の詩人と話した
デトクス中の彼につきあって
ばかでかいコーヒーサーバから
ブラックコーヒーを注いでがぶ飲みしながら
今朝ジャック・ロンドン・スクエアに行ったら
白髪の黒人のお婆さんが編み物をしながらゴスペルを歌っていた
そう話すと彼の目が輝いた
「ああ あの偉大な牡蠣泥棒!
なぜジャックが三文小説家なのか知ってるか
生きるために書いたからさ
アメリカの残酷を知りたければ『野生の叫び声』を読みな
イギリスの欺瞞が知りたければ『嵐が丘』がおすすめだ」
飢えた者は考えない
生きるために働くだけ
裕福で
閑を持てあましてる人間だけが考える
愛について
憎しみについて
もしくはその両方を
ヒースクリフはなにもしなかった
誰一人殺しちゃいない
彼はただ世界を憎んだだけ
「嵐が丘」は次々に人が死んでゆく物語だ
最後に残ったのは愛し合う凡庸な若い男女
まるでヒースクリフなどいなかったように
君は荒野を知らないだろう
荒野は砂漠でも
風吹き荒れるハワースでも同じこと
そこではすべてが見えてしまうから
人は目に見えないものを追いかける
トップ・ウィゼンズに行けばわかる
あの場所は人の魂を封じ込めるんだ
トップ・ウィゼンズに着くと汗だくだった
あたりは見渡す限りの緑の荒野
紫色のヒースの花が咲いていた
君の言うとおりだよ
ここに嵐が丘家とスラッシュクロス家の二つしかなかったら
人は愛し合うか憎み合うかどちらかだろう
人間は二人いればじゅうぶんだ
それで世界が形作られる
「奴ら ずっと俺を監視してやがる
知ってるだろハップル宇宙望遠鏡さ」
巨体の詩人は雲一つない青空を指さした
「どこまで見られてるんだろう」
不安そうにマグカップの中の黒い液体を見つめた
もちろんすべて見られてる
君と僕の心の奥底まで
そこには奴らの知らない宇宙があって
奴らには決して僕らの姿が見えない
僕らはそこにいてそこにいないから
「やっぱり君もわかってたんだな」
巨体の詩人は嬉しそうに笑ってまた空を見た
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