
「二度目とは
ああ 不幸な男よ」
テイレシアスはそう言ったけど
これで三度目の耳の手術だ
オデュッセウスと似ているのは海が好きで
小心者の航海者ということだけか
三十年前に初めて手術したときは三週間の入院だった
古ぼけた海老名総合病院に幽閉された
僕以外は骨折患者ばかりの六人部屋で
二十代の若いお兄ちゃんたちが
「腹減った 腹減った」とこぼしながら松葉杖で歩き回っていた
まだ病院にコンビニが入っていない時代だった
二度目はほんの三年前で一週間の入院
長篇詩『聖遠耳』をベッドで書いた
今回はなんと一泊二日
執刀医は壮年の五十歲くらいで
「前回は入院一週間だったんですが」と言うと
「ああ オールドスタイルの手術だとそうだね」と笑った
既存メディアがオールドメディアと言われているのをなぞるように
身心は衰えてゆくばかりだが
医療はどんどん進歩している
東京女子医科大学附属足立医療センターに行くには
山手線の日暮里駅から舎人ライナーに乗る
二〇〇八年に開業した比較的新しい路線だ
尾久橋通りの真上を走るモノレールで
足立区の街並みがよく見える
遠くまでビルと民家が続いている
東京は本当に広くて巨大だ
午前中に入院手続きをして
午後から手術
手術台の上に横向きになって寝る
局部麻酔だから執刀医と助手の会話が聞こえる
ガリガリという軟骨を砕くドリルの音が頭蓋骨に響く
虫歯の治療が三時間近く続く苦行のようだ
前二回は全身麻酔だったので
こんなにも激しい手術だとは予想していなかった
右耳を中心に頭を繃帯でグルグル巻きにされて終了
翌日の昼には繃帯を外され
「一週間後に抜糸ね」と担当医に告げられあっさり退院した
一九九八年
最初の耳の手術をした直後に第一詩集『東方の書』を出した
ずっと詩とは何かがわからなくて
ようやく一つのヴィジョンをつかんだと思った
第二詩集『国書』を出したのは二〇一二年
人は生まれて来る時代を選べないから
僕は戦後詩や現代詩のエコールが衰退し
やがて跡形もなく消え去った
吹きさらしの荒地に立っていた
そこから新たな詩のヴィジョンを作り出さねばならなかったしかし
『国書』を刊行した直後にチクリとした微かな痛みが走った
恐らくヴィジョンの方向性は合っている
だが時代の変化が僕の予想を遙かに超えていた
書き方の問題だ
書き方は聞こえてくることもあるし
意識的に生み出すこともある
方法を口にするとたいていの詩人が眉をしかめる
詩は天からのインスピレーションだと言いたがる
君たちは知らない
方法は偶然を必然に変える
ヴィジョンはその上位にある
勘だけでは決して把握できない
自由詩の未来に責任を負うのなら
なおさらのこと
コレステリン肉芽腫と難しい病名がついているが
僕の病気は要するに慢性中耳炎のヒドイやつだ
中耳の中に体液が溜まっている
「聴力はそれほど回復しないよ
耳に水が詰まってるような
不快感はなくなるはずだけど」
手術前に執刀医が言った
まだ耳から血が溢れ
外耳道にゼラチンスポンジが詰まっているけど
たぶん今回の手術は成功だ
鼻と耳の空気の抜け方でわかる
片耳慢性中耳炎の人によくあるように
聞こえる方の耳の難聴も進んでしまったから
手術が成功しても遠耳のままだけど
だけど変化はある
外形だけでなく本質もまた
終わってしまえば
実に短い生の果てまでずっと

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