
第一京浜はひどい渋滞だった
真夏で車の真上から太陽が照りつけ
エアコンを最強にしても
おんぼろトラックの車内は
ちっとも涼しくならなかった
僕らは大学生で
夏休みのバイトに
品川の工場から横浜の大黒埠頭まで
電子部品を運ぶバイトをしていた
免許を持ってるだけが取り柄の学生の
割のいいバイトだった
カーラジオから偽善者たちの大切なことが流れていた
「ジョニーへの伝言って歌があるだろ
おまえ
俺の元カノに俺に伝言頼まれたら
ちゃんと俺に伝える?」
「伝えない」
僕はハンドルに身体をもたせかけ
前の車のテールランプを見つめるKに言った
男と女が同時に相手を嫌いになることはない
どちらかの心が離れてゆく
彼女の心が僕から離れてゆく
僕の心が彼女から離れてゆく
離れてゆく僕の心が
彼女の顔を不安に曇らせる
心は目に見えない
だけどどんどん遠ざかってゆくのはわかる
その時だけ
見えない心の輪郭が見える
横浜が嫌いな人は少ないんじゃないかと思う
終戦から三十年以上
本牧はアメリカだった
山手トンネルを抜けた向こう側はアメリカで
どこまでも長方形のハウスが建ち並んでいた
アメリカからやって来た少年たちと
日本のロック好きの少年たちが出会い
バンドを組んで米軍のベースで
音楽に飢えた若い兵士たちのために
朝鮮戦争やベトナム戦争で戦う兵士のために演奏した
不良と呼ばれた少年たちが日本のロックの礎になった
熱狂的皇国少年だった武満徹は
GHQのCIE図書館のレコードコンサートに通い
ドビュッシーやストラヴィンスキーを聴いた
独自の日本の現代音楽を創り上げた
ノヴェンバー・ステップスが鳴り始める
なにもない冬枯れの野原
「そんな頭が痛くなるような音楽が何になる」
武満の母は詩人を嫌った
扉一枚開けば異世界があった
トンネルを抜ければ
色彩も匂いも騒音も違う生々しい異界があった
米軍基地が完全返還されてしばらくしてマイカル本牧ができた
開業当初の賑わいはすさまじかった
スカジャンにジーンズの若いカップルが
乳母車を押しながら楽しそうに笑っていた
今はイオン本牧に名前を変え
信じられないほどさびれてしまった
「向こう側にはなにがあるの?」
「向こうの世界がある」
「向こう側に行ったら戻って来られる?」
「戻れない 決して」
声がした
僕は向こう側に行ってみたかった
大黒橋通りから国道357号に入ると
ようやく車が流れ始める
高速の橋脚と四車線の一般道が続く
カマボコ型の巨大な倉庫だらけだ
大黒橋から海が見える
空は青く白い雲が浮かび
灰色の海は凪いでいる
大黒埠頭に入ると路肩に車を停め
「代わってくれ」とKは車から降りた
アメリカの道路のようにだだっ広いのに
Kは物流倉庫街が苦手だ
道を間違えるとコンテナを積んだ大型トラックに
容赦なくクラクションを鳴らされてパッシングされる
どけと幅寄せされる
混み合う時間の倉庫街は
地上で最も殺伐とした場所の一つだ
僕らは大型トラックに挟まれて順番待ちをし
物流倉庫で荷台のダンボール箱を下ろした
東南アジアやアメリカ、ヨーロッパに向けて開かれた倉庫は
大きな口を開け中は薄暗かった
仕事を終え
いつものように横浜ベイブリッジを渡り本牧に行った
車を駐車してシンボルタワーの階段を登った
横浜に海岸まで降りられる場所はない
目の前に広大な海が広がり船が行き来する
Kがしきりに話しかけてくる聞こえない
僕は誰もいない場所に立っていた
あのひとっこひとりいない
静まり返った空っぽの街に立っていた
ふっと目の前に広大な海が戻った
風が吹きつける音が響き
きつい潮の匂いがした
「退屈だな」
Kの声が聞こえた

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