誰でも気になる俳人はいるもので、雑誌などで茨木和生さんの俳句が掲載されていると読むようにしている。茨木さんは昭和十四年(一九三九年)生まれで大阪市立大学文学部を卒業後、古文の先生を長く勤められた。現在は生まれ故郷の奈良にお住まいで、右白暮石(うしろぼせき)創刊の結社「運河」を継いで主宰をなさっている。といっても茨木さんの全句を通読している熱心な読者というわけではない。いつ読んでも変わらない俳句の骨格が気になるのである。
産土の産屋の跡の霜柱
朝日あかあか冬凪の熊野灘
豆炭の袋空き家に残りをり
日向ぼこわてら三つ子と婆笑ふ
寒村の漁港抜け行く恵方道
星新し隧道歩き抜け来れば
鶴吊るしたる頃思ふ幸木
のびやかな朝の日差に若菜摘む
介添の爺もつややか弓始め
海荒れの能登に行かばや靑々忌
面を打つ声が健やか寒の内
鉋の刃砥ぐ大寒の指物師
寒鰡を鯉に見立てて神饌とせり
磐座に出づ探梅の翁道
湖の波立ちおどろ北颪
(茨木和生 特別作品50句『探梅』より)
少し誤解を招くような言い方になるが、なんの変哲もない有季定型写生系俳句である。ただ俳句文学の基本は有季定型俳句なのである。それに対して個人的に、ということは明治維新以降の近・現代文学の基礎になった作家の強い自我意識で異議申し立てをしても、すべて徒労に終わるだろう。逆説的な言い方になるが、俳句の基本は有季定型写生と深く納得した上でなければ、そこに揺さぶりをかけ、新たな俳句表現である前衛俳句を生み出すことはできない。
これもちょっと乱暴な言い方になるが、俳句にあまり関心がない人が有季定型俳句を読むと、どれもこれも似たような表現に見えるはずである。作者の名前を隠すと誰の作品かわからなくなるのだ。もちろん俳句に馴染んでくると、百発百中とはいかないが作品と作家が結びつくようになる。ただその場合でも有季定型写生俳句、つまりいわゆる伝統系俳句では微細な差異を読み取る繊細さが要求される。微細であろうとも俳句で表現された特徴がくっきりしている俳人が、一つの俳風を打ち立てている作家ということになる。
茨木さんの場合、まったくと言ってよいほど作家の自我意識が表れない淡泊な表現が一番の特徴である。「星新し隧道歩き抜け来れば」では歩き抜けたのは作家だが、主語は「星(新し)」である。「日向ぼこわてら三つ子と婆笑ふ」も同様で、お婆さんは作家に笑いかけたはずだが作品主語はあくまで「婆」である。「海荒れの能登に行かばや靑々忌」はもちろん作家が能登に行こうとしているのだが、「靑々忌」が実質的な主語になっている。茨木さんの俳句ではほぼ完全に作家主体が作品の後ろに隠れている。
有季・定型・写生という広義の形式を守れば、いわゆる作家の個性は俳句で何を詠み、どんな単語を使い、どういった切れ字(「けり・かな・や」など)を使用しているのかによって表現されることになる。たとえば「国会前」と書いた時点で作家の思想(個性)は露わになる。ある政治状況に賛成か反対か書いてあるかどうかは別として、一つの単語を選んだだけでその作家の俳句文学に対する全思想が見透せてしまうこともしばしばなのだ。
茨木さんの俳句では、テーマや単語、切れ字といったレベルでも作家の強い個性を感じさせる要素がない(少なくとも僕が読んだ氏の作品はみなそうだった)。こんなことを書くと怒られそうだが、長谷川櫂氏はいわゆる伝統俳句系の俳人の中ではもの凄く上手い作家だ。しかし彼の俳句には〝長谷川櫂定型〟とでも呼ぶべき圧力がある。長谷川氏は〝長谷川櫂定型〟の中で最も巧みな俳人なのだと言ってもよい。だが茨木氏の俳句にはそういった定型的圧力も見当たらないのである。
ではあくまで淡い茨木氏の俳句に魅力がないのかと言えば、そうではない。そうではないと言うより強い魅力がある。「鉋の刃砥ぐ大寒の指物師」は空想だろうが写生句である。思想的なものを読み取ることはできるが決して一つの像を結ばない。「寒鰡を鯉に見立てて神饌とせり」「磐座に出づ探梅の翁道」も同じで、写生句としても観念句としても読める。つまり茨木俳句の淡さは意味として無限に読解できる可能性がある。予言めいた言い方になるが、作家が自己の自我意識の消失点のようなところにまで至れば名句が生まれるのは必然である。俳句文学がこの〝作家の自我意識の消失点〟を基盤にしているのは間違いない。俳句は座の文学であると言っても、俳句文学では作家の自我意識よりも有季・定型・写生の形式の方が先行すると言っても同じことである。
一日二十句を書くという強迫観念によって、常に俳句を書かなきゃダメだと追い詰められているせいか、夢の中まで持ち込んでしまうんでしょうね。夢の中まで「(俳句を)なしなさい、なしなさい」と追っかけられている。だから夢の中でも俳句を書くんだよ。(中略)ここでは降ってくるというより、湧いてくる。(中略)匂いがついていたり、面白い感覚のものが出て来る。不思議な関係性のある句とか、楽しい面白い句が出て来たりする。ただこれもまた推敲という引いた目、覚めた目で点検しなきゃダメですけどね。
(安井浩司インタビュー「〝無限〟という道を歩く」)
二月号では「鬼才の俳人 安井浩司」の特集が組まれている。俳句の世界では「前衛俳人」として知られるが、その前衛性は安井氏独自のものである。安井氏は永田耕衣を絶対的な師としながら高柳重信にも師事したが、重信的な多行俳句を書いていない。氏は最初から俳句形式を揺さぶる(変える)ような俳句の前衛には興味がなかったということだ。むしろ安井氏の俳句の骨格は、有季定型写生俳句と同質のものだと言っていい。
インタビューで安井氏は一日二十句、一年平均三百日、二年で一万二千句を書き、それを推敲しながら千句にまで絞って句集を刊行していると話しておられる。重信を始めとする多行俳句系の俳人たちがおしなべて寡作なのは周知の通りである。多行俳句といってもいわゆる伝統俳句のような確固とした型があるわけではなく、自由詩のように俳人各自が独自の俳句形式を作らなければならないわけだから寡作は半ば必然である。ただ伝統系の俳人でも一日二十句を続けるのは難しい。強い決意をもって一日二十句書こうと思っても、ほとんどの俳人は一ヶ月も続かないだろう。つまり安井氏の俳句創作現場には、〝前衛〟で思い浮かぶような苦しげな創作格闘がない。
俳句は畢竟取り合わせ、と言ったのは芭蕉だが、安井氏の俳句創作は基本的に芭蕉と同じである。ただそれが現実世界の物や思考に限定されないのである。安井氏はインタビューで夢の中でも俳句を作ることがあると語っている。わたしたちの意識が膨大な無意識層を抱えているのは心理学の常識である。現実は無意識層のイメージと現実事物が一対一で結びついて成立している。しかし龍や麒麟、お化けなど、無意識層から生まれたが、現実事物と対応しない抽象的存在も無数にある。
簡単に言えば安井氏は無意識層まで含めて俳句の取り合わせを行っている。それはかつてない形で俳句文学の表現の裾野を拡げる試みである。人間が無意識層を持っていなければその知的発展はない。人類のあらゆる発明や発見は無意識層から生まれたのだ。また無意識層にまで至った俳人の自我意識はとても希薄である。それは個人の自我意識であって、自我意識でなくなっている。この位相は伝統俳句が至り着く〝作家の自我意識の消失点〟と同質である。つまり安井氏の前衛俳句は、俳句原理に立脚した伝統的なものでもある。
雁の空落ちくるものを身籠らん
月光や漂う宇宙母あおむけに
天類や海に帰れば月日貝
廻りそむ原動天や山菫
鵺一羽はばたきおらん裏銀河
師と少年宇宙の火事を仰ぎつつ
春陰や大物質の廬舎那仏
花鶏ども流れる宇宙も化粧して
消えるまで沙羅を登りゆくや父
草露や双手に掬えば瑠璃王女
(「安井浩司 自選50句」より)
特集で掲載された「安井浩司 自選50句」から近作十句を引用した。多くの俳人が自選句を為している。過去に出版した句集から自信作などを五十句、百句選ぶのである。伝統系俳人の場合、第三者が五十句、百句選んでも、作者自身の自選句と大きく異なることはまずない。ただやってみればわかるが安井氏の場合、作家本人の選んだ句と第三者が選んだ句ではかなりの違いが生じるはずである。安井俳句は伝統に立脚した文字通りの前衛俳句だが、その本質を理解するのはやはり容易ではない。なぜ安井氏がこれらの句を選んだのかが納得できれば、安井俳句理解のスタートラインに立ったと言えるだろう。
岡野隆
■ 茨木和生さんの本 ■
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■