神の舌を持つ男
TBS
金曜 22:00~(放送終了)
数字が低迷し、打ち切りが囁かれた。にもかかわらず映画化されるという話である。さすが TBS。やったらいいと思う。いや、ぜひやってみてほしい。そこにはたぶん根拠があるのだ。連続ドラマとしての視聴率、必ずしも映画のヒットとは連動しないという。それを把握しているのだろう。
同じ TBS で思い出すのは、あの『木更津キャッツアイ』だ。視聴率低迷に喘ぎ、しかし放送終了後、レンタルビデオ(すでに懐かしい響き)の貸し出し回転率がやたら高かった。で、映画化したらまさかの大ヒット。巨額予算で続編映画が作られた。予算がつくとダメになる映画が多いが、とてもいい出来だった。
この「神舌男」は、伝説の『木更津キャッツアイ』と共通点が多い。少なくとも制作サイドは意識している気がする。まずどちらもコメディだ。そしてポストモダン。『木更津キャッツアイ』は若い男の子の病死という典型的な悲劇をパロディにした。「神舌男」は2時間サスペンスドラマをパロディ化している。もちろん、脱構築するもののスケールが違うのは気になるところだが。
『木更津キャッツアイ』における死にかかわる悲劇はドラマ(演劇)の本質だし、それを脱構築しつつ、生死そのものを相対化しようとするのは「文学」だと思う。その手法がパロディであり、同時に木更津という、しょうもない地元のまったりした空気感が抒情性を醸し出した。それは確かに映画的な光景だった。馬鹿げたコメディを、ラストの抒情が奇跡のように説き伏せた。傑作の証しだ。
それに比すると「神舌男」が相対化しようとしているのは「2時間サスペンスドラマ」の枠組みで、テレビドラマの「制度」に過ぎない。「ラテ欄的にもあいつが犯人だ!」(新聞のラジオ・テレビ欄には必ず犯人役の俳優の名前が載っている)といったポストモダン的な台詞はなるほどと感心するが、テロップで注が入らなければわからない。すなわち視聴者にとって些末事なのだ。
と、あれこれ文句を言うものの「神舌男」がつまらなかったわけではない。結構、夢中で観ていて、数字が悪い(それも極端に)と知って驚いたぐらいだ。実際、2時間サスペンスドラマについては、いつかこういうものができるだろうと思っていた。それは脱構築しがいのある制度満載だからだ。
絶対ヒットする企画「金さん銀さんグルメ温泉殺人事件」などという大昔のジョークはしかし、テレビ業界より文学の世界で言われて、ただそれでは一口小話にしかならない。連ドラにするのには、謎の温泉芸者の雅を追うという流れが必要で、それが万人を説得できる抒情性に繋がれば成功する。
視聴率の低迷には裏番組との兼ね合いもあって、それがテレビに収まらない世界観を持っているなら、映画化は有望なチャレンジだ。ただこのタイトル『神の舌を持つ男』はドラマの核心を端的に伝えてない気がする。向井理の主人公「神舌男」より、2時間サスペンスオタク役の木村文乃が目立つのは、その演技のせいよりもむしろ、企画のテーマの軸足が「2サス」批判に寄っているからだろう。
山際恭子
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■