「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
虎
吾輩は虎であるから
甲斐性がある
したがって本宅と妾宅をもつ
餌は二倍で
青年の憧れの的
ほら、あすこで
カメラを構える長髪の兄ちゃんだって
どちらが本宅かといえば
吾輩をトラちゃんと呼ぶ方である
先頃、夫を亡くした
美しい未亡人は最高級の肉缶を出す
通りを挟み
もう一方はブラウンシュガーなどと呼ぶ
(それはいったいいかなる味か)
若いが色黒のおかちめんこは
割引きの缶詰と食い残しを出す
そんなところに行かねばよいが
吾輩はトラである
イエネコとはわけが違う
こんな陽のあたる通りが
吾輩のほんとうの場所である
走り廻って寝そべると
とろとろ溶けてバターになる
(それはいったいいかなる味か)
ひどい雨の降る朝
不本意にも妾宅に留まり
おかちめんこがバタートーストに
吾輩を振ってかぶりつく
食べ残さないかと願うのである。
花
手先が器用だから
あなたに贈るブローチをつくろう
一枚ずつの白い空に
あなたのかなしみを凝らせて
花をひらく
手先が器用だから
芯にたいせつなものを埋め込む
口に出せない(観念)と
長い歳月を経た(情念)とで
迷ったら空けておく
手先が器用だから
あなたの渡る橋をつくろう
ミルクの入ったコップと
ブローチを持って
僕はあっちで待ってる
広がる野原の草の葉を
エメラルドに変えておく
一個ずつ金具を締めて
あなたの踏む足の一歩ずつが輝くように
手先が器用だから
いろいろな家をつくろう
青い丸屋根とか
苔むしたレンガの壁とか
ノッカーのある扉とか
僕はあなたを探してあるく
あなたがどこに暮らしているのか
僕にはわからないから
他の誰かが咲かせた
足もとの白い花を摘む
卵
らんらんらん
僕は小部屋に独りぼっち
らんらんらん
ヘットフォンして口ずさむ
らんらんらん
頭を振って打ちつける
柱の角に☆が飛ぶ
僕は漫画の一コマで
吹き出しの中に独り言
それがどうにも思いつかない
あーあ
痛いッ
ひらめいた
どれもこれもが凡庸で
僕は頭を掻きむしる
昔むかしの文豪みたいに
らんらんらん
BGMが流れてくる
フィルムの上で
僕はあらゆるものになる
僕は何にもなりたくない
らんらんらん
そうやって指なんか差すなって
名前なんかないんだし
卵の殻をかぶって
ここで唄ってるだけ
とっくに割れて流れ出ている
白い透明な液体なだけ
でも君だって黄身にすぎないし
写真 星隆弘
* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月05日に更新されます。
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