「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
塔
都会のひとは
いつも頭に何か載せている
赤いものや縞模様の
それが視界を遮るから
上はあまり見ないし
ときどき下を覗いて
ため息をつく
冷や汗をかきながら
危うい均衡で歩いてゆく
神谷町から
六本木までの通りを
数年前の記憶をたどれば
迷いはしないが
見覚えのある路地に
変わらぬ鬱屈がしゃがみこんでいる
頭に載せた赤いもの
縞しまのものを
また支え直して
立ち上がった一瞬だけ上を見る
大地を踏みしめ
空を突き抜けるそれを
人びとを見守り
行く道を指し示すそれを
ちらりと視野に入れると
ふたたび俯く
危うい均衡で歩きながら
都会のひとは知っている
それがそこにあることを
頭の上には何もないことを
径
僕の前にはすでにある
僕の後にも変わらずある
地に巻かれた
光沢のあるリボン
目を細めつつすすんでゆく
交互に脚を伸ばし
そのたびに滑って
でもなんとなく前進している
遠心力でね、と
茂みのなかから誰か囁く
立ちどまって振り向こうにも
なるほど僕は押し出されてゆく
いつもどこかへ
脚は(中心)に引っ張られ
頭が(空)になる
あれが天の川
外箱のリボン
やっぱり薄っすら光っている
僕らの観念がぶんまわされ
概念がのたくった跡だ
地球をめぐって
でも僕の肉体は還ってはこない
ここへは二度と
だから今は
君と手を繋いでいよう
だんだらの小径で
いずれは解き放たれ
声のする方へ
惹きつけられていくのだから
恋
雨がやんだから
僕は出かける
日曜の午後
印鑑もバーベルも置いて
傘も借りた本も持たずに
振り向かないで
あなたがついてくるから
透きとおった空気が震えて
あなたの声がするから
駅に誰もいない
大勢がいるのに
あなたと僕のほかには
コーラを買おう
あなたはダイエットのを
でもそれは売切れなんだ
列車の向いの席には
リスのように前歯をみせた
中年男が週刊誌を読んでいる
隣りでは母が娘に
対面してあやとりを教える
何年も見たことのない
古めかしい遊び
あなたはここにはいないようだ
きっと後ろのボックスに
でもなぜそんなところに?
やっぱり傘は持ってくればよかった
ガラス窓に細かな針が刺さる
指の間の毛糸でできた橋の上に
あなたを見つけたから
写真 星隆弘
* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月05日に更新されます。
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