書名:『アンドレ・ブルトンの詩的世界』
発行:慶應義塾大学法学研究会
発売:慶應義塾大学出版会株式会社
初版発行:2015年10月30日
定価:4,900円(税別)
アンドレ・ブルトンとフィリップ・スーポーの共著による『磁場』は次の二つの点でまさに革命的な書物だった。第一には、あらゆる意識的な(道徳的、審美的)配慮を排除して無意識の言語の流れを書きうつすという「自動筆記」の方法を最初に適用した作品であること。そして第二には、私にとってはこちらの方がより重要なことに思えるのだが、二人の詩人が共同で執筆したという点、それも無署名でもって、つまりはどの箇所をどちらが書いたのか明記せずに一つの作品を創りあげたという点である。私たちは長いこと、ある作品はある作家や詩人の個人的な才能の産物であるという神話に慣らされてきた。だが(中略)それは単なる文学的約束事にすぎないのではないだろうか。(中略)作品は単一的な記述から成立しているのではなく、集合的想像力とでも呼ぶべき複数の層のうえに築かれているのではないか、作品を書かせているのは主体ではなく、むしろそうした客体性なのではないのか。
(『アンドレ・ブルトンの詩的世界』「複数性のテクスト」)
一九二〇年に発表されたブルトンとスーポーの共著『磁場』は、史上初めて自動筆記を使って書かれたシュルレアリスムの記念碑的作品である。ただシュルレアリスムは一筋縄ではいかない。それは第一次世界大戦後の精神の荒廃からの復興運動であり、〝上位の現実〟には芸術によって悲惨な現実世界を変えようとする社会変革の意図も含まれていた。そのためブルトンは共産主義にも強い関心を示した。しかし朝吹はシュルレアリスムの社会変革運動の側面には無関心である。『アンドレ・ブルトンの詩的世界』は実質的に『磁場』論だ。朝吹の視線はシュルレアリスムの原初(原理)に一直線に注がれている。
朝吹が『磁場』に注目するのは、それがブルトンとスーポーの共著であり、誰がどのパートを書いたのかわからない無署名のテクストだからである。それはマラルメやランボーらが登場した十九世紀末に生まれ、現代までうっすらと続く作家の特権的才能神話を解体する試みになり得ると朝吹は論じている。この作家神話の解体が重要なのは、作家個人の思想や感性よりも上位の表現地平があるからである。それは「集合的想像力とでも呼ぶべき複数の層」の上に出現するものであり、無署名的であるがゆえにほぼ純粋な「客体性」を持つだろうと朝吹は書いている。つまり朝吹の考えるシュルレアルは客体性を持った集合的想像力表現のことだ。自動筆記を含むシュルレアリスムの〝技法〟はそのような表現を生み出すためにある。
僕が朝吹を知ったのは、一九八〇年代中頃に刊行された同人詩誌「麒麟」によってである。当時僕は、「麒麟」の中核作家は『独身者の言葉のために』などで先行世代の詩人たちの仕事を厳しく批判する松浦寿輝だと思っていた。だがそれも修正する必要があるだろう。「麒麟」は同人による共同作業を好む雑誌だった。朝吹と松浦は共著詩集『記号論』を書き、同人五人による共著詩集『レッスン』もある。たいていの同人誌はまだ個々の方向性が定まっていない作家たちの一時的な拠り所だが、「麒麟」はすでに詩集を刊行した詩人の集まりだった。共同作業はいわば大人のお遊びのようにも見えた。しかしそうではなかったようだ。共同詩集をリードしたのは朝吹だろう。朝吹だけが現在に至るまで、シュルレアリスム的無署名テクストへの強いこだわりを持ち続けている。
極に向いながら腰をずらせてゆく、氷河の
(固有名詞すら消え)
野生馬
熱い風にたえてゆく硬くなるいっこの
形
あす、記憶は自らを撃ち殺し
細い女の爪を姦してゆく鷲の糸となって
昇ってゆき、消えてしまいそうだ
木炭と石炭
/木炭と
石炭
(詩集『終焉と王国』[一九七九年]より「誰が聞く・・・」末尾)
『終焉と王国』は朝吹の処女詩集である。詩篇「誰が聞く・・・」末尾に表れる「木炭と石炭」は、『磁場』の引用あるいはオマージュだと言っていい。朝吹は「『磁場』は「全ての終わり」と書かれてある頁で終わっていたが、その下には《アンドレ・ブルトンとフィリップ・スーポー/薪・炭商》とあった。(中略)アノニム、匿名な存在への移行の願望をこの「炭」のイメージから読みとることができる」(『アンドレ・ブルトンの詩的世界』「『地の光』論」)と書いている。朝吹は『磁場』と同質の匿名的かつ客体的言語を求めている。
ただ処女詩集『終焉と王国』(一九七九年)、第二詩集『封印せよ、その額に』の時期、少し矛盾した言い方になるが、朝吹は彼が理想とするシュルレアリスム詩の周辺を彷徨していたのだと言える。「終われば始まる、おわろうとすれば/王国は見えず泡立つつぶやく」(詩篇「始まりおわらない・・・」)とあるように、王国はあり、かつそこに至り着くための道は見えていない。王国に向かおうとすれば道は終わり、終わりだと思うとまた別の道が現れるのである。
イマージュとは、そして特にブルトンのイマージュとは、形式的には修辞学におけるさまざまの比喩(中略)を含みながら、比喩本来の機能であるはずの二項相互間の説明可能性を否定するものであった。それゆえ、イマージュは比喩の構造、関係だけを浮き彫りにし、意味的ないい換えとはならない。また、イマージュは言葉の流露、言葉の連鎖的な動きそのものであるので、静的な視覚的像として定着することもできない。
イマージュとはなによりも「上昇する記号」として一定の方向性を持った(中略)運動、言葉の能記signifiantの変化それ自体であるといえるだろう。それゆえ「意味的な喩」(=メタファー)でもなくかといって、静止的に把握できる「像的な喩」でもない。言葉自体の置き換えることのできない方向性、イマージュとはこうした絶えざる変容のエクリチュールそのものであると考えることができるだろう。
(『アンドレ・ブルトンの詩的世界』「イマージュ論の展開」)
アンドレ・ブルトンがそうだったように、朝吹の詩は理論的探究と共に変化してゆく。上位の現実にあると措定される言語は一種の絶対言語である。それは「意味的ないい換えとはならない」し「静的な視覚的像として定着することもできない」――つまり一切の意味やイマージュへの還元を拒んでいる。このような言語は作家の自我意識を超えた(あるいは無化した)自動筆記によって、可能な限り客体的に導き出すほかない。しかしそれが宗教的神聖言語のような、唯一無二の言葉に定着することはない。むしろその逆である。
朝吹が書いているように還元不能な言語は、意味やイマージュなどの「構造、関係だけを浮き彫り」にするものである。人間が作り出すことができる高度に客体的な言語であり、言語そのものとしか呼べないという意味で絶対言語だが、その姿は不定形だ。意味・イマージュの構造と関係だけを露わにする言語は無限増殖的であり、永遠の拡散言語にならざるを得ないからである。それを作品として完結させるのはほぼ不可能である。実際、朝吹を除けば最もブルトン的シュルレアリストであった瀧口修造の『詩的実験』は、その名の通り実験であり未完作品が多い。しかし朝吹は、この不可能を強引な中央突破的方法で可能にした。箱を用意し、無限増殖的エクリチュールを密室に閉じ込めたのである。
ふるふるのふるえひりひりのふるえ鍛えぬかれ磨きぬかれた肉体をまとった快楽の女のおなかのなかにちいさな胸のなかにさわがしい庭園となりさわがしい球体となりさわがしい箱となるさわさわ空白をひろげざわざわ波だちウミドリたちもいくつもの曲線をえがく秋の午後/ない/ということばからすこしずつはじまるものがある/いない/ということがらからすこしずつはじまるものがある秋の午後ヒトの声のささやきの輪郭ににた波形がはじまってゆく鍛えぬかれ磨きぬかれた肉体のなかの空白に騒擾がはしり騒擾がかけぬけ秋の午後/ない/という密室ができる/ない/という密室ができ/ない/と響く箱状になる
(詩集『密室論』[一九八九年]より)
詩集『密室論』の意味的解釈は不要であり不可能でもある。朝吹は閉じた箱=密室を用意することで、無限増殖的エクリチュールを作品に閉じ込めた。作家が作品を書いて詩集に収録するのではなく、詩集=箱=密室に、本質的に無署名で客体的な無限増殖的エクリチュールを封じ込めたのである。『密室論』の主体はエクリチュールである。この操作により朝吹は理想とする言語表現に接近できた。その意味で『密室論』はシュルレアリスム詩の傑作である。このような表現にまで達した日本のシュルレアリストはいない。だがなぜシュルレアリスム(的絶対言語)なのだろうか。
朝吹は一貫してシュルレアリスムに強い関心を抱いてきた詩人である。しかし初期の『終焉と王国』(一九七九年)や『封印せよ、その額に』(八二年)には迷いが見られる。シュルレアリスムに疑問を持ったというより、当時の戦後詩と現代詩一色の詩壇の状況が、若い朝吹に「シュルレアリスムで本当にいいのだろうか?」といった迷いを生じさせたのだと思う。しかし朝吹は第三詩集『〈opus〉』(八七年)でシュルレアリスムの方に大きく舵を切り、第四詩集『密室論』でほぼ完璧なシュルレアリスム詩を作りあげた。それは正統シュルレアリストである朝吹の作家的成熟だろう。しかし状況を言えば、この時期、戦後詩と現代詩を両極とする戦後の詩のパラダイムが瓦解し始めていた。
僕は一九八〇年代を代表する自由詩人は朝吹と伊藤比呂美だと思う。この二人の詩人に共通するのは〝極私〟の姿勢である。朝吹も伊藤も徹底したまでに自己の表現欲求に忠実だった。それは自分さえよければいいというミーイズムにも通じる極私である。実際、彼ら以降の自由詩の世界は呆れるほどのミーイズム風土になった。しかし朝吹や伊藤にとって、ミーイズムは極私の一面に過ぎない。徹底した極私は非私・無私に転化する可能性を秘めており、時として〝私〟を超えた影響力持つ。二人の極私は非私・無私のそれでもあった。そして彼らの選択は、現在から振り返れば正しかったのである。
一九九〇年代に入ってインターネット社会(高度情報化社会)が本格化すると、自由詩の世界での戦後詩や現代詩はもちろん、小説界での戦後文学もその影響力をみるみる失っていった。ほかならぬ朝吹を見ればわかるように、過去のものとされる文学エコールであろうと、その原理を捉えれば新たな文学を創出することができる。しかし状況的アトモスフィアとして戦後詩や現代詩、戦後文学をなぞっていた詩人・作家たちのパラダイムは二〇〇〇年代にはほぼ完全に消滅した。
詩人がもし未来を先取りできる鋭敏な感性を持つ創作者なら、朝吹や伊藤の感覚は優れていた。当時主流の文学潮流をなぞるのではなく、ひたすら私だけを信じたからである。朝吹と伊藤を代表とする八〇年代の極私(詩)の時代以降、自由詩の世界に詩人たちを結びつける共通基盤は存在しない。つまり八〇年代以降の詩人たちの文学的評価は本質的に流動的である。新たな作品と思想パラダイムを築き上げる詩人が現れれば、それまでの期間のすべての仕事が文学史から消え去ることもあり得る。もちろん自分さえよければいいミーイスト詩人たちには、そんなことはどうでもいいだろう。現世は気まぐれだから、今だってたまさか有名になり、たまさか自分の本が売れる可能性だってある。しかし僕は怖い。
なお『アンドレ・ブルトンの詩的世界』に収録された評論は、その多くが学術紀要論文として書かれたものである。僕は朝吹の詩論として読んだが、ブルトン研究者にとっては様々な新たな発見や示唆があるだろう。(了)
鶴山裕司
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