偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ そう。「いちばん名の知られた大学」と言ってたった1つの大学名が思い浮かぶようでは、田舎者という証拠なのだよ。
それを意識してか無意識裡にか「いちおう」などと畏まってみせる君が生粋の田舎者であるという事実はここでは大した意味を持ちはしなかったな。
むしろ日本はつくづく田舎なんだなあと。
田舎なんだなあと。
君にとってこの場合どっちに作用しただろうか。
田舎であればあるほど固有名詞の価値が高い。それを君は田舎者特有の内的実感で弁えていたからこそ、レトリックにもならない大学名なんぞ名乗って「へええ」的反応を得るたびに「日本て国もつくづく田舎だなあ……」これまで幾度もうんざりしたものだったんだろ。
ってあのな、言っとくけど〈いちおうバリア〉着用の君みたいな奴だから、相手も気を遣って「へええ」って合わせてみせてたんだぜ、型どおり。日本人もそうアホや俗物ばっかじゃないのだよ。
まあいい。
まったくなあ……。
日の丸的愛国心ゼロを自認する君にしてこの風土的辟易は、よい方へも悪い方へも色眼鏡で見ること、フィルター越しに見ること、ステイタスを名擦り付けることが覗き的見方に通ずるってあたりを感じとって、その自己嫌悪が混ざってたのかもしれんね。
覗き野郎ってのは勝手なものだよな、他者の色眼鏡には耐えられない傾向があるってことさ。
それにしてもだな。
同胞日本人の田舎者特有の俗っぽすぎる価値観を「心の中に覗き見る」思いにとらわれてというのかな、覗き屋として我ながら不愉快になるってこともあったというのはいい自己観察だ。え? そんなこと言ってない? 言ったも同然なんだよ。言ってるんだよ自動的に君は。いずれにせよまあ楽にしろよ、せっかく尋問側のこっちが君に代わって喋ってやってるんだ、肩の力を抜けって。
君も助かったものだよ、生まれたのがこの島国という田舎で。
覗きの究極の形である「心覗き」ね、そいつで見える心の風景が所詮こんなに単純平板な土俗的価値観に他ならんとは、さすがに侘びしい気持ちにさせられるだろうさ。そして今、覗き容疑者として取調中の君に対しても女性職員は「あらあ! へえ!」てきめんにお馴染み日本人様式の反応を……。
この状況の性格からして不意を突かれたようなそれだけになおさら型どおりの反応を。
それだけじゃなかっただろ。
来たんだろ、あれが。
笑っちゃうあれが。
髭の男性職員がこうきたもんだ。
「大学もマル大ですか?」
不意を突かれるってのは哀しいものよなあ。
大学院に進んでからはホレ、名乗るたび「大学もマル大ですか?」「学部もマル大なんですか?」て確認される頻度が高かったっていうじゃないか。学歴ロンダなんて言葉が発明されるずっと前からな。
それなんだよね田舎ってのは。
どこの大学出ていようが地元名門高校出身でないとまったく意味ない△県や▽県や◇県などのね。大学より高校。院なんぞより大学。田舎ブランド意識そっくり拡大した日本県の県民意識を覗き見てたつもりだったんだろうよ、君は。
ここでもそれが来ちゃったんだね。そのセリフが。質問が。
さすがの髭職員も不意を突かれちゃあね。まさかチンケなオナラフェチ変態小僧がこの学生証を出すとはね。
(またかい! そんなんで! いいんかい!)内心ツッコミ入れながら、このときばかりは君は助かったと普通に安堵したんだろうが。そしてそんな自分に二次ツッコミを入れざるをえなかったんだろうが。
(ホッとして! ええんかい俺!)
いやはやまったく。
しぶしぶ出された学生証なだけに田舎効果倍増ってことのようだぜ。
まあこれで無罪放免、解放決定だ。
しかし、いいか忘れるなよ、マジレスしとくからな、おまえさんが学生だったからこっちに転んだものの、もし職を持っていたら、ステイタス高けりゃ高いほど、みんな喜んで叩きまくり晒しまくりだったろうからな! へっ。助かったな。満足か?
男性職員はといえばつい本分を失った無駄口を今さらながら引っ込めるべく意味なく腕組みを繰り返しながら、同僚の賛嘆のまなざしに合わせて「音を聞いてただけ」の納得度判定の最後の未練をしぶしぶ振り払いつつあるんだろうけどな。
まあほんとは一発で解決だったはずなんだよな。
いや、それ以上だ。身体検査するまでもなくポケットの四角い膨らみから君の手鏡所持がすでに高確率でバレバレだったらしいじゃないか。
だとしても、水戸黄門の印籠みたいな最高学府名に身許保証されたその段階となっちゃ、君の「〈オナラだけ、オナラだけ、聞いてただけ〉一点張り」は、君よりもむしろ市職員側にとって天佑だったろうってこった。
即解放ってことで十分格好つくものな……。
間違いない。住所氏名控えて、ブラックリストに載せるふりくらいはしただろうけどな。そうだったろ。けれど出るとこに出るって展開はナシ。肝心の被害女性が「怖いので……」さっさと帰宅しようとしたのをこの職員二人があえて別室に引きとどめて、警察沙汰に備えていたことも忘れられたかのようにな。
実際解放されたんだものな。
簡単なもんだよ、田舎は。
しかしだな。
あのとき手鏡を取り上げられしかるべき処罰を受けていたのに比べて、君のこの顛末がいっそう深いトラウマになったと考えたことは一度でもあったかい?
だってほら、ポケットの角張った膨らみに視線走らせていためざとい髭男の方はともかく、「これからいろいろ教えてもらえることが云々」的外れののぼせたセリフ表面は口走ってる中年女職員の方にとっては、
〈マル大院生ともあろう将来嘱望組でありながら、日に日に見知らぬ女の屁にティムポおっ立て壁越しに聞き耳すりつけてハアハアシコッてる情けない変態野郎〉として一生記憶に登録されるんだぞ。田舎者にどう思われようがへっちゃらというわけにはいかないぞ、君こそがその田舎者の典型なんだからな。
少しはトラウマだと思えよ。
今日からでもいいからな。
見つかった瞬間の口の中からカラッカラじゃないぞ、わかりやすいそれじゃないぞ、日に日に女の屁に自らへっぴり腰でティムポおっ立て……の方だからな、トラウマは。
俺もいい思われ方をしたもんだよ、とな。
忘れるなよ。
ああまったく、つくづくとっさに良かったんだか悪かったんだか。
「オナラだけ、オナラだけ、聞いてただけ」――率直めかした自己確認は、外に向かっては真っ赤なウソの皮を借りて、いや、厳密には決してウソなんかじゃかったよな。君独自の視線の柔軟体操……〈自主規制覗き〉〈寸止め覗き〉〈肝心そらし覗き〉〈中心周縁反転覗き〉〈UFO把捉用覗き〉〈意図的空覗き〉……くるぶし観賞モードだの裾見つめモードだの「焦点ハズした」間接知覚のあり方を「焦点なき知覚」イコール聴覚になぞらえて、「聞いてただけ」って表現したわけなんだから。真実だよな。君の申告は正しい。
正しかった。
かりに馬鹿正直にだ、「覗くには覗いてましたが、くるぶしのとこだけを……」なんて〈自主規制覗き〉沿いに直接説明しにかかった日にゃもう、わかりづらすぎだし。
相互田舎者展開がおじゃんだし。
「聞いてただけ」って言い方のほうが断然正しいって。なんとなれば――、てホレ、意外と学者肌な君が将来この発覚体験温めて振り返って満を持して世に問うことになるかもしれんからな。その研究成果の、本文最後の一文になりそうな文句をホレ、あらかじめ隠用かつ引用しといてやるかナ。
「……なんとなれば、本書で多角的に見尽くしてきたように、〈覗き〉とは反転と転移を纏い尽くした象徴行為であり、したがって文字通りの言い方からズラした象徴的間接表現によって申告するのが最も似合っている行為だからである」。
■ こうした上から目線の積み重ねが、印南哲治をがんじがらめの陥穽へと徐々に引きずり込んでゆくのである。
(第75回 了)
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