その家は今から90年以上も前、大阪の外れに建てられた。以来、曾祖父から祖父、父へと代々受け継がれてきたのだが……39歳になった四代目の僕は、東京で新たな家庭を築いている。伝統のバトンを繋ぐべきか、アンカーとして家を看取るべきか。東京と大阪を行き来して描く、郷里の実家を巡る物語。
by 山田隆道
第九話
すべてそろっていた。
幸せになるための事柄はすべてそろっていた。
けれど、幸せだと実感できないのはなぜだろう。幸せの花がこれだけ咲き誇っているにもかかわらず、その花畑を美しいと思えないのはなぜだろう。
僕は三十九歳の春、約二十年に及ぶ東京生活に別れを告げ、妻子とともに大阪の実家に引っ越した。僕は栗山家の長男で、弟のいない長男で、たった一人の妹もすでに結婚して家を出ているから、これは良い判断だったと思っている。大正十一年に建てられた古い一軒家。それを受け継ぐのは僕しかいないのだ。
それによって、あらゆる幸せが芽吹いたのはまちがいない。
以前は気を病んでいた父も、僕らと同居するようになってからはすっかり元気を取り戻し、嫁ぎ先で暮らす妹も父の面倒を見る負担が減ったと胸を撫で下ろしていた。親戚はもちろん、近所の人たちまで活気づいたことには驚いた。地元を歩いていると、子供のころから顔馴染みだったお年寄りたち、それはつまり三十年くらいずっとお年寄りのままでいる、ベテランのお年寄りたちが、
「新一くん、戻ってきたんやってなあ。お父さんも喜んどるやろー」
などと次々に声をかけてくる。なんだか町全体が僕らを歓迎してくれているような、町全体が笑顔になったような、そんな感じだった。
亜由美と子供たちも、大阪での新生活を快く受け入れてくれているように見える。最初は慣れない土地に馴染めるかどうか心配していたが、それも杞憂にすぎなかった。なにしろ、栗山家は百年近くも前からこの町に根付いてきたのだ。だから三人とも栗山家の人間である以上、この町では決して外様の新参者扱いされることはない。生きにくくなることはない。
特に孝介は東京での暮らしがよほど苦痛だったのか、表情が別人のように晴れやかになった。最近は近所に友達ができたようで、外で一緒に遊んでいるところをよく見かける。この町での孝介は、僕や父と同じ栗山家の長男なのだ。
家の系譜が根付く町では、その家人の地位や肩書、経済力、その他のあらゆる属性は、その人を表すうえで意味をなさなくなり、ただその家人が存在していることこそがその人の価値となる。だから、その家人がどんな人であっても、町に埋没することはなく、個人として際立つことができる。それは東京で暮らしていたころには認識できなかった絶対的な価値だ。幸せを感じるための装置だ。
かくして、僕はそこかしこで芽吹いた小さな幸せにみるみる包まれるようになった。ひとつの幸せにはもうひとつの幸せを呼び寄せる力があるのか、不思議なほど幸せな事柄が連鎖していく。昨年、クモ膜下出血によって死線をさまよった母の意識がここにきて回復したのも、そういう連鎖が生んだ奇跡なのだろう。
母の意識が戻り、その後なんとか自宅療養できるまでに回復したのは、僕らが大阪に引っ越して約一か月後の五月だった。
もっとも、だからといって以前の元気な母に戻ったわけではなく、まだまだ機能障害が多く残っており、厳しいリハビリの渦中にいる。ベッドから起き上がったり、短い距離をよちよち歩いたりすることはできるものの、通常の安定した歩行は困難だから車椅子が必須だ。顔面麻痺の影響で表情は強張り、言語障害や視覚障害などもあるから、幼児よりもコミュニケーションを取りづらい。
けれど、母がたくましいのは、それでも着実に前進しているところだ。
以前は嚥下障害が強く、誰かのサポートなしでは食事を飲みこむことができなかったが、今はゆっくり時間をかければ、なんとか自力で食事ができるようになった。便器に座るサポートさえしてあげれば、一人で排泄できるようになったことも大きい。これらによって、僕ら家族の負担は激減した。
もちろん、今でも母のサポートにはそれなりの苦労があるのだが、それでも母の回復ぶりは栗山家にとって明るい話題だ。最近は、家族の食卓に母が座っている光景を見ただけで温かい気持ちになる。なんとなく、なんとなくだけど、母はいずれ日常生活に支障がないくらいまで回復するような気がする。
だから、僕は本当に正しい選択をしたのだ。
この大阪の古い一軒家で、祖父母と父母、そして二人の子供の計六人が平凡に暮らす。ただそれだけのことで多くの幸せが花を咲かせようとしている。
だから、僕は幸せなのだ。
だから、僕は自分の胸の内を深くのぞいてはいけないのだ。
だから、僕は不満を口にしてはならないのだ。
幸せの花がいくら美しく咲き誇ろうとも、その花畑までもが必ずしも美しくなるわけではない、そんなことに気づいてはならないのだ。
幸せは足し算ではない。ああ、ダメだ。考えないように、考えないように。
その日の栗山家も、いつものように平凡で、いつものように円満だった。
家族六人で夕飯の食卓を囲みながら様々な話題が飛び交う。母は流暢に会話することこそできないものの、それでも父の隣に座って「ああ」だの「うん」だのと相槌を打っては、強張った表情筋をゆるめている。最近、お手伝いに積極的になった秋穂が、「おばあちゃん、お茶は温かいのにする? 冷たいのにする?」と訊いとき、母が「冷たい」と答えたら、家族全員が笑顔になった。
父も母の回復ぶりに気を良くしたのか、最近はかつての居丈高が少し和らいだ気がする。とりわけ孫の孝介と秋穂には優しい。あの威圧的だった父が「孝ちゃんと秋ちゃんはほんまに頭がええのう。おじいちゃんに似たんやなあ」などと媚びたような声で言うから、背中がかゆくなってしまう。亜由美が言うには、父はときどき僕に内緒で孫にお小遣いをあげているらしい。あの父が、だ。
だから、僕も以前に比べて父と会話しやすくなった。
夕食中、新聞のテレビ欄を見ながら会話の肴になるような番組を探す。父は昔から騒々しいバラエティ番組が苦手で、すぐに「チャンネルを変えろ」なんて言うだろうから、最初から避けたほうが無難だ。
ええっと、だとしたら……。おっ、地上波で阪神戦の中継か。
これも大阪ならではだなと思いながらチャンネルを合わせた。それほど熱狂的ではないものの、父は一応阪神ファンだから、これなら会話も盛り上がるかもしれない。ましてや、先発が藤浪晋太郎だったら最高だ。
テレビを見ると、本当に長身痩躯の藤浪がマウンドに立っていた。
よっしゃ。心の中でガッツポーズをしたものの、すぐに顔をしかめた。急いでチャンネルを変える。藤浪が五回四失点と、打ちこまれていたからだ。
やばい。危うく父の機嫌を悪くするところだった。実際、父は一瞬で藤浪の不調に気づいたようで、「藤浪はあかんのう。チヤホヤされすぎて、あれや。天狗のになっとるんちゃうか。だいたい体が細いねん」と渋い顔でぼやいていた。
適当にリモコンを押していると、NHKのニュース番組で手が止まった。
テレビ画面に「終活が大ブーム!」というテロップが躍っている。東京に『終活屋』という会社が設立され、それが話題を呼んでいるという特集だ。
超高齢社会の今、高齢者たちの間では生前から自分の墓や葬儀場の準備、相続などに関わる遺言の作成などを進めておく人が増えており、それらを総称した「終活」という言葉もすっかり浸透しているとか。なんでも、その会社では現役のテレビ番組制作スタッフが遺言のVTRや、葬儀で流すための自伝VTRなどを格安で製作してくれるという。顧客の高齢者たちの中には、来るべき自分の葬儀用に派手な演出プランを自分で考案している者までいた。
「へえ、今はこんなんが流行ってんねんなあ」
僕はテレビを見ながら、感心するような声で言った。父は葬祭関連のビジネスを生業にしているだけに、この特集は絶好の会話の肴になるだろう。
「お父さん、終活って知ってた?」
父に話題を振ると、その思惑は見事に当たった。
「そらもう、知っとるわ」と、父が上気した顔で言ったのだ。
「やっぱ知ってるんや。まあ、葬祭関連のことやから当然か」
「東京ではけったいなあれが流行っとんなあって社員と話しとったからな」
「大阪ではあんまり聞かんの?」
「ないない、大阪ではそんなんあれや」
「ああ、東京と大阪ではちゃうんか」
「そらちゃうわ。こっちの葬式っちゅうのはな、そらもう、厳粛にあれして淡々とあれするもんや。そんなもん、余計なあれはいらんねん」
「けど、今は不景気やから新しいことを取り入れなあかんのちゃうの?」
「葬儀屋は別や。葬式の施行件数自体がここ数年ずっと右肩上がりであれなんやから、人間がおる限り、業績のあれが落ち込むことは絶対あらへん」
父が断言すると、僕は「ああ、そうか」と大袈裟に納得した様子を示して、「高齢化ってことは、それだけ死ぬ人が増えるってことやもんね」と続けた。
「そういうこっちゃ。向こう三十年くらいは増え続ける」
「なるほど、じゃあ仕事に関してはしばらく安泰ってことか」
「そらそうなるわな。もちろん、人が死ぬことやから気分のええもんとはちゃうけど、葬儀にしろ墓にしろ相続にしろ、避けてはあれでけへんからな」
「結局は誰かがやらなあかん仕事やもんね」
「そうや。このへんは特にや。うちがやらんかったら、みんなが困るやろ」
「そうやろうなあ。近所の葬祭関連はほとんどうちやし」
「だからあれや。感謝せなあかん」
「感謝?」
「そらそうよ。おじいちゃんが畑を墓地にしたとこから始まって、そういう役割を長年ずっとあれしてきたから、今のこれだけの暮らしがあるんやんか」
「ああ、そうか。そう考えたら、感謝せなあかんね」
「そらそうよ」
父は機嫌良さそうにうなずいた。僕も思わず頬がゆるむ。夕食中に父とうまく会話することができた。妙な話かもしれないが、これだけで満足感があった。
最近、父との会話のコツがつかめてきた。以前のように父を前にしただけで頭が真っ白になるようなことはなくなり、言葉が自然に湧き出るようになった。
ほら、だからやっぱり正解なのだ。僕は正しい道を進んでいるのだ。
ほら、だからやっぱり気を揉んではいけないのだ。僕らは円満なのだ。
考えないように、考えないように。
ああ、ダメだ。また心がぐらついてしまった。
せっかく寝ようと思っていたのに、亜由美のせいで目が冴えてしまった。
「ねえ、新ちゃん。なんでお義父さんの前では嘘つくの?」
ああ、もう。なんで二回も繰り返すかなあ。
はいはい、わかってるよ。自分でもとっくに気づいてるよ。
だけど、これまではあえて自分の胸の内をのぞかないようにしてきたのだ。胸の奥から本音を引っ張り出さないようにしてきたのだ。
「なんのこと?」僕はとぼけながらタオルケットを頭からかぶった。
「さっき晩ごはんのとき、みんなで終活特集の番組見てたじゃん。あのとき、新ちゃんの話を聞いてて、ちょっと変だって思ったんだよね」
胸がちくちくした。痛いところをついてきやがる。
「わたし、覚えてるよ。あの終活がどうこうってやつ、前に新ちゃんも別の番組で取り上げてたよね? それに、あの『終活屋』って会社も新ちゃんのディレクター仲間が興したんでしょ? テレビ屋が葬儀用のVTRを作ったら人気出るだろうから、俺も参加しようかなって話してたじゃん。忘れたの?」
「忘れてへんよっ」
僕はようやく返事をした。少しイラッとして、語気強くなってしまう。
確かにそうだ。「終活」という言葉が二〇一二年の新語・流行語大賞トップテンに選出された当時、僕はドキュメンタリー番組の仕事で終活の実態を取材したことがあった。高齢者たちがエンディングノートや遺言書を作成したり、葬儀や墓地の手配を進めたり、とにかく人生の最期を迎えるにあたって様々な活動に励む様子を映像に収めた。おかげで、終活について詳しくなったものだ。
「じゃあ、なんでさっきは今知ったようなふりしたの?」と亜由美。
「ん?」
「だって、テレビ見ながら『今はこんなんが流行ってんねんなあ』とか白々しいこと言ってたじゃん。しかも、お義父さんが終活を知ってるって言ったら、それもわざとらしく感心しちゃったりしてさ」
「それは……」
「新ちゃんさ、前に終活のVTR作ったとき、大阪でも終活がブームになってるからって、わざわざ大阪まで泊りでロケに行ってたよね? なのに、お義父さんが大阪ではそんなブームないって言い切ったら、すぐに納得してたし」
だから、わかってるよ。僕は口の中でつぶやいた。終活は全国の大都市圏に広がっているブームだ。大阪も例外でないことは、まぎれもない事実だ。
「別に納得したわけちゃうよ……」僕は口を尖らせながら、苦々しい思いで声を絞り出した。「だけど、あそこで反論してもしゃあないやん」
「なんで?」
「空気壊すだけやし」
「いいじゃん、別に。親子なんだから」
「良くないよ。っていうか、そんな些細なことどうでもええやん」
「些細なことじゃないって。そのあともずっと変だったもん。だって、いつもの新ちゃんなら『葬儀屋はこれから厳しくなる』って言うじゃん」
「そりゃあ、そうやろ。いくら葬儀の件数が増えようが、今は葬儀費用の相場がどんどん下がってるし、中にはナンセンスやからって葬儀自体をやらん人も増えてんねんから、今までみたいにいかんようになると思うで」
「だったら、なんでそう言わないの?」
「家族でメシ食ってるときに、そんなシビアなこと言う必要ないやろ」
「じゃあ、黙ってりゃいいじゃん」
「え?」
「新ちゃんさ、さっきお義父さんの前では『しばらく会社は安泰だね』なんて言ってたじゃん。なんで、そういう嘘をつくの? 思ってもないこと言うの?」
「別にええやん、それくらい。人としてのマナーやろ。ああいう葬祭関連のことはお父さんが長年やってきたことで、向こうがプロやねんから、素人の俺がちょっと取材したことあるからって偉そうなことを言ったら失礼やん」
「親子でそんなことまで考えてんの?」
「親子やからこそ、親父のメンツを立ててるんやん」
「なにそれ」
その後、僕がどんな理屈をこねても、亜由美は納得してくれなかった。
亜由美いわく、僕のそういうところは今に始まったことではないらしい。大阪で父と同居するようになってから、ずっと僕の言説の変化が気になっていたという。父の前では猫をかぶる夫、本心とは異なることを口にする夫。それが亜由美には気持ち悪いという。父の太鼓持ちみたいで滑稽に見えるという。
もちろん、僕も気づいている。父の前ではどこか自分を偽っている、別の人格を演じているという自覚があるから、決して居心地が良いわけではない。
夕食中のテレビ鑑賞は自分の見たい番組よりも父が見たいだろうなと思う番組をあえて選び、家族の会話の肴も自分や亜由美、子供たちの興味を無視して、父が好きそうな話題を口にするようにしている。ニュース番組を見ていると、父の意見と僕の意見が異なることもしばしばあるのだが、そういうときの僕は父の意見に納得し、自らがまちがっていたかのように振る舞うことが定番だ。
だから、僕が父に反論することはない。そんなことをして、もし父を論破してしまったら大変だ。息子である僕が父に勝ってはいけないのだ。
「そんなこと言ってるから、いつまでもお義父さんに子供扱いされるのよ」
その夜、亜由美が発したいくつもの言葉の中で、これが特に心に残った。
確かにそうだろうな、と自分でも思う。上京して以降、父と離れて暮らした約二十年の間に僕が培ってきた様々な経験や知識、価値観、美意識、すなわち成長のほとんどが父には伝わっていないことだろう。
父は僕の仕事に興味を示さない人で、僕も父が興味を示さないことはあまり言いたくなかったから、おそらく僕がテレビの世界でどんな仕事をしていたかも知らないはずだ。映像制作の小さな会社に勤めていることくらいはわかっていたと思うが、もしかしたらそこからテレビにつながっていないのかもしれない。
いつかの夕食中、父はテレビのバラエティ番組を見ながら文句を言った。
「なんや、このしょうもない番組はー。ほんま最近のテレビはつまらんのう。こないアホ番組を作っとる奴の顔が見てみたいわ。親が知ったら泣きよんでー」
お父さん、それ僕です。あんたの息子です。
それ以降も、亜由美はことあるごとに僕の内心をつついてきた。
だから、もうあきらめるしかない。考えないようにするなんて不可能だ。
わかっている。最近、父と会話しやすくなったというのは、自分で自分にそう思いこませているだけのことで、本当の僕は意識的に父とうまく会話しようとしている。本当の僕は水面下で足をバタバタさせている。単純に、そういう技術が以前より向上したから、父の前で言葉につまらなくなったのだ。
けれど、それは大きな問題なのだろうか。亜由美は男兄弟がいないからわからないのかもしれないけど、僕の世代で父親と気軽に話せる男なんて聞いたことがない。父と息子の関係は、その不自然さこそが一般的なものだろう。
「俺なんか親父とまったく会話ないぞ。たまに用事があったときに、親父から話しかけてくることはあるけど、それだって手短に答えて終わりだしな」
そう言って生ビールを飲み干したのは、幼馴染みのコンちゃんだった。僕はなんだか安心して、穏やかな相槌を打つ。彼もまた、父親が苦手なようだ。
東京に住んでいたころは数年に一回会う程度だったコンちゃんだが、僕が大阪に戻って以降は頻繁に居酒屋で落ち合うようになった。大阪には高校までしか住んでいなかったから、今もつながっている少年時代の友人は貴重だ。
「けど、新一はえらいよな。今さら親と同居するなんてよう決断したわ」
「だって俺は長男やし、実家のこともあるからしゃあないやん」僕はハイボール片手に続ける。「親父に戻ってきてほしいって言われたら断れなくてさ」
「まあ、それだけ栗山家がちゃんとしてるってことやな」
「なに言ってんねん。コンちゃんかって長男やから俺と似たようなもんやん」
「いや、安田家とは全然ちゃうわ」
コンちゃんの本名は安田勉だ。小学校のころ、頭髪がモジャモジャの天然パーマだったことからモジャというあだ名で呼ばれ出し、それがいつしかアジャに変わり、やがてコングになり、最終的にはコンちゃんになった。本名と関係ないあだ名は、この年になると恥ずかしいけど、他の呼び方はもっと恥ずかしい。
そんな安田家の実家も栗山家と同じ町内にある。うちに負けず劣らずの古い一軒家で、お互いの曾祖父の代から家族ぐるみで付き合ってきた。
だから、安田家の事情は容易に想像できる。現在は結婚して妻子とともに実家近くのマンションで暮らしているコンちゃんだが、彼にも姉と妹がいるだけで男兄弟はいないから、いつかは実家の処遇を考えなければいけないはずだ。
「コンちゃんは実家どうするつもりなん?」僕は率直に訊いてみた。「確か実家に住んでるのって両親だけやろ。そろそろ考えなあかんのちゃうん?」
すると、コンちゃんは間髪入れず断言した。
「知らん。考えたことない」
「はあ?」
「だって今のマンションが快適やし、分譲で買ったやつやしな」
「いやいや、そういうことじゃなくてさ。現実問題として、コンちゃんは男一人なんやから、いつかは実家のことが降りかかってくるやん」
「知らん。だいたい、あんな古い家に今さら住まれへんで」
「親父さんになんか言われたりせえへんの?」
「言われたことない。っていうか、会話ないし」
「もし家を継いでくれとか、同居してくれとかって言われたら?」
「二秒で却下やな」
コンちゃんはなぜか誇らしげに鼻をうごめかした。
僕は唖然として言葉を失ってしまう。なんなんだろう、この認識の差は。栗山家の長男と安田家の長男。お互い似たような境遇で育ったと思っていたが、四十歳目前の妻子持ち同士になった今、決定的なちがいが生じているようだ。
きっとコンちゃんはあれだ。はっきり言及しないものの、いざ両親が亡くなって実家が空き家になったとき、それを平気で売り飛ばせる男なのだろう。安田家にどれだけの現金があるかはわからないが、そうやって捻出した金で相続税を払ったり、自分の生活を潤わせたりしても気にならないタイプなのだろう。
そう思うと、なんだか胸騒ぎがした。なかなか次の言葉が出てこない。
「あのな、新一」コンちゃんが先に口を開いた。「うちはさ、ほんまに俺と親父がうまくいってへんねん。だから、安田家の先々がどうこうって話には絶対ならんのよ。新一みたいに親父と仲良かったら別やろうけどさ」
「ちょっと待って。俺だって仲ええわけちゃうよ」
「いや、おまえんとこは会話あるんやろ?」
「ま、まあ……会話くらいはあるけど」
「それやったら、まだマシやで。うちなんか、ほんまに会話ないもん」
「二人っきりになったときとかは?」
「ああ、たまにそういうときあるけど、俺は一切しゃべらんし、親父もずっと黙ったままやわ。で、だいたい親父のほうが途中でどっか行きよる」
コンちゃんはまたもや鼻をうごめかした。今度は口の端で微笑んでいる。なんだか父親と仲が悪いということを自慢しているかのようだ。
正直、僕としてはまだまだ言い足りないことがあったが、それをすべて吐き出したところで幼稚な競い合いのようになるだけのような気がする。
だから、返す言葉はひとつだけにした。
「それで平気なん?」
「ん?」
「いや、親父の前でしゃべらんでも平気なんかなって」
「そんなん余裕やろー。親父なんかどうだってええやん」
コンちゃんがあっけらかんと言った瞬間、僕は直感的に思った。
ああ、そうか。コンちゃんはちがうんだ。安田家の父子関係は、うちと似たようなものに見えて、実はまったくちがうんだ。
コンちゃんは父親のことを怖がっていない――。
怖がっていないから、父の前でも沈黙を貫けるのだ。その沈黙のせいで父に気まずい思いをさせてしまうことに、なんの罪悪感も覚えないから平気なのだ。
これは大きな発見だった。一人だったら、本当に膝を叩きそうだ。
父と息子の会話がないなんて、よく考えてみれば関係が良好な証拠だ。父を信頼している証拠だ。僕は父を前にすると、不安になって沈黙を貫けない。父に重苦しい空気を感じさせたくないから、父に疎まれることが怖いから、必死で父が喜びそうな話題を提供して、会話を盛り上げようとしてしまう。
そう考えると、確かに亜由美の言う通りかもしれない。僕と父の間に漂う不自然な空気は、一般的な父子にありがちな不自然さ、つまり自然な不自然さとは大きく異なっている。僕はコンちゃんとちがって、父のことをどうでもいいとは思えない。父に嫌われたくないという、言わばどこか卑屈な思いを抱いている。
おいおい、なんだそれは。実の親子でおかしいじゃないか。
ああ、なんだか不快になってきた。酒がまずい。タバコが苦い。なんとなくコンちゃんに勝ったと思われていそうで、僕は無性に苛々した。
(第09回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『家を看取る日』は毎月22日に更新されます。
■ 山田隆道さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■