小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『第09回 気まずいポテトサラダの作り方/MOYOUGAE/そのボールはハヤシライスではありません』をアップしましたぁ。
「ツバメは誰に教わるわけでもないのに巣の作り方を知っている」
寛(ひろし)にそう説いてくれるボクシング部主将の平中さんは、真剣な表情で二つの鼻の穴にティッシュを詰め込んだ。(中略)
「人間だって同じだ。闘うことは動物の本能なんだから、良いパンチを打とうとするなら身体に任せちゃえばいいんだ。だから力を抜く。理想のイメージを頭に、まるで本棚に本をしまうようにそこに置いて、あとは身体に任せてしまえば自然と良いパンチを打てるようになるよ」(中略)
「この一週間、ボクシングのことだけを考えよう」
そう言い切ってしまえる平中さんのことが、寛は嫌いではなかった。主将と同級生の長谷川さんや原田さんらは、その練習量の多さにひたすら文句を言うことのほうにむしろ汗を流していた。
軽いタッチで始まる小説ですが、遠いところから核心に迫る小松さんの筆遣いは見事です。ただショートショート小説の場合、テーマといふか核心を深追いし過ぎないことも重要です。『自然と良いパンチを打てる』、あるいは『この一週間、ボクシングのことだけを考えよう』といった言葉が、本当であり反語としても響いてくるところで手を引く必要があります。
小説は長さによって、そこに盛り込める内容が変わってくる芸術です。枚数によって書き方を変えないと、非常にバランスの悪い作品になってしまひます。詩も小説も同じですが、テーマや長さに応じて複数の書き方を使い分けられる作家の方が、安定して作品を量産できるのは言うまでもありません。