北村匡平さんの映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.015 若尾文子の「平凡」で「軽妙」な身体―増村保造『青空娘』(1957年)』をアップしましたぁ。増村保造監督、若尾文子主演の1957年制作の映画を取り上げておられます。北村さんの言葉を引用すると、『増村保造はそれまでの巨匠たちとは違い、東京大学法学部を卒業し大映に入社し、東京大学哲学科に再入学した後、イタリアに留学しフェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティに学んだインテリ映像作家という特異な出自をもつ』監督です。
若尾文子さんは、不肖・石川が物心ついた時にはすでに貫禄充分の大女優さんでした。ふんで北村さんは、『若尾文子には、占領期的戦後のイメージがないこともスターイメージに大きく影響している。・・・田中絹代の戦前的美の規範と、戦後直後に求められた原節子や京マチ子のような大きなパーツによる強烈な印象・・・とのちょうど中間にあたる。若尾文子の顏のパーツはたいして大きいわけでもなく、原節子や京マチ子に比べるとこぢんまりとしていて、戦前と占領期的美の規範の中間であるように思われる』と書いておられます。映画分析から導き出された言葉ですが、北村さん、いったい何年生まれなのかいなと思ってしまいひますね(爆)。
ただ増村保造監督と新時代のスター・若尾文子の出会いは、特筆すべきものだったのであります。北村さんは、『若尾文子と増村保造が大映という場で出会ったことは、映画史における事件だといっていい。それほど、この二人は日本映画史にこれまでになかった「革新性」をもたらした。増村はこれまでの巨匠たちの映画を過去のものにすることに意図的であった』と批評しておられます。
それを北村さんは、カメラアングルから読み解いておられます。『増村は室外でパフォーマンスする俳優のすぐ真下から、その俳優をあおるように狙い、生々しい肉体をスクリーンに描き出す。その個人としての人間は、フレームをはみだして、極めて不安定な構図を作っていることすらある。・・・都市のスピード感を表すのに増村は、東京の雑踏や人ごみを映すことなく、次々とフレームインしてくる俳優の身体とそれが発する言葉を徹底して速める演出をする。そのようにして、これまでの日本映画が描き損なってきた「速度」という主題に挑戦しようとする増村の気概が感じられる力のこもったシーンが多くある』のです。
放送コードばかりでなく、興行成績ノルマの締め付けもじょじょに厳しくなる中で、日本の映画やドラマはステレオタイプ的な保守化の道を進んでいるところがあります。小資本作品なら思い切ったことができるのに、大資本が参入してくると、途端にどこかで見たような作品になってしまふ。北村さんの映画批評を読むと全盛期の日本映画の試みが多岐にわたっており、今から振り返っても宝の宝庫だといふことがよくわかります。刺激的なコンテンツです。じっくりお楽しみください。
■ 北村匡平 映画批評 『創造的映画のポイエティーク』『No.015 若尾文子の「平凡」で「軽妙」な身体―増村保造『青空娘』(1957年)』 ■