小原眞紀子さんの連載小説『はいから平家』(第07回)をアップしましたぁ。主人公のみ幸は七歩子叔母さんの愚痴に一晩中付き合わされたやうです。む~もんのすごくとりとめのない会話といふか、独白なのですが、こういふのを小説で表現するのはかなりむちゅかしひです。
「だけん、だけん高校卒業して、予備校で知り合ってから、他の男の人とは映画見に行ったこともなかつ」と呟く。
「運命の人と思とったところに。でも結局ね、敏夫さんの家系な菊池だもん」
叔母は残りのビールをコップに注いた。
「源氏の流れたい。どぎゃんしたところで折り合わん」
源氏方てな血統的に弱かつ、平家は女系だけん、決して滅びることはなか、と言い、叔母は席を立った。
聞いとっと、み幸ちゃん。
ベッドの上で目を開くと、窓は白みかけている。
「月子姉さんはお嫁さんと同居でうまくいっとっと。女設計士ってろん、好きにリフォームばさして、み幸ちゃんの昔の部屋のどげんなっとっと、帰る家のなくなっとっとじゃなかの」
とっとっとっと、と閉じた瞼の裏に鶏が足跡をつけてゆく。
エクリチュール・フェミニンといふのは、こういふ書き方を指すのでせうね。男性は社会的動物として子供の頃から訓練を受けていますから、よく言えば理路整然と、悪く言えば社会コードにがんじがらめになった教条的な話し方をする傾向があります。でも女性のおしゃべりといふのはそれとはまた質が違います。
洪水のような言葉の雨嵐なのですが、過ぎ去ってしまうと虚空にフッと消えてしまうようなのが女性的な話し方です。もちろんこれは、男性性ベクトルと女性性ベクトルを措定した、ⓒ小原さんのエクリチュール曲線の話です。
ただそのほとんど無意味に聞こえるような女性的エクリチュール(パロールと言うべきでせうね)の中で、ある本質が表現されてゆく。みんな子供の時にそういった経験をしているのです。お母さんの何気ない言葉、無意味にぺらぺらしゃべり流れる言葉は、必ず子供の精神に影響を与えるのでありますぅ。
■ 小原眞紀子 連載純文学小説 『はいから平家』(第07回) pdf 版 ■
■ 小原眞紀子 連載純文学小説 『はいから平家』(第07回) テキスト版 ■