「地球でもっとも美しい、絶滅図鑑。」という、どこかで聞いたようなコピーなのだが、中身はそんなに狙い澄ましたものでも、よく見かけるようなものでもない。絶滅種や絶滅危惧種をもとにした幻想的なイメージが糸や布、テキスタイルで極彩色に彩られている。
図鑑というものを網羅的な情報として捉えるなら、この本は心もとないものだ。あの「世界で一番美しい元素図鑑」ならば、記号順に並べれば漏れはないし、したがって “ すべてを ” 眺めているという満足を得ることもできるのだが。この書物に並んだ動物や植物は秩序なく、太古に絶滅したものと百年前から見かけなくなったものが隣り合わせだ。
もとよりこの地球上では、我々に認知されることなく(人類が誕生する前に)発生し、絶滅した種も数多くいるはずで、今なお我々に発見されることのないまま(人類と同時代にありながら)絶滅した、または絶滅しつつある種もいるだろう。そしてそもそも歴史的に、人間と遭遇したがために滅びた種も数多いことから、それを網羅しようという試み自体が僭越でもあるかもしれない。
そして、それらを糧として私的なイメージを膨らませるということも、ならば傲慢ということになるだろう。『もうひとつの場所』がなんとなくその誹りを逃れている、さらに「地球でもっとも美しい、絶滅図鑑。」という惹句に素直にうなづいてしまうのは、不思議なことだ。
その理由はやはり、それが布や糸、テキスタイルで出来上がっている、ということに尽きるのではないか。それらはまず実用に供されるものであり、自己表現のための画材ではない。女性的なものである、ということも、時空を超えた無意識を示すのには向いている。
あちこちボタンで留められた薔薇の花に、艶やかな極彩色の糸を寄せた羽を持つインコが集う。それは人工的で奇妙な光景だけれど、お腹から先だけが縞模様のシマウマと比べ、どちらがより奇妙で人工的に映るか。造物主のすることもまた人工的であり、しかもいちいちはかり難い、というべきだ。多くの種を絶滅に追いやった、我々人間を生み出したことも含めて。
おびただしくいたリョコウバトやオレンジ色のヒキガエルがいなくなったことは、美しい青い毛皮の獣を一匹残らず駆り立てたことと同様、我々に理由があるのかもしれない。しかしそれは現象としては、テキスタイルの柄が変わったり、オレンジ色のビーズがいくつか失われるような致し方のない経年変化のようにも思える。
激しい狩りも無自覚にもたらした環境変化も、それは我々の悪意や愚かしさの産物であるというよりは、長い長い日々の営みから生じたものではあるはずだ。一針ずつかがること、それによって、もうひとつの異界に絶滅種をいまだ生きせしめることは、我々の生活がほんの一針ずつ進み、過ぎてゆくことと呼応し、しずかな納得を与えるのである。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■