とにかく美しい本である。そして本にとって美しいということは、どういうことかを示唆する。それは単純にゴージャスであっていいものではない。この本については色彩は鮮やかであってほしいが、目を奪うような有無を言わせぬ色彩が必ずしも相応しいものではない。
それが書物であるということ。そこには言葉があり、それは色彩や描線、造本に先行する。あるいは絵が先にある、ということもある。その場合にもコンセプトはすべてに先行する。絵は、問答無用に世界を分断する線、圧倒的な色彩として無条件に存在するわけではない。
ル・カインの『いばらひめ』の最も美しい部分として、私たちの目に最初に飛び込んでくるものは、その「地」である。湖で泳ぐ王妃が水から上がろうと、手にかける「地」の縁。妖精たちを乗せた輿が踏んでいる「地」。それらの「地」は切り取られたように前面にせり出し、遠近感を狂わせながら、エキゾチックな文様そのものとして絵の全体を一つの謎に還元してゆく。
すなわちここでは、あらゆる繊細な線、すべての輝かしい色彩、ドラマティックな構図も様式美も、その「地」へと回収され、同時に謎を孕む。そのとき「地」は、読み解けないテキストそのものである。隣りのページに書かれたテキスト、誰にも馴染みのあるグリム童話の「いばらひめ」、あるいはディズニーの「眠りの森の美女」のシンプルな語りはもまた光と影を帯び、あまりに単純であるがゆえの読み解けなさを呈示するかのようだ。
エロール・ル・カインはシンガポールに生まれた欧亜混血のイギリスの挿絵画家、アニメーターであった。病いのため早逝したが、多くの美しい作品を残し、なかでも最高はやはりこの「いばらひめ」であろう。それは「いばらひめ」のテキスト、物語構造に、ル・カインのこの絵本の桁外れの美をもたらす構造が内包されているからに他ならない。
生誕の祝いに、とりこぼされた妖精の呪いは、姫が紡ぎ車の針に触れると死んでしまう、というものであった。紡ぎ車である理由は、それが「糸を生み出すもの」である以外にはない。糸とは絡まり、結び合わされ、テキストを作り出すインクの痕跡そのものの形態をしたものだ。姫にかけられた呪いは他の妖精たちによって緩和されるが、結局は針を指に刺し、長い眠りにつくことになる。
そして読み解けないテキスト、重層化する謎そのもののごとく蔓延るいばらのなかに姫も従者も、城そのものが閉ざされる。やがて王子がやってきて、いばらを掻き分けて姫を起こすわけだが、そうすると城そのものが生き返る。テキストによって息を吹き返すのは、テキスト周辺に装飾された文様もまた、である。
死と再生を象徴するテキストは、文様を根源としたテキストと描画の戯れをもたらし、それはアニミズム的な生命感をその双方に孕ませている。そこにあるものすべてが根源にまで遡れること。それによってもたらされた自在さで、生命と眠りとのあわいをくぐり抜けること。『いばらひめ』のテキストこそが、このとてつもない美の傑作の揺籃になり得たのである。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■