田山了一さんのTVバラエティ批評『No.044 孤独のグルメ』をアップしましたぁ。テレビ東京さんで放送されている深夜番組です。シーズン4ですから長寿番組ですね。原作は久住昌之さん作、谷口ジローさん画の単行本で、テレビでは松重豊さんが主演しておられます。『それさぁ、早く言ってよぉ』といふ台詞のCMは強烈なインパクトがありましたね。
田山さんは『主人公、井之頭五郎は日常生活においても孤独者という筋金入りだが、我々もまた、家族に後ろめたくない程度の贅沢が格別の味わいを持つことを、こっそり知っている。そこへの共感が、このひそやかな番組の人気を支えている』と書いておられますが、その通りだと思います。また松重豊さんは、孤独にグルメを楽しむサラリーマンにぴったりです。
不肖・石川、やたらと食べ物のことを書きたがる作家を昔から信用していないんですが、田山さんが『「孤独のグルメ」は・・・自称グルメたちへの痛烈な批判ともとれる。食い道楽を自慢するなら、身上つぶすぐらいまでやらねばならない。誰もがその気になりさえすればできる程度の贅沢は、この大衆食堂の定食の、孤独による極上の味わいに劣る』と批評してておられるのを読んで、その理由がなんとなくわかりました。
要するに、たいていの作家の食べ物原稿には思想がないんです。自称物書き作家が書く食ブログなどは、さらに読むに堪えないものになっています。食べ物について書く目的は大きく分けて2つあります。一つは情報、もう一つはライフスタイルです。もちろん作家の文章は、星の数ほどある食べ物情報ではダメなわけです。作家の文を読むことで読者が知りたいのはその内面であり、それは思想によって支えられています。作家の場合、食べ物を含むライフスタイルは、思想的裏付けがあることによって初めて意味を持ちます。
不肖・石川が一番イライラする作家の食べ物文章は、ファッション誌のオシャレ記事のようなタイプのものです。網羅的グルメ情報誌と比較すると、ファッション誌の記事にはポリシーがあるやうに見えます。でも一皮剥くと実に薄っぺらい。漠然としたマスの欲望を掻き立てているだけなのです。本当にオシャレであることと、ブランド物を買うことは別です。それと同じように、自腹だろうと接待だろうと、いくらうまい物を食べても谷崎潤一郎のようなグルメ大作家になれるわけではない。作家の思想が一貫していれば、どんな些細な生活の機微について書いてもそれなりに面白い文章になります。
プレシャスな食生活を送る〝私〟が目立つ文章は、薄っぺらな文学幻想を煽っていることが多い。食に限らず、どこかで見聞きしたような文学的イメージを読者に植えつけようとしています。困ったことに、そんな幻想を疑餌にウブな文学青年・少女を周囲に集め、自らの親衛隊に仕立てようとする作家がけっこういます。もちろんそういったコミュニティは、大作家の逸楽や苦悩などのヨタ話で盛り上がる、文学幻想好き集団にしかなりませんが。ただま、本当に食が好きなのか、単なる文学ファッションアイテムなのかは文章を読めば自ずとわかります。わからなければ、あなたの作家としての能力はそれまで。
■ 田山了一 TVバラエティ批評『No.044 孤独のグルメ』 ■