Interview of gold fishes 第12回『三浦俊彦 芸術作品としてのポツダム宣言-レディメイド文学の提唱-』をアップしましたぁ。文学金魚連載の『偏態パズル』でおなじみの、三浦俊彦さんの講義です。三浦センセ、小説家であると同時に論理学者でもあらせられるわけで、純粋な偏態ではぬぁいといふところを、文学金魚を通しで広く世間様にアピールしていただきました(爆)。講義は原爆投下を巡る真面目なものです。8月に入り広島・長崎原爆忌、終戦記念日が近づいてきております。三浦先生の講義は、今一度あの戦争を考えてみるきっかけになるのではないかと思います。
三浦先生が講義で述べておられるように、当時の日本政府は、原爆を投下されても直ちにポツダム宣言(つまり無条件降伏)を受諾するつもりがなかったのは、歴史的事実です。日本政府が降伏を決断した最大の要因はソ連の参戦です。また当時の日本政府首脳は、戦争末期まで一貫して本土決戦での一億総玉砕を煽ってきたわけですが、原爆投下が降伏のための口実として巧みに利用されたのも事実です。これは一般市民を巻き込む原爆投下の倫理的問題とはまた別の話です。最近の日中、日韓の外交軋轢を見てもわかるように、国家間の争いは人間の個人的倫理とは違う審級で起こります。漱石は〝国家間の外交は騙し合いの詐欺のようなものだ〟と言いましたが、その通りだと思います。
もちろん原爆投下、あるいは第二次世界大戦については現在でも様々に議論されています。不肖・石川も三浦先生の議論が絶対的に正しいとは申しません。ただ論理学者らしい筋の通った議論だと思います。歴史的事実に限りませんが、批評精神はある問題に対して、〝それはおかしいのではないか〟と考えるところから始まります。しかし批評精神を持つ人間が、誰でも批評家になれるわけではない。たいていの人は、〝あれも違う、これも腑に落ちない〟と言い続けるだけで終わってしまう。端から見ていると単なる不平分子です。レベルの低い話で恐縮ですが、そういうお方、文学の世界にはけっこう多いですよね(爆)。
自己の考えを世の中に問おうとすれば、まず思考を論理的に整理しなければなりません。それを厳密に行えば行うほど、あれもこれも気に入らないという無責任な放言では済まなくなる。世の中の表舞台で流通している思考言説には、それなりにしっかりとした背景があることがわかってくるからです。それを真正面から受け止め理解した上で、自己の考えを公表しなければならない。もちろん公表したからには、あらゆる批判に耐えなければなりません。三浦先生は小説作品ではかなり危うい世界を描いておられますが、今回の講義をお読みになれば、彼の思考が社会の表舞台のルールで鍛え上げられたものだといふことがおわかりになると思います。
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