長岡しおりさんの文芸誌時評『No.012 新潮 2014年6月号』をアップしましたぁ。ドナルド・キーンさんの新連載『石川啄木』を取り上げて、長岡さんは『「偉人の妹」というテーマで一冊の書物をまとめたら、と思うことがある』と書いておられます。啄木はベビーフェースの写真が有名なので、おとなしい人というイメージがありますが、実際は超放蕩者でした。長岡さんは『それを暴露する妹という存在、その言説の切っ先は、兄本人とともに、その兄の横暴を許した家族への憤り、それがそのまま社会の甘い誤解への憤りに繋がり、そこへまっすぐに切り込んでゆく』と書いておられます。
長岡さんは、『貧困であれ、溺愛であれ、被った宿命によって業を背負ったなら、それを「文学」に成し得たかどうかだけが文学者の最終的な評価の基準である。妹の告発がどうあれ、そこは揺るがない。しかしそれは少なくとも、私たちの読解の「強度」を試すことにはなり得る』と書いておられます。まったくそのとおり。自由詩よりさらに死屍累々の短歌の世界で明治維新以降、もしかすると『新古今和歌集』以降、だれもがその歌を口ずさむ、ほぼ唯一の国民的歌人として認知されているのが啄木です。啄木文学が素晴らしいからその人生が研究されることになる。極論を言えば啄木の矛盾、混乱、家族や友人知人たちにかけた多大な迷惑は、その文学によって浄化(ピューリファイ)されてしまふわけです。
文学は究極的にはとても単純な世界です。傑作と呼ばれる作品だけが作家の価値です。同時代でそれが評価されることもあれば、時間が経たないと認知されないこともある。ただ文学史を振り返れば、優れた作品は時間がかかっても必ず評価されると言っていい。もちろん同時代で評価されない作家は鬱屈した人生を送ることになる。また評価は他者(不特定多数の読者)が決めるのであり、作家の自信や自負に関わらず、結局最後まで評価されない作品がほとんどです。今現在を生きる作家の大半は、自分はたいして評価されていないと感じているでせうから、苦しい作家人生を送らざるを得ないでしょうね。
不肖・石川が見ている限り、この苦しい人生から作家が逃れる方法は存在しないと思います。社会に向けて不平・不満をぶちまけても、業界内に友だちを作り必死に画策して評価を上げようとしても、結局のところ作家は苦しい人生から逃れられない。ほんぢゃあどーすればいいのか。これも多分、単純な対処方法しかなひと思います。書くことです。もちろん〝書けばいいってもんぢゃない〟といふ突っ込みは入るでしょうが、作家は作品を書くことでしか希望を維持できないと思います。編集者としてはどーよ、と言われてしまふかもしれませんが、石川は一つの作品のレベルは、何度書き直してみてもそれほど上がらないと思います。どこかで見切りをつけて発表して、次の作品に取りかかった方がいい。
啄木は26年の短い人生でしたが、歌集、詩集、小説、評論をまとめると筑摩書房の全集で4冊になります。当時は今よりもずっと作品発表に手間がかかったので、旺盛に書いていたと言えるでしょうね。現実に即せば、一篇の作品、一冊の作品集で評価されるなど宝くじに当たるやうなものです。さまざまな意見はあるにせよ、〝原稿量〟は重要です。量が書けない作家は不平不満を口にする資格も、業界内を走り回って評価を上げる画策をする資格すらない。まず書くことです。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.012 新潮 2014年6月号』 ■