長岡しおりさんの文芸誌時評『No.011 新潮 2014年04月号』をアップしましたぁ。古川日出男さんの新連載『女たち三百人の裏切りの書』を取り上げておられます。古川さんは小説家で劇作家です。小説の賞は面白くて、どの賞を受賞したのかで作家の作風がある程度わかります。てゅーかぁ、そこはかとない風に見えるけど厳然として存在する日本の文壇システムが、新人作家を特定カテゴリに分類したがる傾向があるんですね。古川さんは日本推理作家教会賞、日本SF大賞、三島由紀夫賞を受賞され直木賞の候補にもあがっています。文壇が苦手とするカテゴライズし難い作家です(爆)。
長岡さんは古川さんの新作について、『このタイトルは、どこかしら「三百人斬り」という言葉を思い起こさせる』と書いておられます。多分その通りでしょうね。演劇的なツカミ効果が期待されているのだと思います。前衛系(小劇場系)の現代演劇の基本は〝事件〟です。決定的だけど必ずしも関連性のない事件が立て続けに起こる。それが特定空間でシーケンシャルな時間を生きる観客の日常感覚を揺さぶり、驚かせ、混乱させる。しかし演劇が進むにつれて、いっけん脈絡がないように思われる事件が全体としてある関係性を作り出してゆくようになる。小説が作家の思想によって事件を生起させるのとは逆に、演劇ではまずザラザラとして露骨で無味乾燥な事件が起き、それによって劇作家(演劇作品)の思想が露わになってゆくわけです。
演劇的手法を小説に援用することは可能だと思います。またそれは今までにない小説を生み出す可能性を持っています。問題は小説と演劇のアイデンティティ(原理)です。小説の原理を把握した上で演劇的要素を取り入れなければ、作品としては一過性の新し味で終わってしまう。唐十郎さんほどの俊英であっても小説と演劇の統合は十全に果たせなかったわけです。長岡さんは『タイトルに惹かれて、中身を読み、つくづく今、人は何を求めて小説を手に取るのかと考えてしまった』と書いておられますが、〝つくづく〟考えなければならない問題がそこにあります。ただ現在の小説界が、冒険的な作品を必要としているのも確かだと思います。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.011 新潮 2014年04月号』 ■