鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第020回 ニコライ・カサートキン大主教からいただいたロシア・イコン』をアップしましたぁ。鶴山さんの『言葉と骨董』はもう20回目の連載で、番外篇を入れると23回目であります。これだけ回数が重なると、鶴山さんが骨董エセーで何を表現されようとしているかわかりますね。この方、確かに物フェチではない。骨董を通して文化や歴史の機微を読み解こうとしておられます。
〝骨董の目利き〟は一般的に、真贋を正確に見分けられる人を指します。でもそうすると骨董商の多くが目利きといふことになってしまふ。そこで骨董業界では、真作の中でも本当に優れた物を見出せる人、あるいは今まで見向きもされなかった遺物の美しさや重要性を見出す人を〝目利き〟と呼ぶことがあるそうです。目利きのハードルが高くなるわけですが、そういった人が見つけてくる骨董は確かに面白い。鶴山さんも独自の審美眼を持った目利きの一人でしょうね。
今回は駿河台のニコライ堂(正式名称・東京復活大聖堂)を創建したニコライ・カサートキン大主教が、正教神学校の日本人卒業生に贈ったロシア・イコンを取り上げておられます。鶴山さんはニコライさんの『日記』もお読みになり、『二日間で大急ぎで読んだ。二日ともニコライさんの夢を見た。覚えているのは論争のようなことをしていた夢だ。議論の内容は思い出せない。目ざめた時に、心に浮かんだことの半分も口にせず、むっつりと座っていた息苦しさだけが残っていた。『日記』で表現されたニコライさんの内面が影響したのだろう』と書いておられます。ちょっと憑依体質だなぁ(爆)。でも骨董を読むためには必要かもしれません。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第020回 ニコライ・カサートキン大主教からいただいたロシア・イコン』 ■