鶴山裕司さんの連載抒情詩『羽沢』『第011回 なぞなぞ/科学博物館/神田』をアップしましたぁ。イリュージョン系の作品から、じょじょに現実世界に食い込んでいくような、タイプの違う作品三篇を書いておられます。『羽沢』は第1回の『連載開始に際して』で鶴山さんがお書きになっているやうに、自由詩が実際には〝不自由詩〟になってしまっていることを嫌って書き始められた詩篇です。抒情詩といってもいろんな書き方をされるのが、鶴山さんの目的といふか特徴なのではないかと思います。
そんで今回は古本を買ったという日常をテーマに詩を一篇書いておられます。先日スカイプ会議でお話したときに鶴山さんにおたずねしたのですが、外出した時にちょっと時間があるとき以外は古本屋さんには行かれないやうです。たいていの場合、本はネット上の古本屋かamazonなどの新刊本屋さんでお買いになるといふことでした。やっぱそうでしょうねぇ。人間年を取ってくると、なぜかだんだん忙しくなります。ボーッと古本屋さん巡りをするのはかなり贅沢なことなのかもしれません。
不肖・石川も、学生や30代のはじめ頃までは古本屋さん巡りなどをしたものです。本は実際に手に取って少し読んでみた方が絶対いいのであります。しっかしなかなかそうも言っていられなくなった。それに本棚に並んだ本を見て、ああ、こういう本があったのか~とインスパイアされる時代は、どーも終わってしまったやうなのです。たいていの本は必要に応じてネットなんかでまとめ買いします。ほとんどの作家さんがそうしておられるでしょうね。
物理的な形態として魅力のある本、思い入れのある初版本などは誰にでもあると思います。だけんど本って基本的には情報なんだな。鶴山さんに、『僕の家の近くには、いい古本屋さんがないんですよ~』とお話したら、『そういう古本屋、近所にあるといいよね。でも僕は、おっきな図書館の隣に家がある方がいいかな』とおっしゃっていましたぁ。
■ 鶴山裕司 連載抒情詩『羽沢』『第011回 なぞなぞ/科学博物館/神田』 pdf版 ■
■ 鶴山裕司 連載抒情詩『羽沢』『第011回 なぞなぞ/科学博物館/神田』 テキスト版 ■