なぞなぞ
あなたのこと 嫌い
ほんとうはなかったものを
壊してしまうから
わたしに謎々をかけて
簡単に解いてしまうから
ゆりかごを揺すってくれる
大きな手はもうないのね
ミミズのような字を書くわたしを
背中から見守ってくれる
優しい瞳は消えちゃったのね
ほかにできること
あるじゃないか
こんなにもたくさん
あなたは両手を広げてくれるけど
それは欲しいものじゃない
あなたは知らないの
わからない方が
楽しいことってあるのよ
知らない方が
ずっと幸せだってことが
謎かけを続けて
答えは言わないで
世界は変わり続けている
とり返しようもなく
だから君も・・・
あなたのお仕事はなに?
ずっと昔は木こり
それとも鍛冶屋だったかしら
それから小さな商店で働いて
おっきな工場にバスで通い
今はたくさんのコンピュータにかこまれて
見えない未来を予測している
あなたといっしょに
いろんな色に染まってもいい
でも変わらない
世界の半分は残しておいて
宝物をおしえてあげる
小さな裁縫箱
サンゴの枝
金色のピン
枕の下で
秘密をつぶやいてくれる貝殻
お菓子を焼くのも好き
あなたに食べさせるのも好き
どうして考えるの
それじゃあなにもわからない
あなたの声を聞かせて
声だけを響かせて
あなたも見通せない
わたしたちのお話を始めてよ
月のない夜のように
まっ暗でもいい
千通りの道があって
幸せになれる道は
たった一つでもいい
二人で歩いてゆくの
あなたの手を握ると
わたしの手より大きい
あなたの背は
わたしよりずっと高い
あなたの肩幅は広くって
わたしの靴は小さい
その方がいいの
本当のことは
隠しておくわ
わたしの夢の中に
科学博物館
君はいちもくさんに駆けてゆく
白くて四角い建物に
古くて新しく
めずらしい物ばかりが
ところ狭しと並べられた科学博物館に
君は大人がするように
エレベータで最上階に上って
そこから降りてくるようなズルはしない
一階の海洋生物展示室に
まっしぐらに走ってゆく
巨大なアクリルボードに顔を押しつけ
大きく目を開いて見つめる
巨大なホホジロザメの剥製を
深海に住む
ミミズのような形のチューブワームたちを
―――ここに来るのは何度目?
―――三回目
―――これから何度来るの?
―――何回でも!
北と南の海を深海まで探索し終えると
君は足元に
無限の宇宙が拡がっていることに気づく
銀色に光る宇宙船を
銀河系とその彼方を眺める
超新星のオーロラに目をみはる
フロアに立って
君は上へ上へと伸びる
螺旋階段を見上げる
―――上ろうか
―――もちろん!
二階にはいろいろな機械が並んでいる
小さな二つの振り子がついた和時計
複雑な管で覆われた
ラッパ型のロケットエンジン
四角いバッタのような形の
一九三〇年代のオートモービル
三階にはたくさんの動物たち
虎やチーター
バッファローやキリンもいる
君はアクリルガラスごしに
不思議な生き物たちを見る
ときどき手を伸ばして
撫でてやろうとする
―――オオカミギツネなら飼えそうだね
―――いつか きっとね
変わらない方がいいものがある
ずっと同じまま
手つかずにして
そっと眺めている方が
君はまたここに戻ってくるだろう
はにかみながら
手をつないでデートする高校生として
ちょうど君くらいの子供を連れた
若い夫婦として
―――もう終わりじゃないよね
―――もっと先があるよ
屋上に出ると
五月の抜けるような青空
遠くの方に東京スカイツリーが見え
すぐ近く
緑の木々の間から
国立博物館の白い建物が見える
君は遠くを眺め
それから柵に駆け寄って
公園を歩く人たちをじっと見る
―――お空 木 小鳥 噴水 虹
―――それから?
話してごらん
なにが一番楽しいのか
なにが一番嬉しいのか
なにが君にとって一番の
宝物なのかを
―――もっと上に登らせて
―――いいよ
君は両手で手すりをつかみ
身体を乗り出す
だいじょうぶ
君は僕が支えてあげる
それが僕が一番したいことで
子供だった僕が
大人になって
一番やりたいことだから
神田
神田の小さな英文学専門古書店に
一冊の詩集を引き取りにゆく
『Drafts & Fragments of Cantos CX – CXVII』で
エズラ・パウンドが1969年に出版した最後の詩集だ
少し前に書店のショーケースの中に見つけた
店主に頼んでケースから出してもらい
パラパラとページをめくった
その場で購入することを決め
手付け金を置いて帰った
今日はその残りを払いに来たのだ
値段はもちろん高い
しかし誰にだってお金にかえられない物がある
どうしても
手に入れておかなければならない宝物がある
『草稿と断片 詩篇 第百十から百十七』は
三百十部の限定本だ
版元はNew Directions & The Stone Wall Pressで
奥付に第一番から二百番までをNew Dirctions社が
二百一番から三百番をFaber & Faber社が
最後の三百一番から三百十番を
The Stone Wall Press社が販売したとある
僕が入手したのは第六番
批評家のヒュー・ケナーは
「一九二〇年代に出版された『詩篇』は限定本ばかりで
蒐集家の手にしか渡らなかった
三〇年代には普及本が出たが
誰もこの難解な作品を理解できなかった
一九四五年にパウンドが国家反逆罪で逮捕され
未決囚のままセント・エリザベス精神病院に収容されると
この作品について論じることはタブーになった
六〇年代になってようやく評価が高まり始めたが
パウンドは年老いて
やがて死んでしまった」
という意味のことを書いている
エズラが亡くなったのは一九七三年十一月一日
八十七歳の誕生日を祝った日の夜に体調を崩し
約一ヶ月後にセント・ヨハネ・パウロ病院で息を引き取った
わずか三百十部しか刷られなかったが
最後の詩集が大判の豪華本で出版されたのは
ハーマン・メルヴィルよりは幸せか
『白鯨』の作家は十九年をかけて
一万八千行を超える長篇詩『クラレル』を書き上げた
恐らく世界で一番長い詩篇
臨終の床にいた伯父の援助によって
メルヴィルは百ドルでそれを自費出版した
「普通の読者は肝をつぶすか
ひどく苛立つか
どちらかだろう」
『クラレル』出版直後に書かれた書評の一節――
田村隆一は小川町のシンコーグリルで
「俺は今度 青いウンコという詩集を出すんだ」と
上機嫌で吉岡実に言った
実際に出版されたのは『緑の思想』という詩集だが
青いウンコでかまわないのだ
田村さんは批評家気質で
とても口が悪かった
「詩人なんて乞食だ」と吐き捨てた
「聖なる」なんて気休めがつきそうな〝こつじき〟
ではなくて〝こじき〟
わかっている
それは僕も同じ
今日は高価な詩集を抱えた乞食
三十年前に毎日のように歩いた道を
三十年前とほとんど変わらない格好で
精神で歩いている
『草稿と断片』には
マジックで書かれた乱暴なエズラのサインがある
明星大学所蔵の処女詩集『消えた微光』(A Lume Spento)には
すごく凝ったサインをしていたけど
そんなこと もうどうでもよくなったのだろう
そう もうどうでもいい
書いてしまったものは紙屑で
まだ書いていない作品だけが
僕を支えている
「彼の本当のペネロペーはフローベールだった
頑な島々で彼は釣りをした
日時計に刻まれた格言よりも
キルケーの美しさにみとれて」
神田の校舎で
フローベールの『純な心』(Un cœur simple)を講読した
もちろん辞書を引きながらだけど
フローベールの緻密で美しいフランス語に魅せられた
主人公は厳格なオバン夫人に仕える女中のフェリシテ
彼女は文盲で
我が子のように甥のヴィクトールを可愛がっている
フェリシテは船乗りになって
ハバナに行った甥を毎日案じている
オバン夫人の地所を管理しているブレさんが
世界地図を広げてハバナの場所を教えてくれる
フェリシテは地図がなにかがわからない
「ヴィクトールの住んでいる家はどこですか」と尋ねる
甥が死んだという手紙が届く
オバン夫人の娘 ヴィルジニーも死に
フェリシテが可愛がっていた鸚鵡のルルが
そしてオバン夫人もこの世を去る
夫人の息子は屋敷を売り払おうとするが
買ってくれる人は現れない
朽ちかけた屋敷で
フェリシテは剥製のルルといっしょに老いてゆく
僕らがたまり場にしていた文学同好会の部室は
どのあたりにあったろう
校舎は高層ビルに建て替わっている
スクリーンの中で
もの凄いスピードでタップを踏んでいたグレゴリー・ハインズ
「うまいだろ でもタップダンスなんて
誰も見たがらないのさ」
だけど拍手ばかりを求めて
自分が何をしようとしているのか 何がしたいのか
わからなくなってしまうよりはいい
コッポラの『コットンクラブ』を見れば
グレゴリーに会うことができる
お茶の水橋のたもとから神田川を見ると
芽吹き始めた草木の緑が美しい
少し前までは
霞がかかるように桜の花が咲いていた
「カンダは天国に近くさびしい
人間の世界の終わろうとするところだ
植物になりかけの人間ばかりのようだ」
西脇順三郎さんがこの詩を書いたとき
お茶の水の仙台堀を思い浮かべていたような気がする
僕は頭でっかちの青年で
長い間 詩とは何かがわからなかった
わからないまま
一生懸命詩のようなものを書いていた
それがはっきり理解できた時には
もう日は傾きかけている
「分け前 牙一本だけ。
分け前 牙二本。
分け前 牙三本。
分け前 牙四本。
分け前 牙二本。」
アルチュール・ランボーが死の二日前に口述した手紙の冒頭だ
詩とは何かを書いても誰も驚かないだろう
頭でそれを理解しても
肉体として生きるのはさらに難しい
聖橋の方へ
松本竣介が好んで描いたニコライ堂へと歩いてゆく
学生の頃 ニコライ堂を背にして
古ぼけたコダックで写真を撮った
あの時
僕らは二人だったのか
三人だったろうか
僕は笑っていただろうか
それともいつものように
不機嫌そうな顔をしていたのか
それを思い出せれば
この場所とお別れできる
あのとき撮った写真はもうない
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■