三浦俊彦さんの辻原登論『メタパフォーマーとしてのアンチパフォーマー -辻原登論-』をアップしましたぁ。文学金魚新人賞の選考委員をお願いしている辻原登さんについての評論です。三浦さんは小説家であり論理学者です。芸術一般に適用できる「意味情報」と「美的情報」を横軸にし、「内容」「形式」を縦軸にした図を使って辻原文学について論じておられます。
三浦さんは『辻原の『物語』って、あくまでストーリーなんだから、内容より形式なわけよ。・・・つまり特定の創作意図や創作姿勢、『これでどうだ』ってメッセージを、あくまで物語本位って形へデザインするわけだ』→『デザインはいずれにせよパフォーマンスしなきゃ具体化しない。文体で表現しなきゃならん』→『辻原文体ってのは概して古風な物語作法を確信犯的に守った文体』→『物語を中核にすべしってコンセプト貫くなら、文体は無難すぎるほどに慣習をなぞっとく』→『メッセージとデザインの強調が、パフォーマンスの抑制によって確保される、ッて技法――メタ技法だろうかね』といった論理で辻原文学を論じておられます。辻原文学、論じにくいわけだと不肖・石川は納得しました。一筋縄ではいかない作家さんですねぇ。
でも一筋縄ではいかなひというのは、三浦さんも同じなわけです(爆)。辻原さんの作品は作品主題や技法から分析してもなかなか焦点を捉えにくい。対して文学金魚連載中の『偏態パズル』をお読みの皆さんには説明するまでもないですが、三浦さんは強い〝偏り〟を作品主題に据えておられます。つまり三浦さんと辻原さんは正反対の資質をお持ちの作家さんです。しかし三浦さんの分析方法を読めば、意外に共通したところがあるかもしれません。三浦先生、過剰にリベラルといふか論理的に公平であります。それがどこかで辻原さん的な〝メタ技法〟に近接しているところがあるやうな気がします。今回の評論、資質がはっきり違う作家さん同志がぶつかり合うわけですからスリリングです。じっくりお楽しみあれ~。
■ 三浦俊彦 辻原登論『メタパフォーマーとしてのアンチパフォーマー -辻原登論-』 ■