水野翼さんの文芸誌時評『No.004 怪 Vol.0040 (2013年11月)』をアップしましたぁ。創刊20年、第40号発刊記念号です。水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆきさんら、そうそうたる顔ぶれの作家さんたちが祝辞を寄せておられます。
水野さんは『雑誌にも歳を経るのがふさわしいものとそうでないものがある・・・「怪」はもちろん、歳を経るのにふさわしい雑誌だ』と書いておられます。不肖・石川も同感です。純文学雑誌と比較して、『怪』や『幽』、『S-Fマガジン』といった雑誌のコンセプトは明快です。確かに総花的で何が出るかわからない雑誌にも魅力はありますが、現在のように先が見えにくい時代には、コンセプトを絞り込んで突破口を模索するのも有効だと思います。
それにしても文芸誌は高くなりましたね。千円を超えるのが普通になっています。文学金魚では文芸誌時評、詩誌時評を当たり前のように掲載していますが、詩や小説を愛する読者はもちろん、作家の卵を含めても、文芸誌を読んでいる人はあまり多くないだろうなぁ。普通の感覚なら本を買ってしまふだらうと思います。海のものとも山のものともつかぬ作品が細切れに掲載されている文芸誌よりも、過去の名作などを読む方が絶対的に勉強になるわけです。
よく永田町の政治家は国民の一般感情にうといと言われますが、それは永田町での熾烈な政治的駆け引きが、世界の全てになってしまふからです。それは文芸誌でも同じです。そのメディアで活躍したいと思えば思うほど、独特のカラーに知らず知らずに染まってしまふ。でもそれは実は同人誌や文学サークルでも起こっていることです。人は狭いコミュニティの中でのルールや人間関係に、思いのほか大きな影響を受ける生き物です。
この井の中の蛙的閉塞状況からどうやって抜け出すか。文学者ならやっぱり文芸誌を読むことでしょうね。それも複数の雑誌、様々なジャンルの雑誌を手に取って真摯に読んでみることです。今現在の文学環境の厳しさを学習できるはずです。また現在身を置いているコミュニティを相対化できます。図書館で借りてもいいですが、半年分くらいをまとめて読めば、勘のいい人なら『ああなるほど、こういうことか』と膝を打つ瞬間がやってくると思います。
■ 水野翼 文芸誌時評『No.004 怪 Vol.0040 (2013年11月)』 ■