長岡しおりさんの文芸誌時評 『No.005 yom yom vol.30 2013年 秋号』 をアップしましたぁ。長岡さん、文芸誌時評論を展開されています。『文芸誌時評ってのは、雑誌を一冊の本として見たときの書評になり得ると。・・・その作品がそこの、その号に載っかっていることに、何かの理由というか、必然性というか、もっと漠然とした「縁」みたいなものがあってしかるべきという「思想」のもとにあるのがすなわち文芸誌時評では』と書いておられます。確かに〝文芸時評〟と〝文芸誌時評〟の質は違います。文芸時評は作品中心で良い。しかし文芸誌時評ではそこに、〝文芸誌とはなにか〟という面倒な問いが介在します。もちろんそこまで厳密に考えて批評しておられる方は少ないと思いますが。
作家はフリーランスのライターですから、雑誌に理念があっても、それを全面的に作家に担わせることはできません。理念を理解してくれる作家を使うのが精一杯です。雑誌を読んでいると、どうしてこんなに重用するんだろうと首をかしげてしまふような作家がけっこういますよね。そういう作家は雑誌の理念(崇高なものとは限りません)を理解している。ただそんな作家が雑誌の顔になるかといふと、そうでもない。雑誌にとってのスター作家は、常に自分たちの理念を少しだけはみ出してくれる書き手たちです。
雑誌は安定して書ける大勢の中堅作家たちと、ほんの一握りのスター作家から構成されています。中堅作家たちは雑誌の理念を理解した大切な書き手ですが、はっきりいえば同じような作家と入れ替わってもかまわない。しかしスター作家は代換えがきかない。スター作家は雑誌の理念を理解しつつ、さらにそこに新しい息吹を与えてくれるからです。そこに雑誌と作家たちとの、摩訶不思議とも言える微妙な関係があります。編集部は理念に従順な作家たちを大事にしながらどこか軽んじていることが多い。しかし本当に必要としているのは理念を理解しつつもそれを壊し、刷新してくれる才能です。こういった矛盾した構造を持つのは文芸誌に限りません。どこの営利企業でも同じようなものです。
多くの作家志望の方たちはメディアで活躍することを夢見ておられると思います。しかし出版社は営利企業です。自分はフリーランスとしてそこに商品を売り込むのだといふことを今一度お考えになった方がいいと思います。時にはマーケティング、つまり相手側の事情を真剣に分析することも必要です。またメディアと仕事をするにしても、できるだけ遠くを見つめていた方が良いと思います。メディアに吸い上げられ、作家と呼ばれることが目標なら別ですが、編集部は意外と正確にそういった作家の限界を見切るものですよ。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『No.005 yom yom vol.30 2013年 秋号』 ■