大野ロベルトさんの連載評論『『無名草子』の内と外―読み、呼び、詠み、喚ぶ―』(第010回)をアップしましたぁ。大野さんの『『無名草子』の内と外』は今回で最終回です。大野さんお疲れさまでした。『無名草子』は決して有名な古典ではないですが、大野さんの評論をお読みになって興味を持たれた方も多いのではないかと思います。またこの評論を読んで、作家としての大野さんのお名前を記憶された方もいらっしゃると思います。
これは不肖・石川の編集者の勘のようなものですが、『無名草子』という書物は大野さんの資質に極めてよく合った書物なのではないかと思います。大野さんは『無名草子』について、『『無名草子』を興味深いものにしているのはテクストの内と外の境を取り払おうとするその性質にあるのだが、そこは女房たちが、そして読者たちが、自由に往来する言葉の世界である』と書いておられます。この開かれたテクスト性、それに言葉の世界に対する執着や偏愛は、文学金魚連載中の大野さんの詩篇『空白』(著者名は創作者としての大野さんの名前である〝露井〟です)でも読み取ることができます。
作家は試行錯誤を繰り返すものですが、優れた作家は最終的に、表現ジャンルの選択でも研究対象や愛読書にしても、自己の資質に合った対象を的確に見つけ出します。大野さんが『無名草子』を選んだ時点で、変な言い方ですが『勝負あったな』といふ気がします。これからも様々な評論をお書きになるでしょうが、大野さんの文学を読み解くキーになる批評だと思います。
■ 大野ロベルト『『無名草子』の内と外―読み、呼び、詠み、喚ぶ―』(第010回) ■