池田浩さんの文芸誌時評『No.006 三田文学 2013年秋季号』をアップしましたぁ。特集は『百年後にも残る平成芥川賞作家のこの一作』です。池田さんは『「リスト化する」というのは、文芸誌ではネタに困ったときにはよくやる。・・・ああでもないこうでもないと、議論が起こっているように見えれば、その場その時かぎりでの時事性があるかのごとく錯覚させる』と厳しいことを書いておられますが、まあそういうところはありますね。百年後にどの作品が読まれているか誰にもわからない以上、特集は〝現代の純文学〟を巡る問題点や課題を浮き彫りにするものにならざるを得ない。しかしよほど優秀な作家や批評家が参加していない限り、現代的課題と未来のヴィジョンを明らかにするのは難しいわけでして。
簡単に大学文芸誌をまとめておくと、文学金魚では三田文学、早稲田文学、江古田文学を時評で取り上げています。江古田文学さんは、非常に恐縮ですが同人誌レベルですね。これも言いにくいんですが、早稲田文学さんは昔から伸びそうで伸びない雑誌だなぁ。最近では年に一冊部厚い雑誌を出しておられます。インパクトはあるのですが、ジャーナリスティックな身振りに中身がついてこないといふ憾みがあります。作家は編集者ほど雑誌の内容や方針に親身になってくれない。だから雑誌は玉石混淆の〝雑〟なわけです。編集部主導の雑誌作りには自ずから限界があります。三田文学さんはなんやかんやいって、淡々と年4冊の季刊刊行ペースを守っておられる。継続は力なりですなぁ。
どの雑誌でも卒業生や在学生を優先的にバックアップしているのは同じです。ただ純文学雑誌である限り、その頂点である『文學界』と芥川賞は無視できないようで、三田文学さんは文學界の同人誌評を引き継ぎ、早稲田文学さんは芥川賞受賞の黒田夏子さんの特集を組んでおられます。純文学ジャーナリズムとしては正しい方針ですが、その分、雑誌の独自性は弱まってしまう。外の人間には一種の文學界・芥川賞補完機構に見えてしまうからです。雑誌運営はきれい事ではないので様々な方策が必要だと思いますが、大学雑誌に限らず、〝アリモノ〟をうまく活用しながら独自路線をどう打ち出していくのかが鍵でしょうね。そうでなければ雑誌を出しても面白くないと思ひますですぅ。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.006 三田文学 2013年秋季号』 ■