Interview:野田知佑(2/2)
作家、カヌーイスト。1938年熊本県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒業。
「川遊びカヌー」を提唱する、日本におけるツーリング・カヌーの草分け的存在。国内をはじめ、海外のユーコン川、マッケンジー川などを漕破。「川の学校」校長として子供たちに川遊びの楽しさを伝え続ける一方、河川改修、ダム開発をおしすすめる国土交通省の問題を提起する。著書に『少年記』『北極海へ』『ユーコン漂流』『カヌー犬、ガク』、最新刊『ダムはいらない-新・日本の川を旅する』(小学館)など。映画「ガクの冒険」では愛犬ガクとともに主演。1982年『日本の川を旅する』で第9回日本ノンフィクション賞新人賞、1998年に毎日スポーツ人賞文化賞受賞。
人はその関わるものに似てくる。プログラマーはパソコンぽく、カメラマンは写真のように裏表や奥行きのない人格になるという。野田知佑氏自身も、その文章同様、水や岩といった自然そのものに似ている。言葉にはいっさいの虚飾がない。ときに相手の言うのにじっと聞き入ったきりになる。インタビューアー泣かせだ。二日酔いだったせいかもしれないが。
野田さんの旅は、徹底して「孤独であること」から始まった。「人間が多すぎる」「寂しいことは、悪いことだと思わない」と言う野田さんは、たしかに人嫌いであるはずだ。その人が、今や多くの優秀なスタッフに囲まれ、何百人もの子供たちに慕われている。妙なものだが、孤独に耐える強さと優しさだけが人を惹きつけるのかもしれない。
早大ボート部の先輩方は、「あんな幸せな男はいない」とおっしゃる。それは若い時分、野田さんが自分にとっての幸せが何かをつかんだからだ。それには他人の価値観に流されないこと、孤独であることは必須だろう。その旅の書物を読むと、きれいな川とともに別の価値観が流れ、静かに別の世界が広がってゆく。我々の知らないところで、世界はこんなふうだったのか、と。
その「幸せな男」はしかし近年、怒りを露わにすることが多くなった。国土交通省の役人を川にいくら放り込んでも、あとからあとから利権と破壊が湧いて出る。旅が新たに「世界を創る」ことならば、それもまた避けて通れない闘いの旅と言わざるを得まい。
(金魚屋編集部)
(金魚屋スタッフB) ところで、野田さんの学生時代には、もうビートやヒッピーのカルチャーは入ってきていましたか。
野田 ありました。
(スタッフB) ケルアックとか、もう少し後になりますか。
野田 あったけど読んでません。
(スタッフB) そうすると野田さんのエコロジカルな「思想」みたいなものは、ずいぶん早いですよね。
───ヨーロッパを放浪されているときに、たまたまカヌーで川をくだって、ものすごい幸福感を見つけられたと『旅へー新・放浪記』に書かれています。そういった直接的な感覚から始まったことで、野田さんはたぶん、何かの「思想」とは関係がないんですね。
(スタッフB) 最近になって、アメリカのビートの連中がほとんど「エコロジスト」になっていってます。
野田 そう。なんかアメリカのヒッピーというか、ビートみたいな人たちがアラスカの山中にいてね。ベトナム戦争の徴兵忌避でアラスカに来た。
(スタッフB) では、六十年代から。
野田 うん。納豆作ってましたよ。豆腐も醤油も手作りでね。ムラサキ、とか呼んで。日本の農村生活者の爺さん、婆さんからそのまま受け継いでいる。日本の農村はエコロジーの神髄だから。動物を撃てば簡単なんだけど、大豆で生きると高くついてね。菜食主義をアラスカでやるのは、とても大変だ。
───野田さんも、そろそろ次の世代に遺してゆくもののことを考える、と、お書きになってます。やはり遊べる、きれいな川ですよね。
野田 うん。熊本の菊池川でもね、周辺の主婦とかが頑張ればいいね。多摩川の主婦は勉強会やって、大学教授相手でも丁々発止とやり合ったんだな。うちの子供はもっときれいな川で遊ばせたいって、それだけですよ。よくなってきたら、水道局が乗り出してきてね。上流の方はね、もう一種。山の中の清流と同じ。役人が張り切ってるというのは、面白い。
───注目されれば、やるんですね。
野田 やればできる。
───国内の川下りでは、北海道によく行かれてましたが、今はどんな様子ですか。
野田 北海道は「川の学校」をやってくれって要望が強いけど、ちょっと無理。水が冷たいね。それに人手が足りない。魚を捕まえたことのない大人がばっかりなんだ。妙にハイカラな気風があって、フライフィッシングとかって、横文字ばかりやってる。川に入って魚をとることは難しい。
───ダム反対運動は現在、どこがホットスポットですか。
野田 長良川に、また行かないと。河口堰を作った役人がまだ、生きてるんですよ。それが動きはじめている。彼らを叩く集会をやらないと。ガチンコで真面目に議論しても、ダメなんです。ああ言えばこう言う、でね。のらりくらり時間稼いで逃げる。今度はこちらのやり方で、こっちのペースでやろうと考えてます。まあ、ほんとに悪いことしてますね。あれだけの高給取りが、いいことなんか、ひとつもしない。許せないですよ。
川の学校 初めての獲物
───役人って、そういうもんですよね。
野田 本当に許せない。すごい高給取りですよ。で、その後の天下りばかり考えて。最近、ゼネコンは世間の目が厳しいから、大学教授ですよ。カモフラージュにいいんです、大学教授は。
───それは人によるかもしれませんが・・・
野田 なんとか、やっつけなきゃいけない。
───心配なのは今回、原発が停まったりして、それがまたダム建設の方へ行かないかと。利権のために余計なことばかりするという意味では、原発もダムも、構造は同じだと思いますが。
野田 東電から二億か三億年間広告費、もらってるってんで、今まで原発反対の記事が書けなかった。だってA新聞の記者の天下り先に、原発新聞があるんですよ。今、信用できるのは週刊金曜日ぐらい。
───あー。著名な方が原発推進の原稿一本とか、三十分の講演すると、東電から五百万ぐらいもらえるって噂がありますけど。本当ならすごいですよね。断れないかも。
野田 僕にも一回、道路交通公団から打診があった。同じです。あれもギャラ高いですよ。
───テレビで原発の肩を持つコメンテーター見るたびに、もらってるのかな、って思っちゃう。いいなあ。
野田 もらってますね。
───ネットで「信頼できる専門筋」と言われる方が、テレビには全然、登場しなかったりする。あれってやっぱり、東電からの…。
(元広告代理店勤務の金魚屋スタッフA) だって大クライアントだもの。デン子には逆らえない。
───一本、五百万くれるんだもんね。ああ、仲良くしたいなあ。魂売ってもという人多いよ。
野田 多いのは、原発の見学ツアーに行きませんか、って誘われるの。参加費として、少額の金をいちおう払うのね。あとは全部、あっち持ち。あれはうまいやり方だな。
───まあ、でもいろいろなことがあって、ダムに対しても原発に対しても、世間の目が少しずつ厳しくなって。
野田 だけど、また弱まってゆくからね。手綱を緩めないようにしないと、反撃してくる。
───人の隙を見て、ですね。
野田 二十年以上前にね、広瀬隆さんが『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』って本を出した。原爆の実験場で撮影してたのね。ジンギスカンの映画を。それで、そこにいたスタッフ、キャストの全員が癌にかかった。アメリカのある場所では百発もの核実験があって、そこから二百二十キロ以上離れた村が全滅している。癌と白血病で。
───二百キロも離れて、ですか。
野田 二百二十キロっていうと、福島から東京まででしょ。風向きを考えて、いつも実験するんだって。だからラスベガスは近いけど、無事なんだ。小さな村は無視されて。アメリカ政府は認めない。認めたら、終わりだからね。
───黙っておとなしくしていたら、何をされるか。
野田 「川の学校」の卒業生が三百人いるけど、あちこちでもう、発言しはじめている。全員、ダム反対なんだ。二千人ぐらいになったら、すごい。
───心強いですね。母川に戻ってくる鮭みたい。
野田 うん。大学生になると、スタッフとして戻ってきます。今のスタッフの半分が、そう。
───あのよくできたスタッフの方々は、卒業生ですか。
野田 うん。よく気がつく。僕が行くと、焼酎がすっと出てくる。鈴木さんが行くと、ビールがね。
川の学校 日和佐川 テナガエビで遊ぶ
───いや、ホステスとしてじゃなくて・・・。他者に対する想像力がよく働く、今どきめずらしい若者たちです。
野田 自分がしてもらったことを覚えてるんだね。何も言ってないんだけど。あの連中は、わかりますね。
───あの若者たちは、きっと何をやっても大丈夫じゃないか、って思わせるものを持っています。そんな鍛えかたをしてくれるところって、なかなかないですね。
野田 子供たちは面白いですよ。僕らの影響をばっちり受けてるからね。「川の学校」に来た落語好きのゲストの影響を受けて、落語の小話してるのがいる。
───川っぺりで、ですか。
野田 うん。僕がテントから出て、見たら、夜中に何人か、練習してる。なんか川原でぶつぶついってた。
───楽しみが多いですね。
野田 今ね、卒業生たちの追跡調査してる。青学大にいる子だけど、中学生の頃から剣道をして、ずっと夏は浴衣、冬は着物姿でね。公民館で小唄と三味線を習って。今月、学園祭でやるって言うから、また東京に見に来ないと。
───校長先生も結構、たいへんですね。卒業生が三百人もいると。
野田 北大の一年生で、探検部に入ったのがいてね。身長147センチで、いつも中学生に間違えられるんだけど。百キロウォークしてるとき、「北大生」って幟立てていた。でないと、家出少年として補導されるって。
───それ、可愛いかも。
野田 彼は小学五年で来てね。両親はかたーい学校の先生なんですよ。家に帰っても、冗談を言ってるのを見たことがない。学校であったことを話しても、「そうか、よろしい」とか、「よくない」とかって判定下すんだって。で、「川の学校」に来ると、なんか変なおじさんたちがいて、朝から晩までずーっと冗談ばっかり言ってるので驚いたって。
───あー。鈴木さんとか。
野田 この人たち、何なんだろうって。それで人生、救われたみたいですね。
───ふざけていて、人を救えるなんて。いいですね。
野田 で、その子は高校にさえ入ったら、毎日、川遊びができると思ってた。それで高校に入ったら、たまたま模擬試験で一番になっちゃった。そしたら周りが飛び上がって、この子は東大か京大にしか行かせないって。
───うっかり勉強しすぎちゃったんですね。
野田 それで僕のとこに家出してきたの。一日、魚捕って遊ばせて。今はね、札幌の僕の友だちの家に、朝昼の飯どきに来てる。昔の旧制高校のバンカラな気風を遺した、いい学生生活を送ってます。
───「川の学校」をもっと大規模に、システマチックにできませんか。
野田 三十人が限界です。ほんとは五十人にしたいんですけど。目が届かない。
───大量生産は無理ですか。質が落ちますね。
野田 うん。教育は結局、少数精鋭でないと、できませんよ。
───東京でライターの仕事をされるようになる前に、九州で学校の先生もされていたんですよね。その頃はまだ、いい時代だったでしょう。
野田 いい時代でした。モンスターペアレンツはいなかったし、学級ホーカイもない。君が代も歌わなくてよかった。教師が自由だった最後の時代でしょう。
───ペットとしてでなく、生き物に触れる、というのは、すごく大きな影響を与えるように思えます。川も、水そのものよりも、そこに生物がいて手づかみするからいい。
野田 学校のプールに魚が泳いでればいいんだけど。塩素ですぐ死ぬからね。手づかみ大会もあちこちでやるんだけど、やらせる大人がやったことないからなあ。なってないんですよ、魚をつかめるような設えじゃない。
───いっとき、ご自宅でアクアリウムを作られていたようですが。
野田 僕、夏にいないから、熱湯になってダメです。プールだと大丈夫だけど、それだと魚が見えないから、つまらない。
熊本県 菊池川支流 江田川 近くにゴルフ場があって魚がいない
───人工的なのは、やっぱり難しいですね。
野田 来年、鹿児島でイベントをやろうと思うんだけど。鹿児島の川の面白いのはね、カニ籠入れておくと、必ずスッポンが入る。毎日二、三匹捕って、スッポン鍋にしてましたよ。ほんとに魚が面白いのね、あそこは。ウナギも多いし。だけど早く行かないと、護岸工事でダメになっちゃう。水害がひどかったからね、それを口実にして、全部コンクリートにしています。
───鹿児島では、錦江湾のそばにお住まいでしたよね。ご著書を読むと、とてもすてきなところだったと思うのですが。
野田 うん。アパートが広くてね、五十畳ありましたよ。誰も買い手がなくて、賃貸に出ていた。僕一人で、卓球台置いて。サッカーやったりしてね、犬と。降りるとすぐ砂浜で、磯の海岸でね。四月から泳げるんですよ、海底温泉がぼんぼん湧いてるから。
───どうして引き上げられたんですか。やはり環境が悪化して、ですか。
野田 吉野川の河口堰の反対運動に毎月行くようになったからです。
───うん、まあ。それで四国へ。
野田 鹿児島は、ほんとにいいところだったんですよ。ときどき沖永良部島に行って。僕の知り合いにかわいい少年少女がいてね、12~13歳の。その兄ちゃんは、そこらの海を全部知ってる。ここにナマコがいます、とかって案内してくれるの。毎日潜ってました。
───そんな、夢のような暮らしを捨てて。
野田 ちょうどその頃、長良川闘争の真っ最中で、日本中からダム・ファイターがやってきてた。マスコミの耳目も集まっていたんで、あそこで発表すると、みんな聞いてくれる。徳島ではダムを二つ造っていて、それがひどいもので、その現状を話しに来ていた。で、「野田さん、ちょっと来てください」と。いいですよ、と出かけたら、来週も、再来週も、って。それで、もう移ることにした。
───やらないわけにいかないですね。
野田 長良川には日本中から来ていたからね、手伝わないわけにいかなくて。とうとう徳島に捕まった。ただ、鹿児島はすごく気に入っていたけれど、広い土地がなかった。せいぜい二百坪か、三百坪。僕は犬を走り回らせるのに、もっとずっと広い土地が必要だった。徳島にはね、それがあった。しかも庭を横切って川が流れている。理想的な土地です。
───ニュージーランドの大地主みたいですね。
野田 しかし家を建てると、それにとらわれてね。自由に旅行ができなくなる。いきなり行って、一番いいアパートを借りて、それで飽きたら移転する。快感ですよ。それがもう、できない。犬が二匹になり、三匹になりで、だんだん動けなくなる。犬を飼えるようなマンションがないんですよね、日本には。
───野田さんの伴侶となる犬はまた、座敷犬ってわけじゃないですからね。ほんとに立派な、人間より利口な『カヌー犬、ガク』みたいな。今は三匹ですか。
野田 二匹です。昨日も椎名誠と、ガクの話をしましたよ。
───野田さんが最初に飼われた犬のガクは、野田さんが実父で、椎名さんが養父だそうですね。
野田 椎名が「カヌー犬」と名付けて。そしたら、あちこちのペットショップに「カヌー犬ください」という客が大勢、来た。あれは可笑しかったですね。
───『カヌー犬、ガク』みたいな犬なら、誰でも欲しくなります。ガクは熊を見て、襲いかかっていくでしょう。全100匹調査したところ、99匹は主人を置いて逃げるそうです。「うちのは狩猟犬だから」とかってのも、とっとと逃げる。ガクと同じ、雑種犬が一匹だけ踏みとどまったそうで。
野田 雑種にはときどき、すごく出来のいいのが出現するんだ。でも最近の犬はね、泳げませんね。先週、僕の家にフレンチ・ブルドッグを連れてきた人がいて。僕の犬たちが泳ぐから、自分の犬も、とプールに入れたら、垂直に沈みましたね。どこに行ったか、わからなくなって。五、六秒もたもたしている間に、溺れ死にました。
四万十川を行く野田知佑氏とカヌー犬ガク (撮影:渡辺正和)
───犬が溺れ死ぬなんて。そのうち「川の学校」で犬に泳ぎを教えなくちゃいけなくなるかもしれませんね。子供も犬みたいにペット化されているけど、犬もきっと「川の学校」が好きになるでしょう。
野田 今年は台風で二回、流れたからね。中止になると、子供が悲しむんですよ。楽しみにしてるから。十一月に補講します。課外授業もある。そっちの方が本課より面白い。
───希望者が多いですよね。三十人、どうやって選ぶんですか。
野田 厳正なる抽選。裏口入学はない。競争率は高いですよ。二年待ち、三年待ちの子もいます。
───野田さんの子供の頃のような経験をさせるために、抽選ですか。
野田 そう。卒業したくないって、五、六人の子が。留年させてくれって言うんだけど、そういうわけにいかない。
───今の子って、昔と比べて物質的には恵まれている面もありますけど。やっぱり昔の方が面白かったでしょうね。
野田 面白かった。親が口を挟まないからね。生活で忙しくて。うちの母親だって行商で、子育てどころじゃなかったですよ。
───兄弟も多いですしね。
野田 うん。うちの三つ上の姉が、同級生の石原っていうのと結婚した関係で、またずいぶん兄弟と親戚が増えた。義兄弟が二、三十人いる。みんな似てる。
───特に歳をとると、同じ顔になって。熊本には、ときどきはお帰りになるんですか。
野田 兄が死んだんでね。年に二回ぐらい、兄貴の家に行きます。菊水町の江田にすごい道路ができたんだ。その道路沿いにあった兄貴の畑の地所に、ずらっと店が並ぶようになって。賃料で月に何十万か入る。百姓が大金持ちになっちゃった。だけどね、欲の無い人たちだから義姉が困ってる。ああいう困り方って、面白いね。「どげんしたらよかか、わからん」って。
───贅沢しても、楽しいと思わなければ、ねえ。
野田 義姉さんなんか、きちんと百姓姿して、鍬持って畑に行くのが一番楽しいといってる。お金の出て行きようがない。面白いなあ。
(2011/10/13)
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