谷輪洋一さんの文芸誌時評 『No.002 小説 NON 2013 年 06 月号』 をアップしましたぁ。夢枕獏さんの連載小説 『織田信長伝奇行 JAGAE』 を題材に、時代小説と歴史小説の違いについて書いておられます。厳密に区分するのは難しいですが、時代小説は 『ある時代設定を舞台として、そこでの人の営みや心理を描くもので、その設定以外は基本的に現代小説と変わらない』、歴史小説は 『歴史上の実在の人物が出てくるもので、したがって否が応でもそれは決定的に過去の出来事として書かれるもの』 だと借定義しておられます。
エンターテイメント系の小説誌では、現在もたくさんの、いわゆる〝チャンバラ小説〟が掲載されています。時代は御維新にかからない程度の幕末。だいたい文化・文政から天保時代頃です。この頃になると、歴史学的に言っても日本人の自我意識が強くなります。現代人のような考え方をする人も実際にいました。そういう心性を前提にすれば、現代小説よりも遙かに小説が書きやすくなります。人間心理の機微に関わる微妙な箇所は、江戸時代特有の制度で抑え込んでしまえばいいからです。でも愛や勇気や倫理といった基本要素は残る。むしろ純粋なそれらを書きやすくなります。
で、歴史小説ですが、これがなかなか難しい。谷輪さんは 『歴史小説というジャンルを創設したのは、森鷗外だと言われている』 と書いておられますが、鷗外には 『歴史其儘 (そのまま) と歴史離れ』 というエッセーがあります。単純に言えば、前者が 〝歴史小説〟、後者が 〝時代小説〟 と言っていいと思います。でも鷗外さんにしてからが、この区分で悩んでいる。歴史そのままを書くと現代的問題から遠ざかってしまうし、歴史離れを意図すると、現代小説とあまり変わらないものになってしまうわけです。
このジレンマを簡単に解消する決定的方法はないでしょうね。ただ 〝なぜ歴史小説でなければならないのか〟 と考え抜くのが、歴史小説の第一歩のように思います。よく知られているように鷗外は、歴史小説を書きやめて、晩年は史伝を書き続けました。鷗外史伝の評価は決して高くありませんが、彼の史伝への意欲が、〝なぜ歴史小説なのか〟 という問いへの答えを示唆しているかもしれません。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『No.002 小説 NON 2013 年 06 月号』 ■