木原圭翔さんの映画批評 『映画金魚 No. 005 テレビ映画の自己生成 - 『なんたって 18 歳!』 テレビ映画を観る ② 』 をアップしましたぁ。木原さんは 『消費の意義を考察しない限り、テレビ映画を批評的に論じることはできない』 と、ズバリとテレビ映画の本質をついておられます。テレビや映画、小説も含めてあらゆる人間の生産物は、まず 〝消費〟 という残酷であり、また喜ばしい市場原理にさらされるわけですが、中でもテレビは自ら進んで消費されることを望むメディアです。それに 〝映画〟 が加わるとどうなるかという、スリリングな読解をしておられます。
木原さんは 『なんたって 18 歳!』 について、『作品自体が自らの型をまるで生きているかのように自己変容させていく様子を、そしてその過剰さがある地点で飽和し、番組終了が近づくにつれて緩やかに収束していく様子を、一つのドキュメンタリーのように生々しく画面に刻み込んでいる』 と書いておられます。同じことを現代のテレビドラマが行えば、〝あざとい〟 の一言で片付けられてしまうでしょうね。そこにはテレビ映画という、ある時代にしか存在しなかったメディアミックスの特性が表れていると思います。
木原さんのコンテンツはテレビ論であり、映画論、時代論でもあります。従来的な映画の手法でテレビドラマを撮る方法は、1960 年代から 70 年代くらいにしか存在しなかったわけですが、そこには時代のうねりもはっきり映像として刻み付けられているようです。こういったことは、時間が経たないとなかなかわかりにくいですね。テレビ映画はもしかすると、最もテレビ的で、かつ、映画的な作品群なのかもしれません。木原さんのテレビ映画批評、面白いですぅ。
■ 木原圭翔 映画批評 『映画金魚 No. 005 テレビ映画の自己生成 - 『なんたって 18 歳!』 テレビ映画を観る ② 』 ■