鶴山裕司さんの音楽批評 『ONGAKU & BUNGAKU BY KINGYO No.008 DiVaが教えてくれた』 をアップしましたぁ。DiVa 評第四弾で、このシリーズは今回で最終回です。鶴山さんは 『いわゆる言文一致というが、話し言葉と書き言葉はイコールではない。表現である以上、歌詞では当然、意味やイメージが絞り込まれている。メロディがあるから話し言葉のように感じるが、歌詞は本質的に書き言葉なのである』 と書いておられますが、その通りでしょうね。歌詞であってもそれは本来言語作品です。
当たり前ですが、音楽的才能がなければミュージシャンにはなれません。でもシンガーソングライターの場合、音楽的才能に加えてコトバを操る能力が必要になります。ミュージシャンは音の素晴らしさで曲が売れるんだと考えがちですが、そうとも言えないと思います。不肖・石川が見ている限り、シンガーソングライターは、音ではなくコトバの方からダメになっていく傾向がある。時代の流れをコトバで捉えきれなくなるわけです。
第一線で活躍し続けているシンガーソングライターやバンドは、コトバによってそのポジションを維持している面があります。ファン層の大多数を占める同世代の心情を歌い、時代の変化をコトバにして音楽で表現するわけです。どの芸術ジャンルでも、若くてはつらつとした若者がそのジャンルの華です。年を取っても尊敬される芸術家であり続けるためには、音楽の世界であろうと、若者にはないコトバ的な知性が求められると思います。
■ 鶴山裕司 音楽批評 『ONGAKU & BUNGAKU BY KINGYO No.008 DiVaが教えてくれた』 ■